こんにちは、sadachi. です!
『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、さまざまな分野の第一線で活躍中の一流のプロの仕事を徹底的に掘り下げるドキュメンタリー番組になっています。
登場する人たちは、誰もが認めるその道のプロフェッショナルなんですね。
斬新な試みに挑戦し、新しい時代を切り開こうと格闘中の挑戦者であり、いくつもの修羅場をくぐり、自分の仕事と生き方に確固とした流儀を持っている人たちばかりなんですよ。
放送時間は、NHK総合テレビで毎週火曜日午後10時30分から11時15分にかけて放送されているんですね。
「作ることが、生きること 陶芸家・辻村史朗」
今回の主人公は、ロバート・デ・ニーロなど名だたる海外セレブが愛し、メトロポリタンなど有名美術館も作品を所蔵する孤高の陶芸家・辻村史朗さんなんですよ。
そこで「辻村史朗の工房や書・息子に家族?プロフィールや経歴も孤高の陶芸家」と題しまして、辻村史朗さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
辻村さんの自宅兼工房は、奈良市東部の山中・水間(みま)にあります。
奈良市の中心部から東へ約12キロ、東大寺や春日大社のある若草山を越えた農村地帯の水間に、南に面した山裾の雑木林に点在する母屋、工房、茶室、月見台などほとんどが辻村さんの手作りだそうですよ。
辻村さん自ら草を刈り、道をつくり、地ならしをして10坪ほどの小屋を建て、工房や窯・井戸など生活するのに必要な物を全て自分で切り開いたとのことですよ。
辻村さんは作陶だけでなく、絵や書など基本何でもやる方なんですね。
自身、気の赴くまま絵筆をとり、土をひねる、まさに天才のなせる業と言っても過言ではないと思います。
辻村さんの書なんですが、「ええ、紙と墨があるって聞いたんやけど。」と辻村さんが2012年に、株式会社かみ屋を尋ねたときの出会いで意気投合したといいます。
このときから、陶芸や絵画に加えて書や水墨画も本格的に、辻村さんの手の内に入っていくことになります、紙や墨の出会いも大事なんですね。
作品も垣間見ることができるので、かみ屋のホームページから確認してくださいね。
「かみ屋ギャラリー」
辻村さんには、1969年に結婚された秋田県出身の奥さま・三枝子さんがおられます。
2人は美術大学へ受験のため上京した際に東京で出会ったとのことですよ。
ただ辻村さんは途中大学進学に興味を失い、大学受験を諦めて奈良へ帰っているんですね。
結婚までの間、2人がどういう交際をしていたのか興味のあるところですね
辻村さんは1970年から奈良の水間町で自宅兼工房に着手していますから、三枝子さんは家づくりからズーッと辻村さんに寄り添っていることになるんですね。
すごいお二人の歩みだと思いませんか。
辻村さんと三枝子さんの間には、1975年に生れた長男の唯さんと1976年に生れた次男の塊さんという2人の息子さんがいるんですよ。
唯さんと塊さんの2人とも辻村さんのあとを継いでいるわけではないんですが、父親と同じ陶芸家の道を歩んでいるんですね。
兄の唯さんは、高校卒業後に本格的に作陶の道へ進んで、2000年頃に父親の工房近くに窯を設けて作陶に励んでいるとのことですよ。
唯さんの作品は、青灰色の須恵器の素地に独自の技法を加え、ビードロが覆う自然釉の作品が多いそうですよ。
弟の塊さんも2000年頃に奈良県桜井市の方に築窯して、作陶しているとのことなんですね。
それではここで、辻村史朗さんのプロフィールや経歴を見ていきましょう!
【辻村史朗さんのプロフィール】
名 前 : 辻村 史朗(つじむら しろう)
生 誕 : 1947年
年 齢 : 誕生日が来ていれば74歳
家 族 : 妻、長男、次男
出 身 : 奈良県御所市
特 技 : 書道、絵画
職 業 : 陶芸家
辻村史朗「Instagram」
京都たち吉「辻村史朗専用アカウント」
辻村さんは1947年、奈良県御所市で牧畜を営む家の4男として生まれ、高校時代までをこの地で過ごしています。
画家を目指して美術大学を受験するために上京したのが1965年、石膏デッサンやスケッチなどを学んでいたのですが、受験勉強に興味を失って美大受験を諦めています。
そのころ東京の日本民芸館で大井戸茶碗に出会い、深い感銘を受けているんですね。
奈良に帰って1966年、何かを思ったのでしょうね、19歳から21歳までの3年間、奈良にある禅寺三松寺(曹洞宗)に住み込んで修行しているんですよ。
その後、独立資金をためるため実家の牧畜を手伝いながらも画家を目指していたんですね、でも次第に油絵の具に違和感を感じるようになったそうなんですね。
惹かれたのが焼きものなんですね、実家の手伝いのかたわら夜はリヤカーの車輪を利用して作ったロクロで、自作の茶碗や花入れなどを手当たり次第ひいたそうですよ。
1969年に三枝子さんと結婚、当時は作った焼き物を京都の門前などにござを敷いて売り、生計を建てているんですね。
辻村さんは4男ですからね、家業を継ぐわけにはいかず、小さいときから独立心が旺盛だったと思われますね。
そして1970年には、奈良の水間町の山中に土地を求め、材料は民家などの古材、廃材を使用して約2カ月で10坪ほどの家(小屋)を建てたそうですよ。
家を建てると、次には周辺に次々と窯を築いていったそうで、全部で窯を7つも築いたとのことなんですね。
1977年、辻村さんは30歳を節目に自宅を会場として個展を開催、大成功を収めるんですね。
友人や知人にカタログを配布しているのですが、紙を束ねて和綴じにし、自分で撮った作品のスナップ写真を貼り付けた簡単なものだったそうですよ。
1978年4月には三越大阪店で個展、1980年5月にも同店で2回目の個展を開催しています。
以降は、略歴としてホンの一部ですけど、時系列で列記しておきますね。
1983年 東京・三越本店にて陶展(隔年7回)
