こんにちは、sadachi. です!
毎週土曜日朝7時半に始まるTBSの『サワコの朝』、12月19日のゲストは、「日本一過酷な荒行を成し遂げ辿り着いた境地」で、僧侶の塩沼亮潤さんが登場されます。
塩沼さんが成し遂げたのは「大峯千日回峰行」、なんと1300年の間にたった2人だけしか達成していない修行なんだそうですよ。
「人間のするもんじゃない」
50を過ぎてはじめて気づいたという、壮絶な修行の先に見えたものとは!?
そこで「塩沼亮潤の結婚や家族・名言も!プロフィールに経歴!サワコの朝は?」と題しまして、塩沼亮潤さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
まずお断りしなければいけないのが、塩沼亮潤さんは「クレージージャーニー」で話題になった福聚山慈眼寺の住職・塩沼亮潤大阿闍梨さんなんですね。
阿闍梨とは、サンスクリットで「軌範」を意味し、漢語では師範・軌師範・正行とも表記するが、その意味は本来、正しく諸戒律を守り、弟子たちの規範となり、法を教授する師匠や僧侶のことである。
阿闍梨には「教授阿闍梨」や「伝法阿闍梨」、「大阿闍梨」、「七高山阿闍梨」、「一身阿闍梨」の5つがあり、大阿闍梨は阿闍梨の中でも、深い学識や高い徳を備えた場合に大阿闍梨と表現され、大阿闍梨になるためには、阿闍梨になってからも、さらに厳しい修行が必要である。
とされているんですね、でも当ブログでは、塩沼亮潤さん、もしくは塩沼さんで記載させていただきますので、予めご了承くださいね。
塩沼亮潤さんを調べていると、「結婚」や「家族」、「名言」などというキーワードが出てくるんですが、さもありなんという感じですかね。
まず塩沼さんの結婚についてですが、そういったキーワードが検索されていることは確かなんですが、結婚された足跡を見つけることはできませんでした。
したがって、塩沼さんのご家族はいらっしゃらないことになりますね。
塩沼亮潤さんの名言は、「初心を百年続ける」、私としてはこんなのが好きですね。
YouTubeも紹介しておきますね!
それではここで、塩沼亮潤さんのプロフィールや経歴を確認しましょう!
【塩沼亮潤さんのプロフィール】
名 前 : 塩沼 亮潤(しおぬま りょうじゅん)
生年月日: 1968年3月15日
年 齢 : 52歳
出 身 : 宮城県仙台市
高 校 : 東北高等学校
所 属 : 福聚山慈眼寺住職
1968年仙台市に生まれる。1986年東北高校卒業。1987年吉野山金峯山寺で出家得度。1991年大峯百日回峰行満行。1999年金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行。2000年四無行満行。2006年八千枚大護摩供満行。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨
塩沼さんは、子どもの頃に叡山延暦寺の千日回峰行を2度満行した酒井雄哉師を、TVで観て千日回峰行に憧れたそうなんですね。
それが小学5年生のころと言いますから、子どもであることは間違いないので、塩沼さんは住職になるべくしてなった方なんでしょうね。
1986年に東北高校を卒業後アルバイトなどで資金を貯め、翌1987年5月6日に金峯山修験本宗の五條順教管長に師事して、総本山金峯山寺で出家しているんですね。
修験行院に入って2年後に正行院に入り、さらに2年後に大行院に入っているんですよ、もう一直線というか凄いですよね。
1990年には「千日回峰行」の前哨戦でしょうね、5月3日の戸開け(山開き)から「百日回峰」に入って、8月10日に達成しています。
そしていよいよ、翌1991年5月3日から「大峯千日回峰行」に入っているんですね。
大峯千日回峰行とは、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂(標高354m)から、24km先にある山上ヶ岳(標高1719m)頂上にある大峯山寺本堂まで、標高差1355m、往復48kmの山道を1000日間歩き続ける修行だそうです。
