こんにちは、sadachi. です!
安倍晋三内閣の退陣により9月14日に行われた自由民主党総裁選で菅義偉官房長官の選挙対策本部長を務めたのが、小此木八郎衆議院議員でしたね。
総裁選スタート当初から菅官房長官の優位が伝えられる中、終わってみれば地方票も大量に獲得するなど、圧勝に終わっています。
小此木さんも、そういった意味では苦労することなく、ほとんど傍観者の立場で選対本部長を務めていたんじゃないですか。
小此木さんの国家公安委員会委員長は、後でも記載しますがすでにベテランの域と言ってもいいでしょうね。
そこで「小此木八郎の父や母に妻と家族は?経歴やプロフィール国家公安委員長」と題しまして、小此木八郎さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
小此木八郎さんは、神奈川県横浜市中区で父親の小此木彦三郎元衆議院議員と母親の節子さんとの間に、3人兄弟の3男として生まれています。
長男は小此木歌蔵さんで、横浜市内で倉庫会社の社長さんをされているんですね、次男は小此木治郎さんといいます。
父親の彦三郎さんは、建設大臣や通商産業大臣、自由民主党国会対策委員長などを歴任した自民党の重鎮だったんですね。
16日に菅内閣が発足しているのですが、この菅さんは、小此木さんの父親である彦三郎さんの政治秘書を11年間も務めているんですよ。
菅首相の政治におけるお手本が、小此木さんの父親・小此木彦三郎元衆議院議員だったというわけなんですね。
ちょっと横道にそれましたが、小此木さんの祖父・小此木歌治さんも衆議院議員だったそうで、第1次第1次吉田茂内閣で商工参与官などを務めたそうですよ。
ここで小此木さん自身のご家族についてなんですが、サッパリ情報が出てこないんですね。
小此木さん自身、離婚されて再婚したというかすかな情報もあることはあるのですが、これも定かではないです。
ご自身の家族に関しては非公開とされているのか、もしくは小此木さんのご家族そのものがないのか、不明なんですね。
今後、何かしらの関係で小此木さんのご家族の情報がありましたら、またの機会にご紹介しますね。
ここでは経歴に行く前に、小此木八郎さんのプロフィールから確認していきましょうね!
【小此木八郎さんのプロフィール】
名 前 : 小此木 八郎(おこのぎ はちろう)
生年月日: 1965年6月22日(55歳)
出 身 : 神奈川県横浜市中区
中学校 : 玉川学園中学部(?)
高 校 : 玉川学園高等部
大 学 : 玉川大学文学部
所 属 : 自由民主党無所属
小此木さんは、玉川学園高等部時代に野球部に所属し、玉川大学に入ってからもピッチャーとして首都大学リーグで活躍、春季・秋季ダブル優勝に貢献しているんですよ。
1989年に大学を卒業すると、父親の彦三郎さんの事務所に入り秘書を務めているんですね、年齢は違うんですけど、この時代菅義偉さんと一緒になったんじゃあないですかね。
1991年に彦三郎さんが階段から転落する事故で、63歳で亡くなってしまうんですね、その翌年1992年に渡辺美智雄さんの秘書になり、1993年の第40回衆議院議員総選挙に旧神奈川1区(定数4)から出馬して、得票数3位で初当選したんですよ。
1996年の第41回衆院総選挙では、小選挙区比例代表並立制が導入されているんですね。
彦三郎の地盤だった旧1区のうち、3区からは小此木さんが出馬し、2区からは彦三郎さんの秘書経験者菅義偉さんが立候補しているんです。
菅さんは選挙区で当選したんですが、小此木さんは新進党の西川知雄さんに惜敗したそうで、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活当選を果たしたとのことですよ。
2000年の総選挙で3期目の当選を果たし同年、衆議院議事進行係に就任、2001年には自民党国会対策副委員長に就任、2003年に衆議院安全保障委員長に就任しています。
2004年には、第2次小泉改造内閣で経済産業副大臣に任命されてるんですね、2005年に自民党総務局次長に就任しているんですよ。
順風満帆とも思われたんですが、2009年の民主党政権が誕生したときの総選挙では、神奈川3区で民主党の岡本英子さんに大敗し、比例復活もならず落選したんですね。
2012年の総選挙で6期目の当選を果たし2年ぶりに国政に復帰、当選後には石破茂幹事長の下で筆頭副幹事長に起用されているんですよ。
2013年、自民党国会対策委員長代理に就任し、2014年の総選挙では7回目の当選を果たすと、国家公安委員長代理に再任され続投しているんですね。
石破さんとは親しい関係にあり、石破さん中心に結成された「無派閥連絡会」には所属していたんですが、2015年9月に石破さんが結成した派閥「水月会」には入らなかったということですよ。
というのも、もともと無派閥を主張していたのが石破さんでしたから、派閥の立ち上げに関しては懐疑的な意見だったということらしいですね。
2017年8月3日、第3次安倍第3次改造内閣で国家公安委員会委員長及び内閣府特命担当大臣(防災) に任命されて初入閣を果たします。
同年の第48回総選挙で8期目の当選、そして同年年11月には第4次安倍内閣で国家公安委員会委員長及び内閣府特命担当大臣(防災) に再任されているんですね。
2018年10月2日の第4次安倍内閣改造により国家公安委員会委員長及び防災担当大臣を退任して、同年10月23日に自民党治安・テロ対策調査会長に就任しているんですよ。
菅さんとは縁があるんでしょうね、安倍内閣退陣表明により2020年9月14日に行われた自民党総裁選挙で菅さんの選挙対策本部長を務めているんですよ。
圧倒的勝利で誕生した菅内閣では、古巣ともいえる国家公安委員会委員長及び内閣府特命担当大臣(防災、海洋政策)に就任し、再登板を果たすことになったんですね。
自民党国対委員長を約4年務めるなど、現場を任される縁の下の力持ちタイプと評価を受けている小此木さん、防災担当相時代には、西日本豪雨など災害が相次いだ時に奔走しているんですよ。
国会などでの丁々発止のやり取りは苦手としているそうで、答弁には不安が残るそうなんですね。
でも、期間は別として国家公安委員会委員長などは、3度目の登板ですからね、経験度期待値からは十分な経験を積んでいると言ってもいいでしょうね。
小此木八郎さんは、国家公安委員会委員長および内閣府特命担当大臣(防災、海洋政策)のほかに国土強靱化担当、領土問題担当を任命されているのですが、
コロナ禍の状況での新しい内閣なので、気を引き締めていく。インターネットは利便性がある一方で、悪質な犯罪を生む可能性も秘めている。犯罪全般を減らすため全力を傾けたい。
と、抱負を語っているんですね。
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「キャレオ」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「小此木八郎の父や母に妻と家族は?経歴やプロフィール国家公安委員長」と題しまして、小此木八郎さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
小此木さんの主な政策や主張に関しては、日本国憲法の改正には賛成、新基準を満たした原発は再稼働すべきとし、女性宮家には反対しています。
注目すべき過激発言としては、政党への企業献金・団体献金を禁止する必要はない(?)、今後の国際情勢によっては日本の核武装を検討すべき(?)、という考えだそうですよ。
年齢的には菅首相より随分と若いんですが、政界入りは1期だけ先輩なんですね、一度落選しているため当選回数の8回は同じなんですね。
小此木八郎さん、今後どのような活躍を見せていただけるのか、楽しみにしましょうね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!