こんにちは、sadachi. です!
毎週月曜日午後10時から放送のNHK総合『逆転人生』は、逆転無罪判決やスポーツでの大番狂わせ、奇跡の生還 etc を特集する番組になっています。
泣いて、笑って、勇気をもらえる…ドラマよりドラマチックな真実の逆転劇なんですよ。
今回人生を逆転させた主人公は、山形の紡績・ニットメーカー佐藤繊維社長の佐藤正樹さん、一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いがあった繊維業界も、時代の波には逆らえず暗黒の時代へ…。
佐藤繊維がある寒河江エリアもかつては紡績業が盛んで、たくさんの工場がありましたが、現在では衰退してしまったというんですね。
そこで佐藤さんが、会社存続のために打った手とは、どんなことだったんでしょうね。
今回は「佐藤正樹 山形の糸作家・逆転人生!佐藤繊維とは?妻や家族・金髪も」と題しまして、佐藤正樹さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
東北地方山形県、雪深い冬には当然農業はできません。だから、多くの人々は養蚕に頼って生きてきたというんですね。
でも時代の流れの中で、日本人の衣服は着物から洋服へと移っていくんですね、それが昭和になると特に顕著になっていきます。
そうなんです、レーヨンなる合成繊維が生まれ、生糸が売れなくなって、さらにもうシルクは要らないとまで言われるようになるんですね。
そんな中で、佐藤正樹さんの曾祖父・佐藤長之助さんは、高値で売れる羊毛に着目したんですね、実業家の才能があったんでしょうね。
農地を捨てることはできないけど、農家が1頭や2頭の羊だったら飼うことぐらいはできるだろうと考え、山形や秋田、福島の各地から羊毛を集め繊維業に進出しているんです。
こうして1932年に佐藤繊維が創業したんですよ。
祖父・佐藤忠雄さんの代になると、たまたまですけど寒河江地区に廃業するお酒の醸造元が見つかり、その石造りの酒蔵を買い取って工場を移築したんですね。
そして工業化を進めて、紡毛紡績をスタートしているんですよ。
1964年、佐藤正樹さんの父親の三代目社長・佐藤安男さんの代になって、レディスニットウェアの製造が始まっているんですね。
羊の毛を糸にしていく工程は手紡ぎの時代から進化し工業化され、クオリティの高い糸が作れるようになったそうで、業績が伸びていったといいます。
佐藤正樹さんが、文化服装学院を卒業してアパレルメーカー勤務を経て故郷の山形に戻ったのは、1995年頃でしょうか。
その後、佐藤正樹さんが四代目として家業を継いだのは2005年のことになります。
山形に戻ったときは、先人たちが築いてくれた生産量はピークを迎え、長く続いてきた順風が終わりを迎えようとしていた時期だったんですね。
というのも、安い人件費を背景とした海外製品が大量に入ってきてアゲンストの風となり、山形に約450社あったニット工業組合もどんどん消えていったそうです。
その波にはあらがうすべもなく、20社余りを数えるほどに減ってしまったそうですよ。
苦闘を続ける中で佐藤さんは1997年、イタリアで開催された糸の展示会「ピッテイ・フィラティ」を訪ね、衝撃を受けたというんですね。
日本ではいかに安く作るかが課題であり、売れるものがあれば猫も杓子もそこを目指しているといった時代だったんですね。
ところが、イタリアでは見たものは、自分たちが本当につくりたい糸を自由につくっていたというんですね。
佐藤さんは、今のままでは永遠に勝つことはできないと感じて、まったく違った戦いをしようと腹をくくったそうですよ。
佐藤さんが目指したのは、当時不可能とされていた「世界一細いモヘアづくり」だったんですね、そのためには最適のモヘアを探し出さなければなりません。
その後は糸を求めて、オーストラリアやペルーへと足を運び、数年かかって南アフリカで、ようやくアンゴラヤギの毛「モヘア」に出会ったそうです。
吸湿性に優れ、なめらかで光沢に溢れていたそうですよ、理想のモヘアだったんですね。
それでも苦難は続きます、いくら説得しても古手の職人は「正樹ちゃんは、イタリアへ行っておかしくなった」と言われ、できない、編めない、とすべて否定されたそうですよ。
3ヵ月にわたって説得を続けたある日、50代半ばの技術職のトップが、佐藤さんの机の上に糸が巻かれた筒をドンと置いたそうなんですね。
ところどころに玉のような膨らみがあり、不規則なグラデーションのかかった見たこともない不思議な糸だったそうです、佐藤繊維が生まれ変わった瞬間ですね。
それからは流れが変わったんですね、ここをもうちょっと細くできないかなと言うと、「やってみる」とか「たぶんできる」という答えが返ってくるようになったそうですよ。
2001年に自社ブランドスタートさせ、「M.&KYOKO」をニューヨークで発表し、2005年に四代目社長に就任したのは、前出の通りです。
2007年には、イタリアのフィレンツェで行われた国際的な繊維と生地の見本市への出展に踏み切ったんですね。
出展最初の年で、与えられたのは地下の隅の端っこで誰も来ないような場所だったそうです。
佐藤さんは照明をすべて消し、小さなスポットだけにして真っ暗な中にボワッと浮き上がるように設えたそうですよ。
糸が見えるか見えないかよりも、ここにどうやったら人を呼べるかを優先した苦肉の策だったと、述懐しているんですね。
やっと1人やってきてモヘア糸を見ていったのは、ニット界では有名なバイヤーだったそうなんですね、その口コミで人が集まってきたというから、ラッキーでしたね。
その年は商談にならなかったそうですが、資料やサンプルを求められ、翌年の出展では世界の一流ブランドがこぞって佐藤さんの糸を求めたというんですね。
