こんにちは、sadachi. です!
今夜のNHK総合『NHKスペシャル』は、読売新聞グループのトップ・渡邉恒雄さんの登場になります。
御年94歳の渡邉恒雄さんは、今回のNHKの出演で映像メディアによる初めてのロングインタビューが実現したとのことですよ。
読売の総帥ですからね、日本テレビとか関西の読売テレビのインタビューというのならわかるんですけど、NHKですもんね、引っ掛かりはなかったんでしょうかね。
内容的には日本の歴代首相の戦争体験が、戦後日本に与えた影響を語っているそうで、現在に何をもたらしているのか興味のあるところですね。
今回は「渡邉恒雄の若い頃・高校や大学は?嫁や家族・家系図もたかが選手とは」と題しまして、渡邉恒雄さんの人となりに迫ってみたいと思いますので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
ではまず最初に、渡邉恒雄さんのプロフィールを確認してみましょうね!
【渡邉恒雄さんのプロフィール】
名 前 : 渡邉 恒雄(わたなべ つねお)
生年月日: 1926年5月30日(94歳)
出 身 : 東京府豊多摩郡(東京都杉並区)
身 長 : 168 cm(若い頃)
体 重 : 80 kg(これは現在の体重)
血液型 : O 型
趣 味 : 読書(哲学書など)、クラシック音楽鑑賞
中学校 : 開成中学校(現:開成高等学校)
高 校 : 東京高等学校(現:東京大学・東京大学教育学部附属中等教育学校)
大 学 : 東京帝国大学文学部哲学科
所 属 : 株式会社読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆
日本は第2次世界大戦後、米国の教育使節団の提言などを受け、小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年という「6・3・3・4制」を採用しているんですね。
その制定が1947年ですから、それ以前の教育を受けている渡邉さんの中学や高校時代は、現行のものと違うということを理解してくださいね。
不動貯金銀行(現:りそな銀行)に勤めていた父・平吉さんと母・花さんの間に1926年ですから、大正15年に生れているんですね。
5人姉弟の3番目ということですけど、上の2人がいずれもお姉さんなので、3番目にして長男ということなんですね。
1934年、渡邉さんが8歳のときに父親の平吉さんが、胃がんで急逝しているんですね。
戦前の家父長下では、長男である渡邉さんが全財産を相続することになります。
母親の花さんは、「お前は跡継ぎだ。だからお前は勉強して偉くならないかん。成績も全甲でないと、援助してくれている目黒の伯父さん に報告できない」と叱咤しているんですね。
ところが中学の受験では、第一志望の府立高校尋常科、第二志望の武蔵高校尋常科、第三志望の府立一中と続けて受験に失敗、ようやく第四志望の開成中にビリに近い成績ですべり込んだそうですよ。
母親の花さんは、「あんなボロ中学に入って情けない」と親類の前でオイオイ泣いたというんですね。
渡邉さんは開成中学3年のときに哲学の道を志し、毎日哲学書ばかり読んでいたそうですよ。
渡邉さんは反軍少年だったそうで、記念祭で上級生らと一緒に、軍国主義を吹聴する校長とか教職員を襲撃して殴ったとのことです。
東京高等学校を経て1945年4月、東京帝国大学文学部哲学科に入学するんですけど、すぐに学徒出陣で徴兵され、近衛師団に配属されています。
戦争も末期で出陣することはなかったんですが、上官から暴力を受けるなど理不尽な目にあったそうですよ。
この年の12月には、日本共産党に入党を申し込んでいるんですね。
ビラ貼りや演説会の勧誘など下積みのような活動を経験して、1947年頃、正式な党員として認められています。
東大学生細胞(現:支部)に所属し、ほかの大学でも演説を行って党員を増やしたりしましたが、1947年12月には自ら離党届を提出、結果的に除名されています。
1950年3月に東京帝国大学新聞研究所(現:情報学環)を修了し、読売新聞社に次席で入社しています、そのときの首席は後に作家になった三好徹さんだったそうですよ。
因みに東京新聞には合格していたそうですが、入りたかった朝日新聞と中央公論には入社試験で不採用になっているんですね。
ここまで、渡邉恒雄さんの若い頃をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。
渡邉さんの奥さまは篤子さん、肝硬変を患い2017年10月に87歳で死去されています。
また渡邉さんには息子さんがひとりいらっしゃいます、名前は渡邉睦さん、渡邉さんが読売の記者時代可愛がられた大野伴睦さんから一文字もらってつけた名前だそうですよ。
