こんにちは、sadachi. です!
あのクラゲ水族館の生みの親と言われる村上龍男さん、昨年6月にNHK『逆転人生』に出演されたのですが、覚えていますか?
山形県鶴岡市にある鶴岡市立加茂水族館、愛称は「クラゲドリーム館」なんですね。
村上さんは、クラゲの繁殖に取り組んで、世界で注目されるようになり、経営が傾いていた水族館を一転、大人気の水族館に変身させたんですね。
これぞ逆転人生、その村上さんが今夜のNHK『逆転人生』の再放送で帰ってきます。
そこで「村上龍男のプロフィールや経歴は?事務所や講演会も!クラゲの話は?」と題しまして、村上龍男さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
ではまず最初に、村上龍男さんのプロフィールから確認していきましょうね!
【村上龍男さんのプロフィール】
名 前 : 村上 龍男(むらかみ たつお)
生年月日: 1939年11月26日(80歳)
出 身 : 東京都渋谷区(原宿)
中学校 : 泉村立泉中学校(鶴岡市立羽黒中学校)
高 校 : キリスト教独立学園高等学校
大 学 : 山形大学農学部
所 属 : 村上龍男事務所
村上龍男さんは東京生まれなんですね、1939年といえば第二次世界大戦が勃発した年じゃないですか。
2歳のときといいますから、すでに東京なんかでは空襲など始まっていたんですかね、村上さんは父親の実家に戻る形で山形県に移住しているんですね。
そのままズ~ッと、山形県で過ごすことになり、現在に至っているんですよ。
大学は山形大学農学部に進み、サンゴなどの研究を行った生物学者・生態学者の阿部襄教授に淡水魚の生態なんかを学んだそうですよ。
卒業後は、一時期東京の株式会社佐藤商事でサラリーマンになるのですが、生き物への夢があったんでしょうね、1966年に地元の加茂水族館に飼育主任として採用されるんですね。
このときの加茂水族館は鶴岡市が所有していたのですが、経営不振ということで1967年に民間の株式会社庄内観光公社に売却されているんですね。
村上さんが27歳のときなんですが、職員は訳が分からないまま転籍となり、村上さんはこのタイミングでいきなり館長に任命されたんですよ。
売却から4年後の1971年には、庄内観光公社の経営不振から水族館は閉館に追い込まれてしまったんですね。
残された職員は村上さん含めて4人、水族館に泊まり込みながら、魚や動物たちの世話を必死に続けたそうですよ。
困窮ぶりを知った地元の人たちから募金やエサなどが寄せられたといいます、そんな先の見えない暗闇の日々が続く中、翌1972年に地元出身者が経営する会社がオーナーになってくれたといいます。
そして、どうにかこうにか水族館は再出発することになったんですね。
一度地獄の底に叩き落された村上さんたちは、入館者を増やそうと必死になり、色んな集客策を打ち出していったんですね。
一端を紹介しますと、アライグマやアシカ、ハナグマやコツメカワウソ、ラッコの導入などを図っているんです。
また特別展も「世界のナマズ展」や「アフリカの魚展」、「シーラカンスと古代魚展」などもやったそうですが、周辺に大型の水族館もでき、なかなか結果に結びつかなかったといいます。
入館者数も鶴岡市立時代の20万人を大きく下回り、15万~10万人台と低迷し続けたそうなんですね。
この当時は「落ちこぼれ水族館」なんていう、不名誉な称号まで付けられたそうですよ。
老朽化した施設の改修や補修もできず、職員の給与は据え置かれたまま、鶴岡市からの援助なども一切なく、2度目の閉園の危機が刻々と近づいていたといいます。
1997年、最後の悪あがきと企画したのが当時流行っていたサンゴ、「生きたサンゴと珊瑚礁の魚展」で、半ばやけっぱち気味の大勝負に打って出たんですね。
結局この企画展も大失敗、この年の入館者数は9万2000人と過去最低を記録したそうです。
これで万事休すだったんですね。。。。。。でも、世の中分からないものです…!?
