こんにちは、sadachi. です!
毎週月曜日午後10時から放送のNHK総合『逆転人生』は、逆転無罪判決やスポーツでの大番狂わせ、奇跡の生還 etc を特集する番組になっています。
泣いて、笑って、勇気をもらえる…ドラマよりドラマチックな真実の逆転劇なんですね。
今回人生を逆転させた主人公は、日帰り登山で両神山から下山中、道に迷って崖から滑落して左足を骨折、その場から動けなくなった多田純一さんが登場します。
多田さんは、山岳救助隊の活躍で一命をとりとめることができましたが、この救助は「山岳救助史の奇跡」として今でも語り継がれているんですね。
そこで「多田純一さん日帰り登山で遭難!地獄から奇跡の生還!現在と逆転人生」と題しまして、多田純一さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
2010年8月14日の朝、東京都大田区のサラリーマン多田純一さんは、お盆休みに日帰り登山と思い1人で両神山に入ったというんですね。
両神山は埼玉県の秩父市小鹿野町にまたがる標高1723m、多田さんの登山歴は1年で、そろそろ高い山に挑戦したいと思っていたそうです。
多田さんが遭難した経過を、分かりやすく追っていきますね。
登りはとても順調だったそうです、山頂で一息ついてから下山を始めたんですね。
途中で山道が二手に分かれ場所で、「せっかくだし、帰りは違うルートを通ってみよう」と来た道ではないルートを選んだんです。
だんだん整備されていない荒れた道になり、焦りが募って歩いていると、傾斜に足を取られ「あッ!」と思ったときには、ゴロゴロと崖を転げ落ちたんですね。
沢の近くで止まったそうですが、痛みはそんなに感じなかったといいます。
でもよく確認すると、左足がブランと垂れ下がり、靴下が真っ赤に染まっていたんですね。
よく見ると、太い骨が皮膚を突き破って飛び出し、傷口から「ぼこっ、ぼこっ」と血が噴き出していたそうですよ。
それを見た途端、激痛が走ったというんですね、「死ぬかもしれない」と思いながら、シャツを裂き携帯灰皿のひもで縛るなど応急の処置をしているんですね。
携帯電話はとみると圏外、歩くことは不可能、助けが来るまで持ちこたえるしかないと思ったとき、絶望感がよぎったそうですよ。
多田さんは、この日の登山で複数の過ちをおかしているんですね。
ひとつは登山届けで、いつもなら必ず登山道の入り口にあるポストに登山届を出していたのに、両神山の目立つポストをこの日はなぜか見落として、出していないんですよ。
持参したガイドブックが古いもだったにもかかわらず、別な道を選択してしまったこと。
日帰り予定ということでテントも持たない軽装だったんですね。
加えて、道が荒れてくると焦りが出て、分岐点まで戻るという判断ができていないことetc、最大のポイントは両神山を甘く見た油断でしょうね。
多田さんが一命をとりとめたのは動けない状況になって、かえって体力を温存できたことが要因のひとつにあげられているんですね。
そんな動けない状況でも多田さんは、ポリ袋に免許証や保険証などを入れて沢に流し、救助隊に「自分はここにいる」と伝える努力をしているんですよ。
また左足の出血が止まらないので、ランボーで観たシーンを思い出し、ナイフを火であぶって傷にあて、絶叫しながら繰り返していると、ようやく血は止まったそうですよ。
遭難して3日目にはバケツをひっくり返したような雷雨、たたきつける雨以外になんかおかしいと左足を見ると、巻きつけたタオルの中に数十匹のウジ虫がたかっていたそうです。
この頃には持っていたあめ玉7個も食べつくし、空腹を紛らわせるためにアリやミミズも口に入れたというんですね。
喉の渇きをいやすために、ペットボトルに自分の尿をためて飲んだりもしたそうですよ。
ケガをした左足は真っ白になり、腐乱臭が漂ったというんですね。
これを地獄と言わずして、なにを地獄と言うのか、多田さんはまさに地獄の苦しみを味わったと言ってもいいでしょうね。
ただ、無意識かも知れませんが希望は捨てていなかったんでしょうね、見た夢は宇宙人にけがを治してもらうとか、友人が万病に効く漢方薬を持ってくるなど、前向きな内容ばかりだったというんですね。
多田さんが夢などでかすかな希望をつないでいるときに、山のふもとでは多くの人が多田さんの行方を必死で探していたんですね。
両神山に行く前に母親の三八子さんに、「くさり場のある、秩父の百名山に登ってくるね」としか話していなかったとのことなんですね。
秩父の百名山は、両神山を含めて甲武信岳と雲取山の3か所あるそうです。
どの山にも登山ルートが複数あり、登山届けもなく、埼玉県警の山岳救助隊は広大な範囲を捜索しているんですが、手がかりのないまま1週間が過ぎたんですが…。