佐藤さんの糸を有名にしたのは、2009年1月にオバマ大統領が就任したときやその後のノーベル平和賞の授賞式だったんですよ。
そのときにミシェル大統領夫人は、公式の場はオートクチュールとの慣例を破り、どちらの場にもニットのカーディガンで出席したんですね。
そのカーディガンが、まさしく2008年の展示会で求められ、ニナ・リッチに納品した佐藤さんの糸で編まれたものだったんですよね。
佐藤さんは、
「世界中のニット工場を巡り、ほぼすべてを見てきましたが、ここ20年ほどニット自体はあまり進歩していません。だからこそ、新しいことにチャレンジして、今までになかった糸や製品を生み出していくことが私の使命だと感じています」
「オリジナルの糸作りから編み地の開発、立体的な型の設計やディテールを追求した縫製など、究極のニットを目指して挑戦しています。例えばニットジャケット。ニットの弱点である横伸びを克服するため、特殊編みの『SGリブ』を独自開発して強度を高め、身ごろや袖をそれぞれ成形編みで一枚に仕立て、ニットジャケットにもかかわらず立体感を出しています。同様にニット仕立てでありながらクリースラインを編みで表現したドレスライクなパンツもあります。このブランドをはじめとして、ニットの新しい歴史と文化をつくり、世界に発信していくことを目標にしているのです」
と語っているんですね。
これぞ、糸作家としての面目躍如といったところで、佐藤さんの人生そのものを逆転させたと言ってもいいでしょうね。
それではここで、佐藤繊維の概要を確認しておきましょうね。
【佐藤繊維の概要】
商 号 :佐藤繊維株式会社
本 社 :〒991-0053山形県寒河江市元町1-19-1
代 表 :代表取締役佐藤正樹
従業員数:234名(2019年5月)
資本金 :5,410万円
電 話 :0237-86-3134(大代表)、Fax 0237-86-7716
E-Mail :info@satoseni.com
H.P. :https://satoseni.com/
佐藤繊維は、1932年(昭和7年)、山形県寒河江市にて紡績業を生業とし創業した紡績・ニットメーカーです。
糸づくりから製品の仕上げに至るすべての工程において「日本のものづくり」を大切にし、
独自の目線と自由な発想で、オリジナリティ豊かな製品を世界に向けて発信しています。創業当初から続く紡績部門は、ウールや獣毛系の特殊形状意匠糸や工業用紡績糸に加え、コットン、リネンなど 植物性天然繊維の企画開発にも近年、注力しています。
ニット製品のプロダクトにおいては、2001年、自社ブランド「M.&KYOKOエムアンドキョウコ」をローンチ。その後、FUGAFUGAフーガフーガ、991キューキューイチ、その他、自社ブランドの企画からプロダクトの全てを自社にて精力的に推進。またOEM、ODMの研究開発、企画、製造のすべてを国内で行っています。
佐藤さんの奥さまは佐藤今日子さんといいまして、1992年に結婚されているんですね。
文化女子短期大学を卒業されたそうで、アパレルメーカーでパタンナーやデザイナーとして勤務されていたそうですよ。
現在は、「M&KYOKO」のスタイリングデザイナーとして活躍されているんですね。
ひょっとしたら、佐藤さんが勤めていたアパレルメーカーで出会われたのかもしれませんね。
お子さまやその他の家族の情報はありませんでした、一般人ということで公開されていないのが現状だと思います。
それにしても佐藤さんの金髪、インパクトあると思いませんか?
一度会ったら、あ~あの金髪の社長と一発で覚えてくれて、忘れられないでしょうね。
そうなんです、金髪は忘れられないためなんだそうですよ、あの地下の展示会がありましたよね、糸を見せるよりどうやっらここに人を呼べるかって。
それと同じで普通だったらテレビ通販でもビジネスを感じるだけ…それではアカンと、ちゃんと佐藤繊維の社長と認識してもらうためなんだそうですよ。
そのために、「糸作家」という肩書にして、視聴者へあの金髪の社長…という印象を与えながら、糸やモノづくりへのこだわりを熱く語っているんですね。
佐藤さん曰く、そのおかげで繊維業界の金髪と言えば、佐藤繊維の佐藤正樹社長というイメージが定着したので、顔をすぐ覚えてもらえるようになったそうですよ。
あのボサボサともいえる金髪には、そんな思惑があったんですね、深い!
ということで、私たちも今夜の『逆転人生』で、金髪・佐藤正樹社長を確認しましょうね。
★ NHK総合『逆転人生』 5月17日(月) 22:00~22:45
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「毎日新聞」さんの画像を使用させていただいております…♡
今回は「佐藤正樹 山形の糸作家・逆転人生!佐藤繊維とは?妻や家族・金髪も」と題しまして、佐藤正樹さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
ブログ途中で佐藤さんは世界一細い糸を目指したと書きましたが、2007年に出品したものでアンゴラヤギのモヘア糸が通常1gで26~27mのものが、52mまで伸ばした革新的なものだったそうですよ。
また別のデータでウールも、普通は19.5~20.5ミクロンだそうですが、佐藤さんのウールはわずか14.8ミクロンだそうなんですね。
今、寒河江の佐藤繊維には日本中から若い人材が集まってくるそうですよ。
「正樹ちゃんおかしくなったんじゃないか」と言われた佐藤さん、しっかりと山形に根付いたようですね。
今夜放送の『逆転人生』で何をお話ししてくるのか、佐藤正樹さんの人生を見つめて、人間何を信じたらよいのかを学んでみたいと思います。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!