ちょっと一休みしましょうね、村上龍男さんらが必死になってV字回復させた加茂水族館、収益が良くなったからでしょうか、2002年に鶴岡市が買い戻して鶴岡市立加茂水族館に戻っているんですね。
村上さんは2015年に水族館館長を勇退、シニアアドバイザーに就任しています。
この年に「村上龍男事務所オフィシャルサイト」を超人気の村上さんの講演会の依頼や問い合わせなんかを受け付けているそうですよ。
ただ、村上龍男事務所は施設事務所ということで、住所等の公開は控えさせていただいているとのことです。
村上龍男事務所オフィシャルサイト
講演会等各種依頼および相談は「こちら」
また、村上さんは2019年に鶴岡市より、水族館名誉館長を委嘱されています。
さきほど、「生きたサンゴと珊瑚礁の魚展」の企画展の失敗までお伝えしたんですね。
このサンゴの水槽の中から、小さな生物が偶然に泳ぎ出すのを当時の奥泉和也副館長が見つけたそうなんですね。
「これは何だ?」となったらしいのですが、サカサクラゲの赤ちゃんだということが判明したんですね、サンゴにくっついていたのが繁殖したそうですよ。
これにエサを与えたところ、500円玉くらいの大きさに成長したそうで、これを展示するとお客さんは大喜びだったそうなんですね。
お客さんが喜び、水槽を見つめる笑顔に初めて手ごたえを実感、「これだ!」ということになったんですね。
どん底から”逆転人生”の始まりとなったわけです!
そこからクラゲに特化した水族館に造り上げるまでの道のりも平坦ではなかったのですが、自分たちで考え、工夫を重ね、自ら答えを導き出していったんですね。
動かないサクラクラゲはたやすかったそうですが、ほかのクラゲは飼育が難しく寿命も短かったといいます。
ですから、自分たちで繁殖させなければ展示が続かなかったんですね。
試行錯誤を繰り返し、奥泉副館長が独自の水槽を開発するなど、クラゲの飼育と繁殖方法を確立させていったんですね。
閉園寸前のボロボロの水族館だったので、クラゲ用に施設を壊して改造しても、誰も文句を言うものはいなかったそうですよ。
こうして「世界一のクラゲ水族館を造る」という夢に、全員が一丸となったんですね。
村上さん曰く、クラゲに出会って仕事の楽しさを初めて知ったとして「今までのすべての負けが、オセロゲームのようにいっぺんにかわりました」そうですよ。
2000年に12種のクラゲを展示、日本一の種類数を誇ることになり、2005年には20種以上を常設して、世界一の展示となっているんですね。
2008年には、35~40種類のクラゲを展示し、展示種類数でギネス認定されたんですよ。
2014年6月1日に鶴岡市立加茂水族館は、 旧館の東に隣接して建設した新館を開館しているんですね、愛称「クラゲドリーム館」の使用開始しています。
2015年には、世界クラゲ会議を開催して9か国から40名参加しているんですよね。
またこの年から乞われる形で、加茂水産高校講師に就任して水族館学概論を担当しているんですよ。
入館者数は2015年8月に100万にを超え、2016年7月に150万人、2017年6月に200万人を超えて、まさしくV字回復を遂げているのが分かりますよね。
今夜の『逆転人生』は、再放送ということで深夜枠になります、ご了承くださいね。
★ NHK総合『逆転人生』 8月11日(金) 深夜 0時15分~1時
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「museumnews jp」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「村上龍男のプロフィールや経歴は?事務所や講演会も!クラゲの話は?」と題しまして、村上龍男さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
経営難で一時閉館したときの4人のメンバーのうち、村上さん以外はお三方とも亡くなられているんですね。
4人時代が村上さんにとって、苦しかったけれど一番思い出に残っているのではないでしょうか?
逆境を同じ釜の飯で戦い抜いた仲間ですからね、逆転人生で振り返るときには感慨深いものがあるのでは、と想像しますね。
現在80歳ですか、村上龍男さん、ますますお若く、お元気で、ご活躍されることを祈っていますね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!