こんにちは、sadachi. です!
連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』が終わると、8時15分からは月~金曜日の朝の情報番組『あさイチ』が始まるんですね。
毎週金曜日は、各界のゲストを迎えてプレミアムトークがあり、女人がどんなお話をしてくれるのか、楽しみにしている人も多いと思います。
3月25日のゲストは小説家の原田マハさん、キュレーターとしても有名でニューヨーク近代美術館など数々の実績を誇り、またカルチャーライターとしても活躍されています。
2012年に集英社から刊行された『旅屋おかえり』が、2022年の1月25日から1月28日まで「NHK BSプレミアム」で放送されたときも、直前の1月21日放送の『あさイチ』に出演されていましたね。
このときは原田さんの小説がドラマ化されたので、「マハさん流・旅の魅力とは?」なんかがテーマでしたが、今回はどうなるんでしょうね。
そこで「原田マハの代表作におすすめ書籍は?旦那や子供・プロフィール経歴も」と題しまして、原田マハさんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
私が原田マハさんの代表作を1点あげるとしたら、間違いなく、最初に原田さんが書いた小説『カフーを待ちわびて』(宝島社)をあげます。
この小説を書いた後段の経歴で述べていますので省きますが、カフーというのは犬の名前で沖縄の言葉で『幸せ』という意味なんですね。
現在は文庫本も出ているので、ぜひ一度お読みいただけたら…と思います。
次に原田さんのおすすめ本なんですが、迷いに迷った挙句、ランキング形式で5つあげさせていただきますね、当然『カフーを待ちわびて』以外ということです。
1位、 異邦人(いりびと) 2015年 PHP研究所・2018年 PHP文芸文庫
2位、 リボルバー 2021年 幻冬舎・文庫未
3位、 楽園のカンヴァス 2012年 新潮社・2014年 新潮文庫
4位、 旅屋おかえり 2012年 集英社・2014年 集英社文庫
5位、 奇跡の人 2014年 双葉社・2018年 双葉文庫
次点、キネマの神様 2008年 文藝春秋・2011年 文春文庫
原田さんのキュレーターとしての存在を確かめるなら、2018年に幻冬舎刊行された『ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯』なんかは面白いですよ。
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たくさんある中から5つぐらいに絞るというのは難しいですね、20選とかでしたらズラズラとすぐに出てくるんですけど…ネ。
原田マハさんは、1990年の5月に結婚されたんですけど、旦那さまやお子さんなどご家族はどうなっているんでしょうね。
原田さんが原宿のマリムラ美術館(現在は閉館)に勤めていたころ、音楽関係の仕事をしていた現在の旦那さまと結婚されたそうです。
旦那さまは現在、原田さんのマネージャーをしているそうですが、取材などの多い原田さんにマネージャーとしてくっついているわけではないそうですよ。
1990年ですから30年以上経過している夫婦ということですよね、仲のいい秘訣として原田さんは「会わないこと」と言っているんですね。
夫婦というのはベッタリということではなくて、適度な距離を保つことが長続きのをする秘訣なんだとか、なんかわかるような気がします。
そんな旦那さまですが、お名前とか年齢などの詳しい情報はなく、お子さまに関しても影も形も追うことができないというのが現状です。
お子さまはいないのではないかという情報もあるくらいなので、ひょっとしたら2人だけということも考えられますね。
因みに原田さんの父親は写真中心の大判の本のセールスマンで、お兄さんは小説『メメント・モリ』やエッセイなどで知られる作家の原田宗典さんなんですね。
原田さんが小説を目指したのも、お兄さんの影響が大きかったと思いますよ。
それではここで、原田マハさんのプロフィールや経歴をご紹介しますね。
名 前 : 原田 マハ(はらだ まは)
生年月日: 1962年7月14日
年 齢 : 59歳
出 身 : 東京都小平市
小学校 : 岡山市立三門小学校
中学校 : 岡山市立石井中学校
高 校 : 山陽女子高等学校
大学① : 関西学院大学文学部日本文学科
大学② : 早稲田大学第二文学部美術史学専修
職 業 : 小説家、キュレーター、カルチャーライター
【受賞歴】
★ 2005年 第1回日本ラブストーリー大賞受賞 『カフーを待ちわびて』
★ 2012年 第25回山本周五郎賞受賞 『楽園のカンヴァス』
★ 2012年 第8回酒飲み書店員大賞受賞 『キネマの神様』
★ 2017年 第36回新田次郎文学賞受賞 『リーチ先生』
★ 2018年 第6回京都本大賞受賞 『異邦人』
アカウント①「公式ウェブサイト」
アカウント②「Twitter」
アカウント③「Instagram」
それでは、原田さんの経歴をザーッと時系列で追っていきましょう!
