こんにちは、sadachi. です!
今夜のNHK総合『逆転人生』の主役は、和歌山のアドベンチャーワールドで働くパンダの飼育員・熊川智子さんです。
熊川さんは、パンダの繁殖を何度も成功させた”伝説の飼育員”として知られています。
そんな熊川さんですからね、どんな逆転人生があったのでしょうか?
そこで「熊川智子パンダ飼育アドベンチャーワールド!プロフィールと逆転人生」と題しまして、パンダのプロフェッショナル熊川智子さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
熊川智子さんは、1993年に株式会社アワーズ(アドベンチャーワールド)に入社しているんですね。
東京出身の熊川さん、和歌山がどんなところかもわからずに飛び込んだアドベンチャーワールド、最初の1年間は遊園地で接客を学んだそうですよ。
2年目からふれあい広場で小動物の担当をするようになったんですね。
馬やポニー、小動物、カバなどを担当したそうですが、最初にポニーの調教をしていたら発疹が出て、自分は「馬アレルギー」だと気づいたそうなんですね。
これはもう飼育員はできないかと悩んだそうですが、友達もできたことだし頑張ってみようとなんとか克服して続けたんですね。
熊川さんは2003年、タイミングとしては「隆浜(リュウヒン)」と「秋浜(シュウヒン)」の双子が誕生するときに、パンダの飼育員になっているんです。
隆浜、秋浜の出産を目の当たりにした熊川さん、パンダの赤ちゃんは小さくお腹の膨らみも分からないまま、突然生まれたように思ったそうですよ。
隆浜は167グラム、秋浜は106グラムしかなかったそうですよ。
パンダは自然界では、たいてい1頭しか育たないといわれているんですね。
ですから、中国の成都ジャイアントパンダ繁育研究基地では、お母さんの隙を見て赤ちゃんを交互に入れ替えて授乳させているそうなんですね。
ところが、2頭の母親の梅梅は2頭ともいっぺんに授乳しちゃったそうです。
このままでは、どちらかが死んでしまうかもしれないと、中国の指導員も交えて議論をして結局は、梅梅に任せることにしたそうなんですね。
それからは交代で24時間の監視を続け、感染を防ぐために飼育員は犬などとの接触も禁じられたとのことですよ。
エサでも苦労したそうです、何種類も竹を用意するのですが、美味しいところしか食べなかったそうで、排ガスや潮風があたっていると、匂いをかいでポイと捨てられたそうです。
特製ビスケットやミルクの調整にも神経を使ったそうなんですね。
そんな中、母親の梅梅は本当に賢く、きちんと子育てをして2頭を立派に成長させています。
もちろん熊川さんは、パンダの飼育員として隆浜や秋浜だけでなく、ほかのパンダの世話もしているのですが、一番つらいのはパンダとの別れだといいます。
中国野生動物保護協会と協定しているため、たとえ日本で生まれたパンダであったとしても、中国へ返還しなければならないんですね。
どのパンダがいつ返還かは話し合いがもたれるそうですが、2004年にオスの雄浜がお嫁さんを求めて中国へ里帰りすることになったそうです。
熊川さんは別れに際して、「『こんにちは』は、中国語で『ニーハオ』だよ。挨拶はちゃんとしないとね」と話しかけたそうですよ。
熊川さんは、雄浜が去って2ヵ月後に様子を見るために中国を訪ねています。
制服を着てそれを見せながら声をかけると、雄浜がオリに背中を押し付けてきたので、いつものように掻いてあげたそうですよ、雄浜も嬉しかったんでしょうね。
雄浜の空白を埋めるように、2005年に幸浜が生まれ、2006年には愛浜と明浜が生まれているんですが、入れ替わりに2007年に熊川さんが手塩にかけた隆浜と秋浜が中国へ返還されたそうですよ。
パンダの飼育員になって、最初に手掛けた隆浜と秋浜ですからね、感慨と悲しみもひとしおをだったんじゃあないでしょうかね。
熊川さんは2007年にアメリカのサンディエゴに研修に行っているんですね。
イルカショーなどの演出を学ぶことが目的だったそうですが、パンダ舎を見て「パンダ飼育ならうちが一番」と自信を持ったそうですよ。
いまでは、飼育部ふれあい課でセクションマネージャーとなった熊川さん、世界屈指のパンダ飼育員として講演なども積極的に行っているんですね。
熊川さんは、「自分ではすごいことをしているという気持ちはありませんが、お客様に大変な仕事ですねと、ねぎらっていただくとうれしいですね」と語っているんですよ。
ここからは、熊川智子さんのプロフィールを見ていきましょうね!
