こんにちは、sadachi. です!
前安倍晋三内閣の後継として16日スタートした菅義偉内閣、共同通信の緊急電話全国世論調査でも管内閣を支持するとした回答は66.4%にも上り、順調なスタートを切りましたね。
その中で官房長官にスライドした加藤勝信前厚生労働大臣の後釜に、2度目の厚生労働大臣となる田村憲久さんが任命されましたね。
田村さんは石破茂派なので、よもやと思ったかもしれませんが、やはり新型コロナウイルスの対応は全くの新人さんでは無理だと判断されたんでしょうね。
そこで「田村憲久の夫人や家族に娘画像も!プロフィールや経歴と厚労相再び!」と題しまして、田村憲久さんの周辺をまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
田村さんの奥さま(ご夫人)は、田村けい子さんと言ってとてもお美しい方なんですよ。
こちらの動画は、2015年に行われた斎宮復元建物竣工記念で、ご主人の田村さんが欠席ということで代わって挨拶をされたときのものです。
そういえば、田村さんの娘さんもTBSのアナウンサーをしていらっしゃって、田村真子さんという、お母さまに負けず劣らずお美しい方なんですよ。
田村さんご夫妻には、真子さんお1人でほかにお子さんはいらっしゃらないようです。
それではここで、田村真子さんの画像を紹介しますので、堪能してくださいね!
そのほかに田村さんの父親・田村憲司さんは、ZTVという三重県や滋賀県、和歌山県をエリアとするローカルテレビ局の社長さんで、日本土建名誉会長でもあるんですね。
祖父は弁護士で元衆議院議員の田村秢さん、伯父の田村元さんは労働大臣や運輸大臣、通商産業大臣、衆議院議長を歴任した元衆議院議員で自民党の重鎮だったんですね。
それではここで、田村憲久さんのプロフィールを確認していきましょう!
【田村憲久さんのプロフィール】
名 前 : 田村 憲久(たむら のりひさ)
生年月日: 1964年12月15日(55歳)
出 身 : 三重県松阪市
身 長 : 168 cm
血液型 : B 型
小学校 : 松阪市立幸小学校
中学校 : 私立高田中学校
高 校 : 三重県立松阪高等学校
大 学 : 国立千葉大学法経学部経済学科
所 属 : 自由民主党(石破派)
千葉大学卒業後の1988年、父親・田村憲司さんの会社である日本土建に入社、その後1994年から伯父・田村元衆議院議員の秘書を務めています。
1996年に引退する伯父の地盤を引き継ぎ、第41回衆議院議員総選挙において自由民主党公認で三重4区から出馬、初当選を果たすんですね。
2000年6月に2期目当選、2002年1月には第1次小泉純一郎内閣で厚生労働大臣政務官に、また2003年9月には文部科学政務官に任命され、自民党三重県連会長を務めています。
同年11月の総選挙で3期目当選、2005年9月に4期目の当選を果たしているんですね。
2006年9月に発足した第1次安倍内閣では総務副大臣を任命されています。
2009年の第45回総選挙では、三重4区で民主党の森本哲生さんに敗れたんですが、重複立候補していた比例東海ブロック(惜敗率2位)で復活し、5選目の当選を果たしたんですよ。
2009年は総選挙で民主党が圧勝し民主党政権が誕生した年で、鳩山由紀夫さんが内閣総理大臣になっているんですよね。
鳩山内閣に対抗するため、2010年9月に発足した自由民主党のシャドウ・キャビネット(影の内閣)では、田村さんは厚生労働大臣に就任しているんですね。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、三重4区で前回敗れた森本さんを下し6選、選挙後に発足した第2次安倍内閣で厚生労働大臣に任命されて初入閣を果たしています。
シャドウ・キャビネット(影の内閣)は、自民党の勝利を受けて政権奪回したことにより廃止されています。
田村さんは、影の内閣の厚労相を務めていたんですが、それが現実になった瞬間ですね。
2014年12月の総選挙で7期目の当選、選挙後の内閣改造で厚労相を退任し、それまで所属していた平成研究会も退会して無派閥になっているんですね。
2015年には水月会に参加しています、いわゆる石破派に所属したということですね。
2017年10月の第48回総選挙では三重県内小選挙区の区割り変更によって、三重1区から出馬して8期目の当選を果たしています。
2017年からは、三重陸上競技協会の会長および裁判官訴追委員会の委員長を務めているんですよ。
田村さんは昨年から水月会の事務総長を務めているのですが、2018年の石破茂さんの自由民主党総裁選挙出馬については、
(石破さんに)我々としては立候補してほしいという思いはある。決して安倍首相が駄目だというつもりはないが、安倍さんだけというのも政権与党として無責任。もし安倍さんが支持を受けなくなれば、次がいるという形を作る必要がある
と述べているんですね。
総裁選は、石破さんと安倍さんの一騎打ちとなり、石破さんとしては地方票などで善戦はしたんですが安倍さんの勝利に終わっているんですね。
2020年9月16日、安倍内閣の退陣に伴い発足した菅義偉内閣で、田村憲久さんが約6年ぶりに厚生労働大臣に再任されたのは周知の事実です。
また厚生労働分野に精通する実力者というのも、周囲の誰しもが認めているんですね。
第2次安倍内閣で厚生労働大臣を務めたほか、自民厚労部会長や衆院厚労委員長などを歴任し、新型コロナウイルス対策の本部長も担い、2020年度補正予算調整に奔走したとのことですよ。
2014年に平成研究会(当時:額賀派)を離れ、石破さんの派閥結成に参画したんですね。
先にも述べたように昨年から事務総長に就いたんですが、今回の総裁選では最初から苦戦を強いられ、石破さんの国会議員の支持獲得には、困難を極めたみたいですね。
田村さんは今回の厚生労働大臣就任に際して、
社会保障制度改革や働き方改革などいろいろな問題がある。すべてに関わるのがコロナ対策だ。国民の不安を減らさないと生活が成り立たない。全力を傾ける。
インフルエンザ流行に備えた体制もつくる。
と抱負を語っているんですよ。
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今回は「田村憲久の夫人や家族に娘画像も!プロフィールや経歴と厚労相再び!」と題しまして、田村憲久さんの周辺をまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
菅首相は、ともに闘った石破さんに気遣いをしたのでしょうか、それとも厚生労働問題に精通している田村さんを買ったのでょうか、当然後者でしょうね。
菅首相も「最大の問題はコロナ対策だ」と仰っています。
ウイズコロナで社会経済の復興と言っても限界がありますからね、やはりコロナ問題が解決しないと正常に社会経済は回復しませんもんね。
菅内閣では、田村憲久さんの厚生労働問題に精通している手腕に期待するとしましょうか。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!