こんにちは、sadachi. です!
12月27日(日)午後1時半に放送される『ザ・ノンフィクション』、あの駆け込み寺の熱血和尚だった廣中邦充さんが特集されるんですね。
会社員から住職の父親の跡を継いで住職になり、1996年頃から心の問題を抱えた少年少女たちを無償で預かるようになったんですね。
その廣中さんが20年以上にわたり更生させてきた少年少女は、1000人は下らないそうそうなんですね、1000人ですよ。
そして2012年に肺がんが見つかるのですが、治療を続けながらものともせずに、全国を飛び回った壮絶な人生に、悔いはなかったと思いますね。
そうは思いたいのですが、昨年この世を去られ享年68歳でしたから、今の時代的にはやはりちょっと若すぎますよね。
そこで「廣中邦充の息子とモモコ・ショウやタクマも!嫁や家族にプロフ経歴も」と題しまして、廣中邦充さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
愛知県岡崎市のとある山の中に、小さなお寺があります「浄土宗西居院」、ここが廣中さんの居城といいますか、子どもたちの更生の場だったんですね。
廣中さんの少年時代は相当のワルだったそうで、そのことが行き場を失った少年少女に向けられたのでしょうか。
それとも、廣中さんには息子さんが2人おられるのですが、その息子さんも廣中さんがそうであったように、少年時代はワルで子どもたちを更生させたいと思ったのでしょうか。
今となっては確認することができませんが、何らかのきっかけがあったんでしょうね。
モモコの両親は一度離婚して、再び同居するのですが再婚ではなく微妙な家族関係だったそうで、モモコは反抗的な態度を取り、家の壁を殴って壊したりしていたそうです。
中学生になって非行に走り、2年生のときに廣中さんのお寺にやってきたんですね。
でも休日のたびに派手な化粧をして街に繰り出し、自ら男に声をかける生活を送っていたそうですが、ある日無断で外泊しそのまま行方不明になったそうなんですね。
廣中さんや寺に住むほかの子どもたちが必死になって探す中、両親に連れられてモモコはお寺に現れたといいます。
そのとき、両親や寺の子どもたちを含むみんなで話し合った結果、モモコの心に響くものがあったんでしょうね、ようやく変わるきっかけをつかんだそうですよ。
まあ話し合いと表現しましたが仲間意識ですね、お寺の先輩格であるマヤはモモコの胸ぐらをつかみ「誰もてめぇのこと信じなくなるぞ!」と真剣に怒ったというんですね。
モモコは、怒られ叱られ心配され、それらすべてが自分に対する愛情だとわかったと思うんですね、これは更生すると思います。
非行や虐待、いじめ、薬物依存などの理由から親元で暮らせなくなった子どもたちの居場所となる小さなお寺「西居院」が舞台になっています。
その寺で壮絶な思春期を過ごしたのが、ショウとタクマだったんですね。
非行グループに属していたショウは、バイクの窃盗を繰り返し、13歳にして少年鑑別所に送致される寸前だったそうなんですね。
兄貴分のタクマもまた「九州の中学生ヤクザ」と、異名を取るほどのワルだったとのことですよ。
2人の出会いは11年前に、ショウが少年院に送られる寸前に廣中さんの元に預けられた日にさかのぼるそうですよ、ということはタクマはすでに居たんですね。
ここで2人は壮絶な思春期を過ごすことになるんですね、子どもたちから「おじさん」と呼ばれている廣中さんは、第二の父親のような存在なっているんですよ。
そんなおじさんやほかの子どもたちに温かく迎えられたショウは、少しずつ落ち着きを取り戻していくんですね。
ところがある日、事件が起こってしまったんですね…!?
そんなころ、子どもたちの精神的な支えであった廣中さんが、ステージ4の肺がんに侵され、その後に脳転移が発覚しているんですね。
そのとき、ショウとタクマは…!?
熱血和尚・廣中さんと傷ついて悩める子どもたちの心の触れ合いを見つめ続けた、11年間の映像記録が今回の『ザ・ノンフィクション』なんですね。
そしてそれは正に、ショウとタクマの物語でもあるんですよ。
廣中さんには2人の息子さんがいるとお伝えしましたが、奥さまである待子さんと4人家族ということになりますね。
奥さまの待子さんは、現在70歳だそうで看護師さんをしていたそうですよ、廣中さんとは中学時代の同級生だったそうですよ。
子どもたちが寺に来て一緒に生活するということは、当然食事の世話は奥さまの分担だったそうなんですね。
奥さまは、子どもたちのことをどう思っていたんでしょうね。
最初は不良と言っていい少年少女ですから、ちょっとしたきっかけで何をされるか分からないですよね、これは廣中さんのよき理解者でなかったらできなかったと思うんですよね。
熱血和尚・廣中邦充さんの陰になり日向になり、という奥さまの姿が見えてくるような気がするんですけど、どうでしょうね。
息子さんの名前や年齢は分かっていないのですが、廣中さんがどこかで1996年頃だったと思いますが、「大学に入学した」と話したそうですよ。
お寺「西居院」は廣中さんの肺がんのあと、ご長男が会社を辞めて住職になっているそうですよ、これって父親の廣中さんと一緒じゃないですか。
息子さんは、廣中さんがやっていた子どもたちの、更生に関わっているんですかね、興味ありますけどこのあたりは、番組でやってもらえるんでしょうかね。
それではここで、廣中邦充さんのプロフィールや経歴を確認しておきましょうね!
