こんにちは、sadachi. です!
世界大会に日本代表として出場、数々の優勝経験を持ち、現在もスイーツ界の第一線で活躍を続ける伝説の”パティシエ”辻口博啓さんがTBS系『BACKSTAGE』に今夜登場します。
辻口博啓さんは、石川の巨匠と言ってもいい存在で、そのスイーツは広く知られています。
今回の『BACKSTAGE』では、そんな辻口さんに新進気鋭の若手パティシエたちが、日頃の疑問などを本音トークでぶつける番組になっています。
そこで若手パティシエたちの直球トークを受け止める、伝説のパティシエに迫ってみたいと思います。
今回は「辻口博啓の嫁や父親・母親は?プロフィールと経歴に夢プロジェクト!」と題しまして、辻口博啓さんをまとめてみましたので、参考に強いてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
まず辻口博啓さんのご家族ですが、奥さまとお子さんが3人おられるとのことで、5人家族のようですね。
それぞれ一般人ということもあり、情報は公開されておりませんので、名前や年齢を知ることできていませんので、ご了承くださいね。
そして、辻口さんの実家の家族構成ですが、ここもご両親と辻口さん含めて3人兄弟だったようですね。
石川県七尾市にあった実家の和菓子屋「紅屋」の長男として生まれているのですが、その紅屋が倒産して父親が行方不明になり、両親は離婚しているんですね。
そんな一番苦しいときに、辻口さんはパティシエの修業をしているんです。
「お兄ちゃんは、私たちのいちばん苦しかったときを知らない」って、妹さんは今でも言うそうですよ。
母親は、旅館の賄いとか保険のセールスなどをやり、弟は新聞配達をやって生活はどん底、ひとつのインスタントラーメンを3人で分けて食べたこともあるそうです。
このあたりは、次章の経歴の中で、もう少し触れますね。
ではここで、辻口博啓さんのプロフィールを確認しておきますね!
【辻口博啓さんのプロフィール】
名 前 : 辻口 博啓(つじぐち ひろのぶ)
生年月日: 1967年3月24日(53歳)
出 身 : 石川県七尾市
血液型 : A 型
高 校 : 石川県立中島高等学校
職 業 : パティシエ、ショコラティエ
【肩書、公職、役職】
★ 石川県観光大使
★ 三重県観光大使
★ あいちスイーツ大使
★ 一般社団法人日本スイーツ協会代表理事
★ スーパースイーツ専門学校学校長
★ 金沢大学非常勤講師
★ 産業能率大学客員教授
★ お菓子教室「SUPER SWEETS SCHOOL 自由が丘校」学校長
★ 学校法人SOLA沖縄学園客員教授
辻口さんは、石川県七尾市の和菓子屋「紅屋」の長男として生まれ、もともと家を継ぐつもりだったそうですよ。
小学校3年のときに、友達の誕生日会で生まれて初めて食べたショートケーキの美味しさに感動して、洋菓子職人を目指すようになったとのことですよ。
辻口さんは、高校を卒業して東京都内のフランス菓子店に住み込みで、洋菓子の修業を始めているんですが、おりしも実家の和菓子店が倒産するんです。
辻口さんが18歳のときですね、家族みんなの反対を押し切ってパティシエになる道を選択、単身東京に出て行ったんですね。
「職人の技は目で見て盗むものだ」、東京に出る辻口さんに父親が贈った言葉です、その言葉を辻口さんは宝物にしたそうですよ。
父親が家出して行方不明になり、辻口さんが20歳のときに両親は離婚しています。
辻口さんは住み込みということで食べることは不自由しないんですが、実家では父親は家出して、残った3人は悲惨ともいえるどん底の生活を味わったといいます。
それが、前章の妹さんの述懐になるんですね、妹さんはお兄さんが作ったスイーツやケーキを食べたとき、どんなだったでしょうね。
お母さんや弟さんも、美味しさにビックリしたのではないでしょうか。
世間に名が知られるようになってから、辻口さんは母親にこういったそうです。
「紅屋がつぶれて、両親が離婚したから、僕はここまでやってこられたんだと思う。父親を肥やしにしたからこそ、ここまでがんばれた」
「元夫には悪いけど、彼がいてこその博啓です」、お母さんも、実際その通りだったと振り返っています。
そしてもうひとつ、辻口さんが前を向いて進んでこられたのは、母親の存在が大きいといいます。
「早く一人前になって、1日でも早く母親を楽にしてあげたい」という思いが、そして「母親に僕が作ったお菓子を味わってもらいたい」という気持ちが、辻口さんを支えたんですね。
話を戻しましょうね!