1984年 名古屋・丸栄にて陶展(隔年6回)
1985年 大阪・阪急百貨店にて個展(隔年5回)
1986年 松山・三越にて個展(隔年2回
1989年 東京・有楽町阪急にて絵画展開催
1990年 京都・たち吉本店にて第一回個展開催
1992年 福岡・岩田屋にて個展開催
1993年 ドイツ・フランクフルト・ジャパンアートにて個展開催
1993年 英国・ウエスト・デュポンにて築窯、作陶を行う
1994年 ロンドン・ギャラリー・ベッソンにて個展開催
1995年 京都・たち吉本店にて第三回個展開催
1997年 京都・たち吉本店にて第四回個展開催
1999年 裏千家茶道資料館にて「辻村史朗 壷と茶碗展」開催
2000年 東京・三越本店にて絵画展開催
2001年 京都・たち吉本店にて第六回個展開催
2003年 ニューヨーク・KOICHI YANAGI Oriental Fine Artsで個展
2003年 ニューヨーク・メトロポリタン美術館「ORIBE展」に出展
そのほかにも、東京、横浜、豊橋、名古屋、金沢、奈良、大阪、神戸、姫路、ニューヨークの各百貨店やギャラリーなどで個展を開催しているんですよ。
今では国内だけに限らず、アメリカを中心に世界各国で個展を開催して、注目を集めているんですね。
その証として、各国の美術館に辻本さんの作品が収蔵されていることでも、一端を確認することができると思いますよ。
アメリカの美術館を列記しますと、クリーブランド美術館、ミネアポリス美術館、ブルックリン美術館、フリーア美術館、メトロポリタン美術館、サンフランシスコ美術館、カンザス大学付属美術館、ノースキャロライナ美術館、ボストン美術館などですね。
そのほかにもクラーク財団やバーグ財団も所蔵していると言われているんですよ。
またヨーロッパでもドイツのフランクフルト工芸美術館やベルリン美術館、スウェーデンのストックホルム美術館も収蔵しているんですね。
辻村さんの作品をお求めになる場合は、以下のサイトから購入が可能です。
辻村さんが孤高の芸術家と言われるのは、先の経歴にあるようにリヤカーの車輪でロクロを自分で作ったように、誰の師事を受けるでもなくすべて独力で培ったことにあります。
作陶のスタイルも、他の陶芸家のように流派といったこだわりもなく、また賞や名声といったものにも全く興味がなく、自分の作りたいものを作り続けているんですよ。
それは作陶だけでなく、辻村さんの絵画や書、水墨画などすべてに言えることなんですね。
陶器を焼く窯も手作りですし、家や工房まで自分でつくっているんですよ。
面白いエピソードがあるので紹介しますね。
辻村さんは、美術大学受験のために上京しているんですが、石膏デッサンやスケッチをしているうちに嫌になり、大学受験を放棄したのは前に述べましたね。
画家になりたかったわけですが、美大を諦めても画家になる夢は捨てなかったんですね。
そこで高名な画家の元を訪れ、弟子にして欲しいと頼み込んだそうですが、見事に門前払いを食い弟子になることは叶わなかったそうなんですね。
それで、すべて自分でやろうと決心したのではないかと推測しているのですが、どうでしょうか、違いますかね。
辻村さんは、弟子を取らないことで有名なんですが、ここにもそのときに決心したことが、脈々と現れていると思います。
2人の息子さんにも、これといって教えたことはなかったというんですね、息子さんは父の姿を見ながら学んだだけだそうですよ。
でも例外があるんですね、それは細川護煕さんを弟子にしているんですよ。
そうなんです、あの79代内閣総理大臣の細川さんなんですね、細川さんは政治家としてだけでなく、陶芸家や茶人としても知られているんですね。
あるとき、辻村さんの名声を聞いて門を叩くのですが、当然門前払いだったそうです。
それでも、細川さんは諦めなかったんですね、再度門を叩き「昨日よりも今日、いいモノを作りたい」と説得したそうなんですね。
そんな思いが辻村さんを突き動かして、ただ1人の弟子になったということですよ。
辻村史朗さん、孤高の陶芸家にして画家であり、書家であり、水墨画家でもあるんですね。
6月15日放送の『プロフェッショナル 仕事の流儀』では、どんなお話をしてくれるのでしょうか、とても楽しみです。
★ NHK総合『プロフェッショナル 仕事の流儀』 6月15日(火) 22:30~23:15
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「梅田日本酒みずどり」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「辻村史朗の工房や書・息子に家族?プロフィールや経歴も孤高の陶芸家」と題しまして、辻村史朗さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
2020年には「Art Fair Tokyo 2020」で、過去最大規模で50年に渡る作陶を振り返り、辻村さんご本人が選んだ『辻村史朗選 50盌』を開催予定だったんですね。
この辻村さんの集大成ともいうべき展覧会が、新型コロナウイルスの感染拡大の影響により流れているんですね、とても残念です。
スタート当初は、10坪ほどの小屋を住まいとした辻村さんですが、その後は手を入れて大豪邸になっているんじゃあないですかね。
実際の工房兼自宅の詳しい場所や詳細が明らかにされていないので、ここでお伝えはできないのですが、当初から見たら自宅も工房も周辺も、すべてが変わっていると思いますよ。
15日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』では、工房なんかも映像があると思いますので、きちんとチェックすることといたします。
そして、辻村史朗さんのお話をしっかり聞かせていただきますね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!