熊川さんは、1972年東京都生まれなんですが、なんとこの年には日本に初めて中国からジャイアントパンダの康康(カンカン)と蘭蘭(ランラン)が贈られているんですね。
結果論ですけど熊川さんは、よほどパンダに縁があったと言わざるを得ませんね。
熊川さんは、子供の頃からイヌやネコを拾ってきてはご両親に怒られていたそうですよ。
動物に携わる仕事がしたいと、飼育員を目指して都内の専門学校に進学するんですね。
公務員などの選択肢もあったといいますが、動物好きが認められた先生に進められ、アドベンチャーワールドを訪れた際、即決したとのことですよ。
陸や海、小動物などいろいろな動物の世話ができると考えたのが志望理由でアワーズに入社、
1993年から和歌山暮らしがはじまっているんですね。
このときは、まだパンダはいなかったんですが、1994年には中国成都から2頭来たというんですね、やっぱりパンダに縁があったとしか言えませんね。
馬やポニー、小動物、カバなどの担当を経て、2003年にパンダの飼育担当となっています。
3年ほどで一旦現場を離れて、営業や企画、広報を担当することになったんですが、2012年には再びパンダを担当するようになっているんですね。
熊川さんはリーダーとしてチームを率いて、ジャイアントパンダをはじめとする動物の繁殖に取り組んでいるんですよ。
「アドベンチャーワールド」
★ 運営会社: 株式会社アワーズ(AWS CO., LTD)
★ 所在地 : 〒649-2201 和歌山県西牟婁郡白浜町堅田2399番地
★ 電話番号: 0570-06-4481(代表)
★ ホームページ:アドベンチャーワールド
これまで熊川さんをズーッと追ってきて、逆転人生といわれるようなところはなかったように思うんですが、どうでしょうか。
NHKの番組紹介を見てみますと、
夏休み!家族でみてほしい、パンダ飼育員の逆転人生▼和歌山のアドベンチャーワールドで働く熊川智子さん。パンダの繁殖を幾度も成功させた“伝説の飼育員”が主人公▼痛恨…駆け出しの頃の大失敗▼絶体絶命のピンチを救ってくれたのは、パンダ!?▼神秘!パンダの出産シーンを撮影した秘蔵映像を特別公開▼「これホンモノ?」再現ドラマの本気度にアンタ柴田も衝撃!▼「なんてわがままなの!」パンダの生態に山里もお手上げ!?
と、なっているんですね。
「痛恨…駆け出しの頃の大失敗」
「絶体絶命のピンチを救ってくれたのは、パンダ!?」
ということは…?
ジャイアントパンダは、50%の確率で双子を生むというんですね、でも、強くて成長しそうな1頭しか育てないといいます。
それを飼育施設では、人の手でサポートすることで、双子を2頭とも育てることに成功しているそうなんですね。
熊川さんがパンダの飼育を担当した最初に、梅梅の出産に立ち会っていますよね。
そのときに隆浜と秋浜の双子のパンダが生まれているわけですが、母親の梅梅は2頭一緒に
授乳したんでしたね。
人のサポートで…、ということは、逆転の手がかりはこのあたりにありそうですね。
今夜の番組では、パンダの出産シーンを撮影した秘蔵映像も特別公開するそうですから、すべてが『逆転人生』の中に詰まっているのではないでしょうか。
★ NHK総合『逆転人生』 8月17日(月) 夜 10時~10時45分
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注)アイキャッチ画像に関しましては、「杏樹(Anju)@けもフレ2もケムリも好き」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「熊川智子パンダ飼育アドベンチャーワールド!プロフィールと逆転人生」と題しまして、パンダのプロフェッショナル熊川智子さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
熊川さんは、「私にとって大きかったのは1度目のパンダの担当を外れた後の異動でした」と語っています。
そこで営業や企画、あるいは広報として取材の調整などを行った結果、お客がパンダをどう見ているか、またアワーズに何を求めているのかを体感できたというんですね。
だからこそ、今のポジションに責任を感じているといいます。
いつパンダの担当を外れるか分かりませんが、次の部署へのワクワク感もあるそうですよ。
自分の将来への楽しみがあるなんて、素敵ですよね。
熊川智子さんは、1972年生まれですから47or48歳、一番あぶらの乗っている時ではないでしょうか。ますます期待できますね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!