こんにちは、sadachi. です!
美空ひばりさんの登場です!
戦後日本を代表する歌い手といって頭に思い浮かべた時、あの独特の艶のある歌声をもつ美空ひばりさんの名が出てこない人はいないでしょう。
戦後のラジオや歌謡番組、主演映画で大人顔負けの表現力豊かな歌声を披露し、天才歌手として、また天才子役として日本中に浸透したんですね。
彼女の存在は、まさに日本の戦後そのものと言われ、また昭和という時代を駆け抜けた大歌手、大スターと言ってもいいでしょう。
ひばりさんの通算レコーディング曲数は1,500曲、オリジナル楽曲は517曲あったそうですよ、すごいですね。
それでは、美空ひばりさんの似顔絵にお付き合いくださいね!
Contents
美空ひばりさんの鉛筆画です!
それでは、模写した写真を掲載しますので、もう一度比べてみてくださいね。
美空ひばりさんの水彩画です!
模写した写真です、もう一度比べてみてください。
実は、この画像でひばりさんを描いたときの1枚目がどうしても気に入らんなかったので、2枚目を描いたんですね。
これが気に入らなかった1枚目です。唇や目の周りが違いますよね。水彩画は、ちょっとわかったと思っても難しいというのをつくづくと感じた次第です。
これらの作品は、インスタグラムでも公開しています。遊びに来ていただけたら嬉しいです!
美空ひばりさんのプロフィール
昭和12年横浜市の下町に生まれる。日中戦争が始まった年でもあり、そして昭和20年の敗戦までを幼少期として過ごした彼女は、召集される近所のおじさんやお兄さんたちを送り出す席上で、大人の好む演歌を感情込めて歌い、そしてそれが周りの大人を感動させることが日常であった。9歳のときNHK「のど自慢」に出演し、悲しき口笛を歌うも、その歌い方が大人の色気をそのままに表していて不健康である、という理由で落選。しかし、大人顔負けの舞台が評判となり、昭和24年河童ブギウギでデビュー、同年初主演映画悲しき口笛が公開され、以降、このときわずか12歳の彼女はスター街道をひた走ることになる。翌年の主演作東京キッドでは、敗戦後の焼け跡で助け合うストーリーであったが、彼女は大人が戦争にゆく悲哀や、戦後の開放感をかわいらしい子供としてではなく、大人としての技量を完全に身に付けていたのである。彼女はまさに、こどもらしさという枠を超えたスケール感があり、既成の概念を突き破ったスーパー少女であった。そして15歳のとき、映画主題歌であるリンゴ追分が大ヒット、十代にして彼女の人気は不動のものとなった。
10代の天才歌手時代、20代後半からの圧倒的な説得力をもつ重い唄声、そして30代後半の円熟し枯れた味わいを感じさせる唄声、の3期に分かれると言われている。彼女はまた演歌の女王の名を欲しいままにしたが、特定のジャンルに留まらない幅広い表現力と歌唱力を兼ね揃えていたことでも人気が高い。デビュー曲がブギウギであり、一時期はジャズを歌い真っ赤な太陽に代表されるポップスもヒットさせている。戦後の移り変わりが激しい時代性に長く応えられたのは彼女だけである。声が柔らかく、潤いを持ち、楽々と歌い上げる歌唱力、天性のリズム感と音程の確かさ、そして何よりも歌詞の表現に合わせた喜怒哀楽を声の多彩な変化によって表す表現力は、彼女を超える人はいないだろう。
彼女が日本で最大の人気歌手となった昭和の時代は、戦中戦後と悲しさ哀れさといった、湿った風土に重なり合っていたが、演歌の女王という名に疑問をもつ人はいないまでにも、時代が変わり、明るさや軽さが求められるようになってから、彼女の人気は演歌の枠組となり、古さを感じさせずにはいられなかった。そして、昭和が終わった平成元年6月、彼女は日本中の数多くのファンに惜しまれつつ逝去されたが、その後の数多くのトリビュート盤の発売や、リミックスやカヴァー曲として現在の音楽シーンから絶大なリスペクトを捧げられている。最後の作品となった川の流れのようには、彼女の駆け抜けた人生と歌がみごとに融合された代表作となった。
(出典:HMV&BOOKS online)
名 前 : 美空 ひばり(みそら ひばり)
本 名 : 加藤 和枝(かとう かずえ)
愛 称 : お嬢(おじょう)
生年月日: 1937年5月29日
没年月日: 1989年6月24日(52歳没)
出 身 : 神奈川県横浜市磯子区滝頭
身 長 : 155cm
高 校 : 精華学園女子高等学校卒業
【受賞歴】
☆ 1960年 第2回日本レコード大賞・歌唱賞
☆ 1962年 第12回ブルーリボン賞・大衆賞
☆ 1965年 第7回日本レコード大賞・大賞
☆ 1969年 10月8日 日本赤十字社金色有功章
☆ 1969年 12月17日 紺綬褒章
☆ 1971年 第2回日本歌謡大賞・放送音楽特別賞
☆ 1973年 第15回日本レコード大賞・15周年記念特別賞
☆ 1976年 第18回日本レコード大賞・特別賞
☆ 1977年 森田たまパイオニア賞
☆ 1989年 国民栄誉賞
☆ 1989年 第31回日本レコード大賞・特別栄誉歌手賞
☆ 1989年 第20回日本歌謡大賞・特別栄誉賞
☆ 1989年 第22回日本作詩大賞・特別賞
☆ 1989年 第18回FNS歌謡祭・特別賞
☆ 2000年 第2回青森りんご勲章
【代表曲】
☆ 川の流れのように 205万枚(1989年)
☆ 柔 195万枚(1964年)
☆ 悲しい酒 155万枚(1966年)
☆ 真赤な太陽 150万枚(1967年)
☆ リンゴ追分 140万枚(1952年)
☆ みだれ髪 125万枚(1987年)
☆ 港町十三番地 120万枚(1957年)
☆ 東京キッド 120万枚(1950年)
☆ 悲しき口笛 110万枚(1949年)
☆ 波止場だよ、お父つぁん 110万枚(1956年)
【映画】
『悲しき口笛』
『東京キッド』
『鞍馬天狗』
『笛吹若武者』
『花笠若衆』
『水戸黄門 天下の副将軍』
『幽霊島の掟』
『お坊主天狗』
『ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば』
『ひばりの佐渡情話』その他
(出典:ウィキペディア)
美空ひばりさんが1962年に小林旭さんと結婚したのは有名ですが、実は入籍はしていなかったそうです。
離婚後、小林さんは「結婚生活でのひばりは懸命によき妻を演じようとし、女としては最高だった」と『徹子の部屋』で述懐しているんですね。
そんなひばりさんの晩年は、最愛の母親や相次ぐ弟さんの死、親友の江利チエミさん、トミイ&マミイで一時代を築いた大川橋蔵さん、鶴田浩二さんや石原裕次郎さんの死に接したのち、ご自身も1989年6月に特発性間質性肺炎の症状悪化による呼吸不全の併発により死去されています。
偉大な功績を残された方たちは、本当に若くして早逝されていることがわかります。
昭和の歌姫と言わせてもらいましたが、撤回して美空ひばりさんは「永遠の歌姫」と言わせてもらいます。
今、お目にかかれないのが本当に残念です。
次回は、世界のミフネと親しまれた三船敏郎さんを予定しています。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!