東京へ出た辻口さん朝6時から夜の12時まで働きます、「3年で一人前になるために、人の3倍働き、3倍気を使い、3倍技を盗もう」と思ったそうですよ。
お店のご主人も理解があった人で、厨房では材料でも道具でも、何を使ってもいいから、修行して立派な菓子職人になれと、後押ししてくれたそうですよ。
その甲斐あってか、1990年の「全国洋菓子技術コンクール」で23歳という、史上最年少で優勝を果たします。
その後は順風満帆、多くの国内大会で優勝して「コンクール荒らし」とまで呼ばれたそうですよ。
それでは、ここからは受賞履歴を確認しながら、辻口さんの経歴を追ってみましょうね!
★ 1990年 全国洋菓子技術コンクール 優勝
★ 1992年 50周年記念全国洋菓子コンクール 総合優勝
★ 1993年 東日本洋菓子コンクール マジパン部門 優勝
★ 1994年 コンクール・シャルル・プルースト 銀メダル受賞
★ 1995年 クープ・ド・フランス インターナショナル杯 優勝
★ 1996年 ジャンマリーシブナレル杯 3位受賞。
★ 1996年 ソペクサ(仏大使館主催の仏菓子コンクール) 優勝
★ 1997年 クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー あめ細工部門 優勝
★ 2002年 ヘーゼルナッツ国際大会 総合優勝
★ 2013年 サロン・デュ・ショコラ 最優秀賞(板チョコ5枚+☆)を受賞
★ 2014年 C.C.C.のショコラ品評会で最高位(5タブレット+★)を受賞
★ 2015年 インターナショナルチョコレートアワーズ世界大会で、チョコレートバー部門へ初出品して5作品で金賞、銀賞を受賞
★ 2015年 C.C.C.のショコラ品評会で最高位の金賞(ゴールドタブレット)を受賞
★ 2016年 インターナショナルチョコレートアワーズ アメリカ&アジア太平洋大会、チョコレートバー部門で7作品が金賞・銀賞・銅賞を受賞
★ 2016年 C.C.C.のショコラ品評会で最高位の金賞(ゴールドタブレット)を受賞
★ 2017年 インターナショナルチョコレートアワーズ2017 チョコレートバー部門で11アイテムが金賞・銀賞・銅賞を受賞
★ 2017年 C.C.C.のショコラ品評会で最高位のゴールドタブレットと外国人部門最優秀賞をW受賞
★ 2018年 C.C.C.のショコラ品評会で最高位のゴールドタブレットを受賞
★ 2019年 SALON DU CHOCOLAT25周年記念、Club des Croqueurs de Chocolatが出会った最高のショコラティエ、ベスト オブ ベスト アワードを受賞
次に辻口さんが手がけた、お店などを見ていきましょう!
