こんにちは、貞千です!
最近の石破茂さん、第4次安倍改造内閣は派閥のバランスを取ったと評判ですが、石破派からは入っていないんですよね。地団駄踏んでいませんか?
最近では、小泉進次郎環境大臣や管義偉内閣官房長官とか、加藤勝信厚生労働大臣など新しい名前も浮上してくる中、やはり国民が次期総理にと思っている一番手は石破さんなんですよね。
安倍晋三首相は、石破さんを力が発揮できないように遠ざけているんでしょうか?
日本を良くするためなら、才能ある政治家を使わないてなはいと思うんですけど、ちょっとがっかりの改造メンバーでしたね。
ここで石破さんには、再度立ち上がって欲しいというエールを込めて「石破茂の凄さと人柄・自宅や奥さん両親は?略歴や現在・総理の座は?」と題しましてまとめてみましたので、参考にしていただけたら幸いです!
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
石破さんの凄さは、「勇気と真心を持って真実を語る」を実践していることだと私は思います。日本を良くするためには、自分自身の信念を曲げない姿勢は高く評価されて良いと思いますよね。
そのためには、同じ自民党の内閣不信任案に一票を投じたり、意見が対立すれば離党も辞さないという不退転の決意が見えることです。
石破さんは、今の時代は「変な時代だ」と主張します。その変な時代を改変するために、3度の自民党総裁選に立候補して3度とも敗れています。
しかし、2021年9月に任期が終了する安倍首相の後を、自分が担うという気概は忘れていないと思います。
何といっても自民の地方党員には圧倒的な支持を受けている訳ですから…。
議員だけですよ、離党して復党したのは気に入らないとか、裏切者とか、総裁選で敗れたなら冷遇は覚悟せよとか、政策等の主張に耳を傾けることなく上の顔色を見ている議員があまりにも多すぎるといえば、語弊がありますか?
安倍一強といわれる時代、敢然と安倍批判を続ける石破さんを見直してみたいとは思いませんか?
石破さんの人柄を語るとき、正直過ぎて誤解を受けるということでしょうね。政治家というのは、その時その時で二股とか二枚舌とかが当たり前ですもんね。
石破さんはそれができないんですよ。正直すぎて上手く言えないから、多数派工作もできない。その結果が、今の冷や飯と言っても過言ではないでしょう。
連続トップ当選が続く鳥取県民の信頼も厚いです。「石破さんはたとえ相手が権力者であっても、自分が正しいと思うことを貫いてきた数少ない政治家。まじめで正直な生き方をしてきた」と支持しています。
石破さんの選挙区は鳥取県なので、地元に大邸宅があるのでしょうね。でも、活動拠点は東京ですから、国会議員の宿舎にお住まいなんでしょうか。東京に邸宅を立てたという情報はないですから…ね!
石破さんの奥さまは、学生時代に「世の中にこんな美しい人がいるものだろうか」と思われるくらいの超美人だったそうですよ。
そんな奥さまに一目ぼれしたのはもちろん、こんなきれいな人をお嫁さんにもらえる人は幸せなんだろうなあ~と思ったそうです。が、それが何と石破さんのお嫁さんに…。
石破さんが慶應大学卒業式の後に一度プロポーズしますが、最初は断られ別々の道へ進みます。その後、石破さんの父親が亡くなったのをきっかけに再開、愛を育むことになります。
再度のプロポーズでは、石破さんが先に指輪を買ってからプロポーズしたとのことですので、確信があったのでしょうね。
そんな奥さまの名は石破佳子さん、元昭和電工取締役の中村明氏の次女にあたり、お二人の間には娘さんが2人授かります。お二人とも社会人とのことです。
佳子さんは、地元鳥取に絶大な人気があり、11回連続当選している石破さんの人柄もさることながら、奥さま佳子さんの影響も大きいとの評判です。
石破さんの父親は、石破二朗元参議院議員で鳥取県知事から国政に転身、鈴木善幸内閣で自治大臣を務めています。父親が亡くなった時の葬儀委員長は、あの田中角栄元総理が務めたということです。
母親は、内務官僚・金森太郎氏を父に持つ石破和子さん、とても教育熱心方で石破さんは小学校の頃、毎晩1時間ほど偉人伝の朗読をさせられたそうですよ。
ここで石破茂さんのプロフィールを押さえておきましょう!
名 前 :石破 茂(いしば しげる)
生年月日:1957年2月4日(62歳)
出生地 :鳥取県八頭郡八頭町
血液型 :B型
座右の銘:至誠の人、真の勇者
好 物 :お酒、カレー、コロッケ
小学校 :鳥取大学教育学部附属小学校
中学校 :鳥取大学教育学部附属中学校
高 校 :慶應義塾高等学校
大 学 :應義塾大学法学部法律学科
ここからは、ザーッと略歴を見ていきましょうね!