渡邉睦さんは現在(2019年4月1日の異動)、三井住友信託銀行でエグゼクティブアドバイザー(専務執行役員)とのことで、銀行内でも出世頭とのとこですよ。
渡邉恒雄さんの家系図を探してみましたが、見つかりませんでした、ですが、奥さまの篤子さんの先祖が佐賀県の大名である鍋島家だったんですね。
鍋島家の家系図があり、その端に篤子さんと結婚した渡邉恒雄さんが載っていましたので、参考に掲載しておきますね。
渡邉さんが読売巨人軍のオーナーだったことは広く知られていますが、野球の知識は素人以前で巨人の選手やコーチの名前すら覚えていないといいます。
1996年オーナーに就任したときに「野球はやったこともなく興味もなかった」と公言しているんですね。
当時の球団社長の桃井恒和さんに、「今さら誰にも聞けないんだがな。君、遊撃と二塁はどちらが一塁に近いんだ?」と質問したことがあるそうです。
その後野球界をすばやく学習し、これまでの球団の人気、資金、読売新聞と日本テレビ放送網という巨大メディアを背景に、影響力のあるオーナーとして球界に君臨しています。
渡邉さんは、コミッショナーの人事も決めるほどの人物と言われたんですよ。
2004年、パリーグで人気が低迷していた近鉄バッファローズとオリックスブルーウェーブの間に合併話が持ち上がったことがありましたよね。
そのときに福岡ダイエーホークスと西武ライオンズの親会社が、経営難による身売り説も飛び交っていたんですよ。
この問題の解決に渡邉さんは、西武の堤義明オーナーとオリックスの宮内義彦オーナーらと日本プロ野球1リーグ構想を画策したんです。
ですが、当時ライブドアの堀江貴文社長が近鉄バッファローズの買収に名乗りを上げている状況でしたので、世論の反発を招くことになったんですね。
さらに2リーグ12球団の維持を主張していたのが、日本プロ野球選手会だったんです。
当時選手会会長の古田敦也さん(ヤクルトスワローズ)が経営者側との会談を提案したんですが、渡邉さんはこれを拒否しているんですね。
そして、この件に関するインタビューで渡邉さんは、「無礼な事言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。」と発言したんですね。
これにはさすがに、選手はもちろん、野球ファンを含む世論全体から猛反発を受けているんですね。
「たかが選手が」ですか、ナベツネと称された渡邉さんらしい発言ですが、この頃からですかね「球界の独裁者」とか「球界のドン」と言われるようになったんですね。
このあと明治大学の一場靖弘さんを巡る裏金事件が発覚して、渡邉さんは球団社長の土井誠さん、球団代表の三山秀昭さんとともに責任を取ってしています。
球団オーナーの座は、読売新聞東京本社社長の滝鼻卓雄さんに譲っているんですよ。
プロ野球再編騒動に関しては、世論に後押しされた日本プロ野球選手会がストライキを決行して経営者側をねじ伏せ、2リーグ制が維持されることになったんですね。
その後1年足らずで球団会長に就任した渡邉さんは、肩書きを変えながらも実質オーナー状態に復帰しているんですよ。
今夜の『NHKスペシャル』では、野球の話は出ないと思いますけど、ロングインタビューとのことで1時間以上ですから、ひょっとしたらどこかであるかもしれませんよ。
★ NHK総合『NHKスペシャル』 8月9日(日) 夜 9時~10時13分
※ 「渡辺恒雄 戦争と政治~戦後日本の自画像~」というテーマになります。
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「カネナシオペラクン」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「渡邉恒雄の若い頃・高校や大学は?嫁や家族・家系図もたかが選手とは」と題しまして、渡邉恒雄さんの人となりに迫ってまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
過去にはまことしやかに死亡説が流れたりした渡邊恒雄さん、94歳というお歳ながらまだまだお若いところを見せてくれるのでしょうね。
渡邉恒雄さんは、70年にわたって戦後政治の表と裏を目の当たりにしてきたといいます。
戦争の記憶が薄れていく、というよりは戦後の日本しか知らない世代が大半という中で、どんなことを語ってくれるのか、戦後75年をひも解く独占告白に期待が寄せられます。
今夜の『NHKスペシャル 渡辺恒雄 戦争と政治~戦後日本の自画像~』、午後9時にオンエアーですよ!
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!