1998年3月に東京・自由が丘に「モンサンクレール」をオープン、2004年には二子玉川の百貨店内に「和楽紅屋」オープンし、実家の紅屋の再建を叶えているんですね。
2006年には、石川県の和倉温泉で「辻口博啓美術館 ル ミュゼ ドゥ アッシュ」を開館しています。
2008年に、石川県金沢市の石川県立美術館内に「ル ミュゼ ドゥ アッシュ KANAZAWA」をオープン、ここは何べんも訪れています、素敵ですよ。
2011年8月には、「SUPER SWEETS SCHOOL自由が丘校」を開校しています。
2013年、石川県香林坊スーパースイーツ製菓専門学校の別科「アトリオ」開校。atre品川に豆スイーツ専門店「Feve(フェーヴ)」OPEN 長崎県佐世保市に「アトリエ アッシュ」OPEN。
2014年には、東京都麻布十番に「和楽紅屋 麻布十番本店」OPEN、渋谷ヒカリエShinQsに「和楽紅屋」をOPEN、石川県金沢市に「ル ミュゼ ドゥ アッシュ 百番街店」をOPEN、東京都立川市に「和楽紅屋 ルミネ立川店」と「フェーヴ ルミネ立川店」OPEN、石川県金沢市に「ル ミュゼ ドゥ アッシュ エムザ」OPEN、韓国ソウル市に「モンサンクレール ソウル」をそれぞれOPENしています。
2015年、東京銀座に「ル ショコラ ドゥ アッシュ 銀座本店」をOPEN、JR名古屋駅・名古屋うまいもん通りにチーズタルト専門店「 Cuitte(キュイット)」をOPENしています。
これはお店ではないんですが、2019年1月に、辻口博啓さんの素材探しから新作完成まで密着した、日本発のショコラ・ドキュメンタリー映画『LE CHOCOLAT DE H(ル ショコラ ドゥ アッシュ)』が公開されているんですね。
第67回サン・セバスティアン国際映画祭、第8回ロングビーチ国際映画祭、Lift-Off Film Festival、第45回シアトル国際映画祭にて正式上映されたそうですよ。
辻口博啓さんは、2010年から「夢のプロジェクト」をスタートさせています。
これは、小学3年生であのショートケーキに出会い、その美味しさに衝撃を受けて洋菓子職人なった辻口さんの原体験に起因しているといいます。
パティシエへの夢が始まり、その中で死に物狂いでもがき続け、1998年3月20日に自由が丘にパティスリー「モンサンクレール」を開業したときのことだといいます。
たまたま店頭に出たとき目が合った帰り際のお客様に「すごくおいしかった」と声をかけられたそうなんですね。
そのたった一言の言葉が、今までの苦労を吹っ飛ばしたんです、「パティシエになってよかった」、心からそう思った瞬間だったんですね。
そういった夢を子どもたちに持ってもらいたいとの思いから、絵画コンコールを開催することにしたそうなんですね。
過去10回開催しているんですが、2020年度は新型コロナウイルス感染拡大の影響により、残念ながら中止になっています。
新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が世界中に拡大し、未だ終息の見通しは立っておりません。罹患された方とそのご家族に対して心よりお見舞い申し上げるとともに、昼夜を問わず最前線で対応されている医療従事者など、関係者の皆様に深く敬意を表し感謝申し上げます。
とても残念なことなのですが、コロナの再流行が懸念されるため、2010年から毎年開催してきました「辻口博啓夢プロジェクト 子ども絵画コンクール」を今年度は中止することにしました。
ですがみなさん
夢の実現のために、しっかりチカラを蓄えてジャンプできる時間にしましょう。
この期間にもみなさんの夢がさらに大きくなれるように努力してください。
わたしもがんばります。辻口博啓 夢プロジェクト運営委員長 辻口 博啓
今夜の『BACKSTAGE』、新進気鋭の若手パティシエたちは、どんな直球を投げてくるのでしょうか?
若手の悩みや、業界への不満、「修業ってホントに必要ですか?」とこんな質問も、意外や意外!?“スイーツ甲子園制覇”の女子高校生チャンピオンの本音とは…乞うご期待!!
★ TBS系『BACKSTAGE』 7月19日(日) 夜 11時55分~翌0時25分
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「東京カレンダーTokyoCalendar」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
「辻口博啓の嫁や父親・母親は?プロフィールと経歴に夢プロジェクト!」と題しまして、辻口博啓さんをまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
スイーツは日本で生まれた言葉だそうですね、辻口さんはそんなスイーツを日本の文化として定着させ、日本のスイーツとして海外に発信していきたいと考えています。
そのために学校をつくり、レシピを公開して自ら教え、スイーツのスペシャリスト「スイーツコンシェルジュ」を育成しています。
母親に楽をさせたいと頑張った辻口博啓さん、紅屋はもうありませんが、祖父の代から続く「おいしいお菓子でたくさんの人を笑顔にする」という志を大切にしているそうですよ。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!