1962年に東京都小平市に生まれた原田さん、3歳のころから絵を描き始めたといいます。
1974年、小学6年生のときに父親の関係で岡山県へ転居しています。
1981年には関西学院大学文学部入学してドイツ文学科に所属、でもドイツ語ができないということで日本文学科に転科したそうです。
これによって、明治から現代にかけての代表的な小説はほぼ読破したといいますから、小説家への芽はこのあたりから培われたのかもしれませんね。
1985年に関西学院大学を卒業、卒論は「谷崎潤一郎:痴人の愛」で就職先がみつからなかったため、そのまま西宮に居残り、バイトをしながら専門学校を卒業したそうです。
1986年、お兄さんの誘いで上京し広告プロダクションに勤務するも、あまりの激務に音を上げ退職、この頃にもともと好きだった現代アートの世界に目覚め、独学で現代アートについて学んだそうですよ。
1988年には、たまたま通りすがりにオープンの準備をしていた「マリムラ美術館」に飛びこみ、「雇ってください」と訴え、その度胸を買われて就職しています。
ここで美術展の展示やコレクションの管理、広報、受付と幅広い活動をし、美術館の実務を経験しているんですね。
1990年の5月に結婚し、そのタイミングで美術館を退職、紆余曲折はあったものの次の働き口として、伊藤忠商事株式会社に転職が決まったそうです、ついていますね。
翌年から、同社の新規事業開発室で全国の地方自治体や企業の「アート、文化に関するコンサルティング」が主な業務など担当したともことですよ。
また、新しく美術館を開設する際のコンサルティングや、コレクションの売買、展覧会のプロデュースなども手掛け、世界中のコレクターやギャラリスト、美術館との交渉も行っているんですね。
このころはまだ語学力は堪能ではなかったそうですが、そこはそれ度胸だけでなんとか奇跡的にやり抜いたといいますから、すごい人なんですね。
1993年には、顧客の一人だった森ビルの森稔社長から「六本木ビルの開発に当たり、美術館を造りたいので相談に乗って欲しい」と頼まれ、「森美術館」の構想策定に関わります。
1994年になると「いつかキュレーターになりたい」と思ったそうで、早稲田大学第二文学部の美術史科を学士受験、40倍の倍率をくぐり抜け合格したんですね。
専攻は20世紀美術で、ここで学芸員の資格を取得したそうですよ。
1995年には、伊藤忠商事を退職し森ビル株式会社に入社、森美術館の設立準備室に所属して本格的に美術館づくりを進めていきます。
森社長には余程気に入ってもらえたんでしょうね、この年には森社長夫妻と一緒に世界中を視察しているんですね、そしてアートセレブに会いまったそうですよ。
以降原田さんは、六本木ヒルズのブランディングや、美術館設立にまつわるほぼすべての業務に関わったそうです、ホント! すごい気に入られようだったんですね。
1996年には早稲田大学を卒業、卒論は「ル・コルビュジエの絵画論」だったそうです。
ただ、原田さんの英語は下町英語(ブロークンイングリッシュ)だと森社長から指摘を受けたそうで、1999年に通訳学校へ入学してビジネス英語を学んだんですね。
なんか原田さんは森社長から、公私ともに指導を受けたという感じですね。
2000年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)と森美術館が提携関係を結んだことにより、MoMAに派遣され、美術館のしくみや企画展、国際展について学んだといいます。
2002年に森美術館の館長が決まったそうで、このとき原田さんは40歳になる直前、「女の人生は40代がプライム」と、またもや度胸で退職しているんですね。
想像ですが、原田さんが森美術館の館長に指名されていたら、どうなっていたでしょうね。
森ビルを辞めることなく館長職を続け、ひょっとしたら小説家「原田マハ」は誕生していなかったかもしれませんね。
今になって見ると、森社長!よくぞ館長に指名しなかった…と、言いたいぐらいです。
辞めたときはなんの当てもなかったといいますが、フリーのキュレーターとして独立したことで、都市の再生プロジェクト「Rプロジェクト」に参加、ここから色んな人に出会っていきます。
2003年、ニューヨークで勤務した経験を買われ、雑誌「インビテーション」からカルチャーライターのきっかけとなる特集記事のオファーが来たんですね。