【廣中邦充さんのプロフィール】
名 前 : 廣中 邦充(ひろなか くにみつ)
生年月日: 1950年8月28日
逝 去 : 2019年4月16日
出 身 : 愛知県岡崎市真福寺町
大 学 : 大正大学仏教学部
所 属 : -
廣中さんは、愛知県岡崎市真福寺町で西居院住職の次男として生まれているんですね。
少年時代は地元でかなりのワルで、何度も警察の世話になっていたそうですよ、何度も警察沙汰になるというのは考えられないですけど、相当だったんですね。
住職になったときに、その頃の自分を振り返り若者を更生させたいと思ったとしても、不思議ではありませんね。
高校時代の恩師の支えによって徐々に更生、その後に大正大学仏教学部に進学しています、仏教学部ということは将来的には家業であるお寺を継ぐと思っていたのかもしれませんね。
高校時代の恩師とのエピソードですけど、不良でヤンキーの廣中さんが無期停学が明けた直後に、またもや暴力事件を起こしてしまうんですね。
その時点で職員会議で退学だったそうですが、若い男性教師=恩師が泣いて土下座をして廣中さんをかばってくれたそうで、これで退学を免れているんですよ。
その後に廣中さんは、その男性教師の家に1ヵ月間住み込み、真剣に向き合ってくれたそうなんですね、これが更生のきっかけとなり大学受験を目指すことになったわけなんですね。
この恩師とのエピソードに関しては、廣中さんの人生に大きく関わったんじゃあないでしょうか、子どもたちを預かって更生させることのベースになったと思いますね。
卒業後はソニーに入社しています、ソニーの販売会社へ出向しそこでは全国トップの営業成績を記録したそうですよ。
ソニーを退職したあとは、独立して塾や複数の会社を経営したそうですよ、複数というのは次から次という意味でしょうか、それとも一時に文字通り複数ということでしょうか。
どちらにしても1990年といいますから40歳のときでしょうね、父親が病気で倒れ廣中さんが西居院21代住職に就任することになるんですね。
経営していた会社はどうなったんでしょうね、従業員の方もおられたと思うんですが…!?
そして1996年頃から自ら住職を務める西居院で、心の問題を抱えた少年少女達を無償で預かるようになっているんですね。
お寺には常に10人以上の若者たちが共同生活をしているんですね、怒るときは怒る、叱るときは叱るんですが、基本的には自由な雰囲気だとのことですよ。
その生活のほとんど若者たちの自主性に任せられ、例えばですけど20歳を過ぎれば喫煙や飲酒も許されており、携帯電話の使用や外出も自由ということなんですね。
そんな共同生活なんですが、「夕食は全員一緒にたべること」と「部屋にこもらないこと」の2つだけは、ルールとして決まっているとのことですよ。
廣中さんが厳しく接する対象は若者たちではなく、その親たちだといいます。
親には厳しく「もっと本気で子育てをしろ!」、「家庭に愛が溢れていれば、子どもは飛行には走らない!」などと説教をして、親たちの意識改革にも努めているんですよ。
肺がんが見つかったあとも全国を飛び回り、最後まで活動を手は緩めなかったといいます。
お寺にやってきた若者たちにはときには厳しく叱り、ときには優しく包み、廣中さんの愛と情熱で癒され、自信を取り戻し、やがて社会へ巣立っていくんですね。
12月27日(日)の『ザ・ノンフィクション』、残念ながら廣中さんの出演を仰ぐことはできませんが、ショウとタクマの物語も含めて、映像で紹介されるんですね。
その内容といえば、2019年6月に『ザ・ノンフィクション』で放送され、民放連賞・テレビ教養部門の最優秀賞、ATP賞グランプリ、ニューヨークフェスティバル2020ドキュメンタリー宗教/哲学部門・銀賞など、国内外で数々の受賞をした番組として、「その後」の最新映像を届けてくれるということなんですね。
★フジテレビ系『ザ・ノンフィクション』 12月27日(日) 13時30分~14時25分
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今回は「廣中邦充の息子とモモコ・ショウやタクマも!嫁や家族にプロフ経歴も」と題しまして、廣中邦充さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
20年にわたり、常に家には大勢の子どもたちがいたことに奥さまの待子さんは、
「一人になりたいこともあるよ。だけどお父さんと二人だけだったらこの家は寂しいと思うし」、「良くもあり悪くもありだ」
と、笑ったとのことですよ、その瞬間に廣中さんとのどんな場面が浮かんだんでしょうね。
子どもたちから「おじさん」と呼ばれて親しまれていた廣中さん、20年にわたり、問題を抱える子供たちを無償で預かり、更生に導いてきた数は1000人を超えているといいます。
「おじさん、ありがとう…」
愛知県岡崎市の山の中にある小さな寺「平成の駆け込み寺」と、そこを子どもたちの居場所にした廣中邦充さんは、いつまでも輝き続けることでしょうね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!