こんにちは、sadachi. です!
田中恵子選手、やりましたね! 東京パラリンピックのボッチャで日本代表ですよ。
日本ボッチャ協会は、東京パラリンピックのボッチャ日本代表の追加内定5選手を発表し、石川県小松市の田中恵子選手(38)=県ボッチャ協会=が運動機能障害BC3クラスに推薦されたと発表があったんですね。
石川県によると、東京パラリンピック代表選手の内定は県勢では初めてで、東京五輪とパラリンピックの代表選手はあわせて8人となったんですね。
そこで「田中恵子選手東京パラ内定の快挙!母と2人でボッチャ代表!石川県初」と題しまして、田中恵子さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
田中さんは、「内定をもらってほっとした、嬉しい。コロナ過で合宿へ行けないので、地元でコツコツと練習したい」と喜んでいるそうですよ。
田中さんが出場する「BC3」クラスは、障害が最も重い人がプレーする競技で、目標の球に自身の球を転がし、どこまで近づけるかを競うんですね。
競技介護者の母親の孝子さん(65)と一緒に初出場になり、アシスタントとなる孝子さんが台の高さや角度の調整役を務めることになるんですね。
ここでボッチャの競技を紹介しておきますね。
ボッチャは、重度脳性まひ者や四肢重度機能障害者のために考案された欧州発症のスポーツなんですね、パラリンピックには1988年のソウル大会から正式採用されているんですよ。
ジャックボールと呼ばれる白いボール(目標球)を投げたあと、対戦する両者がそれぞれ赤と青の球、6球を投げて、よりジャックに近い方が勝者となるんですね。
田中さんは2014年から競技を始め、翌年から日本選手権に出場、2019年の世界選手権では金メダルを獲得しているんですね。
また2019年の全日本選手権では女性で最上位の5位に入り、東京パラリンピックの男女混合ペア内定がかなっているんですよ。
2020年はコロナ過で遠征ができず、大会もなかったんですね。
そこで母親の孝子さんと週2回練習してきたそうですが、今年に入っても大雪で道がふさがれルなどして、思うような練習ができないでいるといいます。
それでも、「金メダルは取りたい。今やれることをやるしかない」と、東京パラリンピックに向けて闘志を燃やしているそうですよ。
田中さんは重度の障害者ということで「BC3」クラスなんですが、自力で球を投げられないため、球を転がす専用の器具「ランプ」を使用するそうですよ。
ランプは田中さんがアシスタントである母親の孝子さんに転がす方向や高さを指示し、最後に田中さんがボールを押し出して転がすんですね。
規則でアシスタントは声を出すことはできないのですが、約10年にわたってコンビを組んできた母娘の息はピッタリと合っているそうですよ、そうして実績を残してきたんですね。
母親・孝子さんと一緒につかんだ東京パラリンピックの切符、母と2人でボッチャ代表というのがいいですよね、感動もんです!
田中選手の母親の孝子さんのコメントです。
「おととしの日本選手権で結果が出ていたので、内定するかなと思っていましたが、連絡を聞いて安心しました。コロナ禍で恵子は地元に残り、1人でコツコツ練習していますが、目標ができたのでこのチャンスを生かせるよう頑張ってほしいです」
母と2人で狙うのは、金の色のメダルしかないんじゃあないですかね!
東京パラリンピックのボッチャ日本代表に内定した田中さん、生まれつき脳性まひを患い「障害があっても夢や生きがいを持てることを伝えたい」と競技に打ち込んできたんですから、すごい頑張りですよね。
夢舞台には、競技アシスタントとして母親の孝子さんと一緒に立つんですですね、2人ともホントに嬉しそうで、私なんかもホッとしているんですよ。
補助があれば立てるんですけど、歩行はできないそうです。
手の可動域も限られていたので、ほとんど人前に出たがらなかった田中さんなんですが、17年前に加賀市の社会福祉法人「南陽園」でボッチャに出会って変わったとのことなんですね。
田中さんは、「大会を見学して重い障害のある人もやっているのを見て私もできるのではと思った」感じたというんですね。
その後に、「病気がちだったけれど、ボッチャを始めて元気になりました」と振り返っているんですよ。
明るさが増し、どん欲に練習に励み、日の丸を背負うまでに成長しているんですから、大したもんだと思いませんか。
2014年から始めた競技でも、2019年にはアジア・オセアニア地区選手権団体戦で銀メダルを獲得し、同年ワールドオープン香港大会ではペア部門で金メダルだったんですね。
そこで、東京パラリンピックの有力候補に挙がっていたとのことなんですね。
ボッチャは、目標になる球に自分が投げた球がより近づける競技なので、「地上のカーリング」とも呼ばれているんですね。
障害の程度によって4クラスに分かれているんですよ、田中さんはその中でも最も程度が重い「BC3」クラスに属し、アシスタントの支援が認められているというわけなんですね。
それが母親の孝子さんというわけで、石川県勢で初の快挙となったんですよね。
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今回は「田中恵子が東京パラ内定の快挙!母と2人でボッチャ代表!石川県勢初」と題しまして、田中恵子さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
多くの代表選手にはスポンサーがついているそうで支援を受けているのですが、田中さんの場合は石川県という田舎のせいでしょうか、企業に所属はしていないんですね。
ですから、遠征費や用具購入費などは田中さんの家族が大部分を負担してきたといいます。
東京パラリンピックの代表になったことでもありますし、県内の企業さんで田中さんを支援する前提で、どなたかが手を挙げていただけると嬉しいんですけどね。
まあ、どちらにしても金メダルに向かってまっしぐらと思われる田中恵子さんを応援するとともに、今後の活躍を期待してやみませんね。
そして嬉しいのは田中恵子さん自身が、「目標はペア戦で金メダルを取ることです」と話している訳ですから、頼もしい限りなんですね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!