こんにちは、sadachi. です!
今日は3月6日、3月11日が近づいてきました、「東日本大震災」あれから10年ですか、私は金沢住まいですがとても感慨深いものがありますね。
フジテレビはあの日に起きたこと、人々を襲った悲しみや苦しみ、失ったものを「忘れてはいけない」…と、そんな思いから、被災者のその後や津波の検証など20本以上放送してきたといいます。
7日と14日に放送される『ザ・ノンフィクション』では、津波から生還した大川小“奇跡の子”を背負い続けた只野哲也さんと、放射能から逃れて転居・別れを重ねた島絵理奈さんの2人を通じて震災からの10年をドキュメントしているんですね。
当ブログでは、そのうちのひとり、只野哲也さんを取り上げたいと思います。
そこで「只野哲也の出身高校や大学プロフィールは?大川小と震災てっちゃんは」と題しまして、只野哲也さんについてまとめてみましたので、参考にしていただけたらと思います。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
ではまず最初に、只野哲也さんの出身高校や大学から見ていきましょうね。
只野さんが大川小学校での被災から、奇跡的に生還したあとは父親と一緒に石巻市内の住宅に移って、近くの中学校に通ったそうですよ。
中学校の名前は不明なんですが、只野さんの希望が小学校のときからやっていた柔道の強い高校へということで、宮城県石巻工業高等学校に入学、柔道部に所属したんですね。
柔道は、小学1年生のとき妹さんと一緒に地元のチーム「河北柔道スポーツ少年団」に所属して柔道を始めているそうですよ。
中学生になっても震災のことを忘れるようにと、必死に練習に励んだそうなんですね。
練習していても色々なことが浮かんでくるのでしょね、自分自身「ふがいない」と涙をこぼした日もあったとのことですから、辛かったと思いますね。
石巻工高では、中学時代とは比べ物にならないくらい厳しい練習だったそうですが頑張ったんですね、2年生で柔道部の主将になっているんですよ。
階級は100キロ級で、石巻支部の総体ではクラス1位に、第66回宮城県高等学校総合体育大会では100kg級ベスト16になったそうですよ。
高校で柔道に打ち込んだ只野さんですが、大学は2018年4月から東北学院大学機械工学に進んで、災害救助ロボットの研究に取り組んでいます。
大学に入ってからも柔道は続けたそうで、将来は消防士になりたいという夢を持っていたそうなんですね。
当時は、「震災の時に頑張っていた、人の命を助ける仕事に就きたい」と語っていたそうなんですが…21歳になって目標を失い大学は中退されてしまったそうなんですね。
何があったんでしょうね、ぜひ番組で中退された理由を教えて欲しいと思いますね、震災からホントに頑張ってきた只野さんですから、ちょっと心配ですね。
それではここで、只野哲也さんのプロフィールを確認していきましょうね。
【只野哲也さんのプロフィール】
名 前 : 只野 哲也(ただの てつや)
年 齢 : 21歳
出 身 : 宮城県石巻市
身 長 : 175cm
体 重 : 90kg
小学校 : 大川小学校
中学校 : (不明)
高 校 : 宮城県石巻工業高等学校
大 学 : 東北学院大学工学部機械工学科 中退
只野さんは、あの津波に襲われた大川小学校の校庭から、奇跡的に助かった4人の児童のうちのひとりだったんですね。
地震に襲われてから大川小学校まで津波が来たのが、約50分と言われているんですね。
当時、大川小の校長は不在で教師は児童生徒を校庭に集め安否確認と、避難先を議論していたといいます。
ちなみに、付近の小学校は高台などに避難していて無事だったそうですよ。
校長不在の中「責任」というプレッシャーが教師の判断を鈍らせていたのかも知れませんね、議論の末に避難を始めるのですが途中で津波に襲われることになってしまったんです。
只野さんもみんなと一緒に避難を始めるのですが、教師が議論の末に選んだ避難先は三角地帯の川の堤防上から民家の路地を抜け県道に出て高台を目指すということだったそうです。
ところが、路地を右折して民家の通路を通って県道に出ようとしたところで、津波に襲われてしまったんですね。
只野さんは、津波が見える前に前方から煙が上がているのを見て、一目散に山に向かって走ったといます、ここでみんなとは別れたことになるんですね。
急な斜面を5メートルくらい上がって後ろを振り返ったときにはまだ津波が見えなかったんですが、再び山を登り始めた直後に背中を押されるような圧力によって気を失ったそうですよ。
只野さんは、山腹に埋もれていたところを救助されているんでっすね、この行動が津波から助かった一番の要因と言われているんですよ。
只野さんは、ご両親と祖父母、そして2歳年下の妹さんという6人家族だったんですね。
お家は大川小学校から徒歩で15分くらいのところにあったそうなんですが、この津波は祖父の弘さん、母親のしろえさん、妹の未捺(みな)さんの尊い命を奪ってしまったんです。
現在、只野さんは父親の英昭さんと祖母と一緒に暮らしているそうですよ。
大川小学校は全校生徒108人だったんですが児童生徒74人と教師10人が犠牲になり、生徒のうち何とか3割が生き残ったことになるんですね。
当時5年生だった只野さん、これらの事実から”てっちゃん”の愛称とともに「奇跡の子」としてメディアに取り上げられ続けていくんですね。
震災から3年後くらいでしたか、大川小の旧校舎を震災遺構として残すかどうか議論がなされたときに只野さんは、いち早く保存することを訴えているんですよ。
もちろん津波の被害が刻まれた校舎を目にするのも、思い出すの辛かったと思うんですが只野さんは、「校舎があれば帰って来られる。命日の日に手を合わせられる場所が必要なのです」と語っているんですね。
このことは、津波で家族を失った只野さんにとって、間近でその恐ろしさを経験しているだけに、とても大きな決断だったと思いますよ。
テレビで報道されたことだけでは「凄い」と思ったとしても、津波の本当の怖さやその後の悲しみは分からないというんですね。
その事を知ってもらうための語り部・只野さんとしては、大川小の震災遺構が、また大きな災害が起こったときに多くの命が救われるためには大切なものだったんですね。
7日と14日に放送される『ザ・ノンフィクション』、只野さんを通じて語られる内容は震災から節目の10年、どこまで迫っているのかとても楽しみですね。
★ フジテレビ系『ザ・ノンフィクション』 3月7日(日) 14:00~14:55
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今回は「只野哲也の出身高校や大学プロフィールは?大川小と震災てっちゃんは」と題しまして、只野哲也さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
大川小の「てっちゃん」こと只野哲也さん、現在21歳になり、目標を失って東北学院大学を中退して1人悩んでいるといいます。
多くの仲間と最愛の母、妹や祖父を失いながら「奇跡の子」としてメディアに取り上げられ続けてきた只野さん、10年の歩みを振り返る中で初めて明かした本当の思いとは!?
7日と14日に放送の『ザ・ノンフィクション』、只野哲也さんに何が起こっているのか、早く知りたいと思っているのですが、何せ放送は明日、何とも待ち遠しいですね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!