毎年5月3日から9月3日までの4ヵ月が行の期間と定められているそうなので、9年の歳月がかかるんですね。
行に入ると毎日19時に就寝、23時30分の起床と共に滝行で身を清め、装束を整えて午前0時30分に出発します。
道中、118か所の神社や祠で般若心経を唱え、勤行をしながらひたすら歩き続けるそうなんですね。
持参するのはおにぎり2つと500mlの水だけで、これを食べ繋ぎながら山頂到着が8時30分、帰山するのは15時30分になるといいます。
1日16時間歩き続け、下山してから掃除や洗濯、次の日の用意など身の回りのことを全て行なわなければならないため、約4時間半の睡眠で行に臨む生活が続くんですね。
このような生活が1ヶ月も続くと、栄養不足のため爪がぼろぼろと割れ、3ヶ月目に入ると血尿がでるほど衰弱していくといいます。
肉体的にも精神的にも、限界に近い非常に追い込まれた極限の中での行は、一瞬一瞬が命がけだと言われています。
さらに過酷なのは、どんな状況になっても、1度この行に入ると途中でやめることは、決して許されないんですね。
万が一、途中で行をやめざるを得ない状況になったときは、所持している短刀で自ら腹を切り、行を終えるという厳しい掟があるそうなんんですよ。
え~~ということは、行を成し遂げるか、自ら死を選ぶという選択肢しかないことになるじゃあないですか、壮絶というか、怖いですね。
だからこそ、千日回峰行者の衣装は「死出装束」と言われ、紐を含め身に付ける全てが真っ白なんですね。
塩沼亮潤さんは、1991年5月3日より述べ4万8000キロを歩き、1999年9月2日に金峯山史上2人目]となる「大峯千日回峰行」を達成したんですね。
翌2000年9月28日から9日間にわたって食べず、飲まず、眠らず、横にならずを耐え続けるという「四無行」を達成しているんですね。
2006年には、一昼夜におよび数万本の祈願護摩木を梵焼し続ける大行、「八千枚大護摩供」も達成したんですよね。
こんなに、自分をイジメての修業って、塩沼さんのゴールは何を求めているのでしょうね。
その後、仙台に帰郷して慈眼寺を建立、住職となり、今に至っているんですね。
12月19日の『サワコの朝』では、「大峯千日回峰行」を23歳の時に満行した塩沼亮潤さんがゲストで登場されるんですね。
塩沼さんが大峯千日回峰行成し遂げた翌年に達成した「四無行」ですけど、これも生きて帰れる確率50%と言われているんですね。
番組では、四無行では「3日目位から死臭がした」と、死と隣り合わせの修行の様子を語った一方、大峯千日回峰行では、過酷さから”死”の文字が頭をよぎった…と、当時を振り返ったそうなんですね。
塩沼さんは一体なぜ、そんな厳しい修行に挑戦しようと思ったのでしょうか?
命がけの修行を成し遂げた者だけが辿り着く、究極の境地とは?
極限ともいえる修行の先に見えたこと!
小学5年生にしてこの荒行に挑もうと思ったという塩沼さんが、その理由を告白!
貧しかった幼少時代から、出家の日までのエピソードも披露!
そんな塩沼さんが思っている私たちが生きていく上で日々心がけるべきこと、そして、コロナ禍の苦しい時代の乗り越え方なんかも、お話しいただけるそうですよ。
★ TBS系『サワコの朝』 12月19日(土) 7時30分~8時00分
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今回は「塩沼亮潤の結婚や家族・名言も!プロフィールに経歴!サワコの朝は?」と題しまして、塩沼亮潤さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
途中、何度も命に関わるような危険な場に遭遇しながらも満行を遂げた塩沼さんに、『サワコの朝』では、さらに驚くことに…!?
塩沼さんの壮絶な人生、これほどまでに修行にかき立てるものは何なのか?
明日の朝になりますが、『サワコの朝』の塩沼亮潤さんのお話し、ちょっと怖い気もしますが、楽しみですね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!