こんにちは、sadachi. です!
毎週日曜日午後に放送される『ザ・ノンフィクション』、今回はテレビディレクターであり、映画監督の信友直子さんが登場するんですね。
2018年に公開されたドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が、大反響を呼び異例の大ヒットとなったのは、記憶に新しいところですよね。
信友さんが撮ったのは信友さんご自身のご両親で、認知症の母親と老々介護する父親の暮らしだったんですね。
公開したあとも、信友さんはお二人を撮り続けたそうです、そして今回の『ザ・ノンフィクション』は、まさに映画の続編ということなんですね。
そこで「信友直子の高校やプロフ・経歴は?ぼけますから…おかえりお母さん!」と題しまして、信友直子さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
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信友直子さんは、広島県呉市の出身なんですね、高校は地元だと思うんですけど広島大学附属高等学校を卒業されています。
偏差値は74と非常に高く、広島県内で偏差値順位第2位、全国順位で33位となっていて、小説家の阿川弘之さんや元新日本製鉄会長の永野重雄さんなどが卒業されているんですよ。
それではここで、信友直子さんのプロフィールや経歴を確認しておきましょうね。
名 前 : 信友 直子(のぶとも なおこ)
生 誕 : 1961年(誕生日が来ていれば59歳)
出 身 : 広島県呉市
高 校 : 広島大学附属高等学校を
大 学 : 東京大学文学部
職 業 : テレビディレクター、映画監督
東京大学を卒業後は森永製菓に就職、広告部に所属したそうです。
1984年から1985年にかけて、大阪府や兵庫県を舞台に食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件として「グリコ森永事件」が発生しましたよね。
そのとき広告部員ということで取材を受けたことをきっかけにして、映像制作に興味をもったそうで、映像制作のプロダクションに転職しているんですよ。
「仕事が恋人」を公言して、独身を通しているんですけど、2005年に子宮筋腫によって子宮摘出手術を受けたそうなんですね。
また2006年、インド旅行中に列車事故に遭って、重症に陥っているんですよ。
2007年には、信友さん自身が乳がんを発症するなど波乱の人生を送っていると言えますね。
この乳がんの経験は、セルフドキュメント『おっぱいと東京タワー〜私の乳がん日記』(フジテレビ「ザ・ノンフィクション」)として放映されているんですよ。
2009年のことでしたね、自らの乳がんの闘病記録は「ニューヨークフェスティバル銀賞」と「ギャラクシー賞奨励賞」を受賞したんですね。
信友さんは、2010年にはフリー作家に転身しているんですね。
そして2018年には、初の劇場公開作として両親の老々介護の状況をドキュメンター映画の題材とした『ぼけますから、よろしくお願いします。』を発表しているんですね。
現在は、主にフジテレビでドキュメンタリー番組を手がけているそうですよ。
2020年11月29日(日)の『ザ・ノンフィクション』でも、信友さんご自身の監督で、語りも担当されているんですね。
信友さんが乳がんを患ったのは45歳のときだそうです。
そんな信友さん、乳がんに悲観してめそめそばかりしていたそうですよ、そんな娘を母親の文子さんは、ユーモアたっぷりの愛情で支えてくれたそうです。
人生最大の危機と思われた乳がんの経験を乗り越えた信友さんは、映像作家としてご両親の記録を撮り始めたそうなんですね。
ところが、ファインダーを通し信友さんは、少しずつ母の変化に気づき始めたといいます。
母の文子さんが、アルツハイマー型認知症と診断されたのは、2014年1月で85歳のときだったそうですよ。
それからは、だんだんと進行していくわけですが、苦悩する母を見て父親の良則さんは初めてリンゴの皮をむいたそうですよ。
そして仕事を捨てて介護するか迷っている信友さんに、父親として感じたんでしょうね。
信友さんに「(介護は)わしがやる。あんたはあんたの仕事をせい」と言ったそうですよ。
そのとき信友さんは、ご両親の記録を撮ることが自分の使命だと強く思ったそうなんですね。
娘である信友さんの視点から認知症の患者を抱えた家族の内側を丹念に描いたドキュメンタリーとして、2016年9月にフジテレビ/関西テレビ『Mr.サンデー』で2週にわたり特集され、大反響を呼んだんですね。
そして「今年ぼけますから、よろしくおねがいします。」と87歳になった母親の文子さんが、2017年のお正月の挨拶で実際に信友さんに言ったそうですよ。
その後も継続して取材を行い、同年の10月にBSフジで放送されると、視聴者から再放送の希望が殺到したそうですよ。
2018年に公開された『ぼけますから、よろしくおねがいします。』は、追加取材を行い再編集した完全版の映画だったんですね。
29日(日)に放送される『ザ・ノンフィクション』は、まさしく映画の続編で「その後」の物語なんですね。
広島県呉市で暮らす90代のご両親と、東京で働くひとり娘の信友さん、映画の完成後もご両親を撮り続けているんですね。
異変が起きたのは2018年10月、文子さんが脳梗塞で倒れたんですね、幸い一命はとりとめたそうですが、左半身に麻痺が残ったそうです。
文子さんは「家へ帰りたい」とリハビリを始めると、父親の良則さんは毎日面会に行って奥さんを励ましたそうですよ。
そして良則さんは、いつ奥さんが家に帰ってもいいようにと、98歳で筋トレを始めているんですよ、愛というのはホントに凄いもんだと感心しますね。
母の文子さんは歩けるまでに回復したそうなんですが、また新たな脳梗塞が見つかり全身麻痺になってしまったというんですね。
それを聞いた父親の良則さんは、寝込んでしまったそうですよ。
2020年3月、コロナ禍で講演会やそのほか仕事がなくなり、信友さんは呉の実家に帰っているんですね。
そして、ゆっくりお別れできる時期を見計らったかのように、文子さんの病状は少しずつ悪くなっていったといいます。
信友文子さんが亡くなったのは2020年6月14日、91歳だったといいます。
先の映画の中では、夫の良則さんと認知症ながらも仲良く暮らしていた文子さんですが、映画を公開する直前の9月から、ズ~ッと入院生活だったといいます。
「うちへ帰ってお父さんとまた暮らしたい」、その一念で闘病を続けてきたのですが、ついにかなわぬ願いとなってしまったんですね。
母の文子さんは自分の全人生をかけて、生きるとは、老いるとは、死にゆくとは…を、信友さんに教えきってくれたんだと感じているそうですよ。
白いつぼに入って、母の文子さんはやっと夢見ていたわが家に帰ってきたんですね、よほどうれしいのか、遺影の文子さんのお顔は満面の笑みだそうですよ。
「おかえりお母さん。良かったねぇ。またお父さんと暮らせて」
★ フジテレビ系『ザ・ノンフィクション』 11月29日(日) 13時40分~14時35分
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今回は「信友直子の高校やプロフ・経歴は?ぼけますから…おかえりお母さん!」と題しまして、信友直子さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
60年以上連れ添った父と母が、人生の最後の日々をどう生き、どう別れたか、そして残された父がそこからどう立ち上がってゆくのか…?
信友さんは思っているんですね、これは私的な看取りの記録なんですが、誰もが自分や自分の親の姿を重ね、感じてもらえる物語である…と!
私の家内の母親も現在95歳、義理の母ですがどうなっていくんだろうと、身につまされます。
11月29日(日)の『ザ・ノンフィクション』、信友直子さんを確認させてくださいね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!