石破さんは慶大2年在学中に、全日本学生法律討論会で第一位を取ったそうですよ。
1979年に大学を卒業して、三井銀行に入行します。政界入りを決めたのは、1981年に父親の二朗さんの逝去された後に、二朗さんの友人だった田中角栄氏から「お前が出ろ」と薦められられたことのようです。
1983年に三井銀行を退行し、田中角栄氏が領袖の木曜クラブ事務局に勤務するようになります。そして、1986年第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区から出馬し、定数4名の最下位で初当選を果たします。
この時石破さんは29歳、衆議院議員最年少議員となったのです!
ここからは、当選履歴を見ていきましょう!
1990年02月:衆議院議員当選(第39回総選挙)
1993年07月:衆議院議員当選(第40回総選挙)
1996年10月:衆議院議員当選(第41回総選挙)
2000年06月:衆議院議員当選(第42回総選挙)
2003年11月:衆議院議員当選(第43回総選挙)
2005年09月:衆議院議員当選(第44回総選挙)
2009年08月:衆議院議員当選(第45回総選挙)
2012年12月:衆議院議員当選(第46回総選挙)
2014年12月:衆議院議員当選(第47回総選挙)
2017年10月:衆議院議員当選(第48回総選挙)
次に、大臣など担当職を時系列で表記します。
1992年12月:農林水産政務次官
1996年01月:衆議院規制緩和に関する特別委員長
1998年08月:衆議院運輸委員長
2000年07月:農林水産総括政務次官
2000年12月:防衛総括政務次官
2001年01月:防衛庁副長官
2002年09月:防衛庁長官(小泉内閣)
2007年09月:防衛大臣(福田内閣)
2008年09月:農林水産大臣(麻生内閣)
2009年09月:自由民主党 政務調査会長(野党時代)
2012年09月:自由民主党 幹事長(安倍政権)
2014年09月:国務大臣 地方創生・国家戦略特別区域担当(安倍政権)
そんな中、2009年に与謝野馨氏から総裁選への立候補を促されたのですが、先の選挙で推薦人20人のうち13人の落選があったため断念しています。
2012年の総裁選では、2位以下に大差をつけたのですが過半数に届かず、国会議員だけの決選投票では安倍さんんに逆転負けを喫しています。
2015年の総裁選は、安倍内閣で国務大臣を務めていたときのことで、「閣僚か党役員として仕えているときは総裁選に出ないのが私の信条」と筋を通して不出馬、安倍首相の無投票再選となっています。
2016年の第2次内閣改造で大臣を退任、「安倍首相を支えるのも、次に備えるのも自民党が果たすべき責任」と、野に下るのです。
2018年・昨年の総裁選で総得票数810票に対し、安倍首相は553票を獲得、石破さんは181票と及びませんでした。が、2015年に立ち上げた少数派閥・石破派(水月会)としては、「善戦した」との評価が広がっています。
ポスト安倍に石破さんの現在はどうなっているのでしょうか?
インターネット上で配信されている動画には、各地を訪れた際のエピソードや地域の懸案が細かく入っており、ある若手議員は、「地域の特色や課題をよく勉強している」と驚いています。
各地方を回り、地方創生に向けた課題を押さえているのでしょうね。地方創生から日本創生というのが石破さんの信条ですから…。
そんな石破さんの次期総理の芽は、厳しいと言わざるを得ません!
こんな愚直で正直な人を総理大臣にしたいのはやまやまですが、総理になるには天の時、地の利、人の和、さらに運に左右されると言われています。
ある専門家は言います。石破さんはいつも正論を言う…と、しかしできることを着実に進めるのが総理の役目、もし総理になったとしても正論を押し通すことで反発を招き、政権は長持ちしないだろう…と、そうなんだあ~という感じですか。
今回は「石破茂の凄さと人柄・自宅や奥さん両親は?略歴や現在・総理の座は?」と題しまして、私なりに石破茂さんを調べてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
私としては、いつも正論を吐く石破さんが総理大臣になった時、例えばアメリカに対して、例えばロシアに対して、中国や韓国、北朝鮮にどう立ち向かうのか、見てみたいと強く思っています。
昨年の総裁選の悔しさをバネに、どう巻き返していくのか。地方に目を向けることも大事ですが、国会議員の懐から信頼を築いていくことも大事だと思います。
鳥取から初めて党三役になった石破茂さん、鳥取から総理大臣へジャンプアップしてみませんか!!
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!