1週間捜索して見つからない場合は、生きていることが少ないとして通常捜索は打ち切られるそうなんですね。
まさに捜索を打ち切るかどうかというとき、両神山の一部を所有し、ボランティアで遭難者の救助にあたってきた山中豊彦さんが、
「死体にはカラスがたくさん集まるはずだけど、今は山にはそれほど飛んでいない。たぶん、多田君はまだ生きてるよ」
そして「指名手配写真を作るぞ」と言ったんですね。
みんなで力を合わせて、多田さんの全身の載ったチラシを作り、足取りが途絶えた西武秩父駅近くで、いろんな人に見せて回ったそうですよ。
すると遭難から9日目だったといいます、レストランの定員が多田さんの顔を覚えていたといい、防犯カメラを確認すると確かに多田さんだったんですね。
交通系ICカードなどいろいろ調べていくうちに、「やっぱり両神山だ」と両神山に向かったことも判明したそうですよ。
やっと、捜索の範囲が絞られることになったんですね。
遭難から10日目に多田さんは、雨で増水した沢につかり必死で岩場に這い上がったときに、枕代わりだったリュックを流してしまったそうです。
死んだほうが楽かなとも思ったそうですが、自殺する勇気も体力もなく、ただ家族のことや恋人のこと、自分が死んだら…、いろいろな思いが巡っているうちに意識がもうろうとして記憶が途切れたとのことですよ。
遭難から13日が経った8月27日、沢のあたりでカラスが鳴いていたことから、重点的に探したところ、多田さんのリュックを発見したんですね。
そして、リュックを発見してほどなく当時の山岳救助隊副隊長だった飯田雅彦さんが、沢の上に倒れていた多田さんを見つけたんですね。
「ヒット!」…興奮気味に山中さんに連絡を入れ、「多田さんですか」と多田さんに声をかけたといいます。
すると、目を開けた多田さんから思わず出た言葉が「手を握ってもらえますか」、ぎゅっとつかんでくれた人の手が温かくて、「生きてていいんだ」と涙がこぼれたそうですよ。
飯田さんにとっても、万感こみ上げるものがあったとのことですよ。
多田純一さんの救助は「山岳救助史の奇跡」として、熟練登山家などに今でも語り継がれる山岳遭難からの奇跡の生還劇だったんですね。
多田さんの左足は完全に腐っていたそうですよ、山中さんによると沢にカラスが鳴いていたのは、左足の腐臭によって集まってきたのだろうとのことなんですね。
完全に腐った左足ですが、手術をするか切断するかの選択に、失敗すれば右足も動かなくなるというリスクを覚悟で、多田さんは手術を選択したそうですよ。
埼玉医科大学国際医療センターは、腐敗した左足の太い骨を取り除き、右足から細い骨20センチ分を取って2つ折りにし、代わりに入れる前例のない手術は9回に及んだといいます。
そして1年以上のリハビリを経て、奇跡的に左足は残ったんですよ。
右足より1.5センチ短いそうですが、でもちゃんと自分の足で歩くことができるようになったんですね。
多田さんがお勤めの会社の名前は分かっていないのですが、リハビリ後に退職勧告もなく仕事に復帰させてくれているそうです、いい会社ですね。
遭難当時30歳だった多田さんですが、32歳のときにそのときの恋人と結婚、2人のお子さんにも恵まれたそうですよ。
あれから、多田さんは一度も山には登っていないといいます。
6月7日に放送される『逆転人生』では、多田さんの奇跡の生還劇をリアルなドラマとして完全再現するとのことですよ。
★ NHK総合『逆転人生』 6月7日(月) 22:00~22:45
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「登山野郎MATAHEI」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「多田純一さん日帰り登山で遭難!地獄から奇跡の生還!現在と逆転人生」と題しまして、多田純一さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
当時の彼女と結婚し、2人の子どもを設け、今も東京都の大田区に住んでいる多田さん、妻とは些細なことで喧嘩し、嫌なことは嫌だと文句も言うというんですね。
ただ、嫌なことも嬉しいことも生きているからこそだと実感しているんですね。
「周りに人がいてくれることが、どんなに幸せでありがたいか。それに気づける自分になった」
と、普通の幸せを今まさに、かみしめているそうですよ。
6月7日の『逆転人生』、救助当時話題になった多田純一さん、いまどんな暮らしで、どのようなお話をしてくれるのか、とても楽しみですね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!