デザインイベント「東京デザイナーズブロック」にも関わり、その後「セントラルイースト東京」というアートイベントに参加しています。
2004年にはアートイベントの続きで、「CET04 VISION QUEST」という展覧会を仕掛けたことにより、動員は一気に2万人に膨れ上がったといいます。
カルチャーライターとして文章も書きなれ、この頃には「ひょっとしてそろそろ小説書いてもいいかもな…」と、漠然と考えていたそうなんですね。
取材で沖縄へ出かけたときに、民宿の女将さんから「伊是名という島がいいところ」と聞いて出かけたのが、人生の転機になったといいますからわからないものです。
何があったのか、伊是名島で浜辺で遊ぶ男性とラブラドール犬に出会ったんですね。
「何て名前のワンちゃんですか」
「カフーっていうんです」
「どう言う意味ですか?」
「沖縄の言葉で、『幸せ』という意味です」
何と言うこともない会話だと思うのですが…。
原田さんには違ったんですね、その瞬間、何かが、どーんと下りてきた…といいます。
沖縄の離島の浜辺で、「幸せ」という名の犬に出会ってしまった……と。
帰りのレンタカーの中で、すっかり小説のプロットができあがっていた、と言うんですね。
そうなんです、原田さんにとって小説家というのが、目の前に浮かんだ瞬間…と言うのでしょうか、人生の転機、まさにそうでしょう。
2005年は、原田さんには忘れられないとしになったことでしょう、いろんなことが原田さん起こったんですね。
それらの諸々は敢えて省略させていただいて、9月13日に仕上げた最初の小説『カフーを待ちわびて』を投稿したそうです。
それが、第1回日本ラブストーリー大賞にノミネートされ、最終審査に残り、そして忘れもしない11月30日夜、宝島社より電話があり大賞を受賞したと…。
大賞受賞作品『カフーを待ちわびて』は、2006年3月20日に宝島社から刊行され、原田さんは作家デビューを果たしたというわけなんですね。
その後の活躍は言わずもがな、数々の受賞作品や映画化、ドラマ化のみならず、人気作家として押しも押されもしない存在というのは、誰しもが認めるところということです。
因みに原田マハという名前は、フランスの画家ゴヤの『裸のマハ』から取ったというんですね、さすがキュレーターというところでしょうか。
原田マハさんの名前にまつわるエピソードを1つご紹介しますね。
小説家のきっかけになった伊是名島にお礼を兼ねて訪問した際、地元の人たちが歓迎会を開いてくれたそうなんですね。
そのとき初めてできた名刺”原田マハ”を渡したところ、「原田又八(またはち)さんですか、いい名前ですね」と感激されたそうです。
それ以降原田さんは、俳号を「又八」としているそうですよ。
金曜日朝の『あさイチ』、原田さんはどんなお話をしてくれるのでしょうね、楽しみです。
★ NHK総合『あさイチ』 3月25日(金) 8:15〜8:50
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「原田マハ」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「原田マハの代表作におすすめ書籍は?旦那や子供・プロフィール経歴も」と題しまして、原田マハさんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
2021年の1月21日に原田さんのプレミアムトークが放送されたとお伝えしましたが、そのときの反響が大きかったということで、今回の放送はその再構成になるみたいですね 。
初回放送日: 2022年3月25日
「あさイチ」プレミアムトーク特別編▽これまでに放送した中から反響の大きかった回を再構成しました▽作家・原田マハさん 美術をテーマにした小説などで人気!▽44歳で作家に転身 「度胸」と「努力」の人生▽「旅屋おかえり」マハさん流・旅の魅力とは?▽影響を受けた“破天荒な”父への思い 【キャスター】博多華丸・大吉、鈴木奈穂子
出典:『あさイチ』公式サイトより
ということなので、先に視聴された方もいるかも知れませんが、原田さんのお話そのものはとても素敵なので、私ももう一度確認したいと思います。
金曜日の『あさイチ』、プレミアムトークは原田マハさんですよ。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!