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米津玄師の血液型や座右の銘は?プロフィールや経歴・友人や彼女も!

こんにちは、sadachi です!

政府および専門家会議において、今後2週間が拡大のための重要な期間として位置付ける方針が発表され、26日からのライブが次々と中止の憂き目にあっています。

米津玄師さんも今ライブの真っ最中なのですが、2月27日の宮城公演と3月7日の三重公演が中止を余儀なくされたようですね。

米津さんのライブを楽しみに応募して、宮城と三重だけしか当選していないファンの方もおられるでしょうから、その”お嘆き”のほどお察し申し上げます。

そんな米津玄師さんは、30にも満たない若さで「国民的歌手」と呼ばれるまでになっているんですよね。国民的歌手ですよ!

そこで「米津玄師の血液型や座右の銘は?プロフィールや経歴・友人や彼女も!」と題しまして、米津玄師さんのあれこれをまとめてみましたので、参考にしていただけたら嬉しいです!

それではさっそく、本題へいってみましょう!

Contents

米津玄師の血液型や座右の銘は?

代表曲『Lemon』は、2018年の発売でしたよね。それが昨年でも多くのチャートで1位を獲得するなど、米津玄師さんの昨年はランキングで33冠を達成しています。

昨年末のNHK紅白歌合戦だけを見ても、『パプリカ』や『カイト』など米津さんが提供した楽曲だけで3曲ですよ。

近年はライフスタイルの変化や音楽の多様化が進んだことによって、国民的ヒットが生まれ づらいといわれています。

そんな中、音楽業界において、ここまで世代を超えて愛されるのは珍しく、米津さんの楽曲や名前を聞かない日は無いくらいに、いまや日本を代表する歌手と言えるんですね。

これだけビッグネームになると、血液型が一緒とか、どんな考え方をするのか、どんな癖の持ち主か気になるんでしょうね、あやかりたいと…!

米津玄師さんの血液型は、日本では32%と2番目に多い”O”型です。因みに、一番多いのはA型で37%、B型が22%、AB型が9%だそうですよ。

米津さんの”座右の銘”があれば…と探したんですけど、見当たりませんでしたね。

米津さんは作詞も含めて、音楽誌のインタビューとかいろんなところで、話していることが話題になっていますよね。

私も、ひとつだけピックアップしてみました。

逐一考えながらやる。

気がついたら自分は
ここにいたっていうのが

一番美しいんじゃないかなって。

米津玄師のプロフィールや経歴

それではここで、米津玄師さんのプロフィールを確認しておきましょうね!

名 前 :米津 玄師(よねず けんし)

生年月日:1991年3月10日(28歳)

出 身 :徳島県徳島市

身 長 :188 cm

血液型 :O型

趣 味 :ゲーム、ジョギング、漫画

小学校 :徳島市立津田小学校

中学校 :徳島市立津田中学校

高 校 :徳島県立徳島商業高等学校

専門学校:大阪芸術大学付属大阪美術専門学校

所 属 :REISSUE RECORDS

1991年3月、徳島市で生まれた赤ん坊は4500gもあったそうです。どのような経緯で名前を付けられたのかは本人も聞いていないそうですが、玄師(けんし)と名付けられます。

特徴的な名前もあってか、幼い頃はいじめられることが多かったといいます。幼稚園の時に人とぶつかり唇に大出血する大けがをして、病院に運ばれています。

今も唇が少し腫れているように見えるのは、その名残りらしいですね。

汚いものを見るような感じで見られ、自分自身怪獣のようなものになったと、生きていることに居心地の悪さや周囲との違和感を感じていきます。

あまり友達もいないので、自分の頭の中で作り上げた架空の人物と話すことを、心の拠り所にしていたといいますから、クラスメイトなんかにもなじめなかったようですね。

人とは違う自分にコンプレックスを感じて、普通にできないということに悶々としながら、当時流行っていた「スピッツ」や「BUMP OF CHICKER」などのバンドに憧れていたんです。

こんな存在になりたいと中学2年生のときに、2万円のギターを購入し、仲のいい友達を誘いバンドを結成することになります。

当時の同級生の話では、中学の文化祭でオリジナル曲を披露して、みんなを驚かせていたとのことで、田舎の学校なのでそんなことをする人は、米津君たちが初めてだったと振り返っています。

20歳の頃に人とうまくコミュニケーションが取れないと、医者に行ってわかることなのですが、「高機能自閉症」と診断されたようですね。

高機能自閉症の影響もあり、バンド仲間に自分がやりたいことをうまく伝えられずに、高校に入学すると、このバンドは自然消滅するんですね。

そんなときに出会ったのが、動画配信サービス「ニコニコ動画」だったんです!

ニコニコ動画を知った米津さん、現在でもサポートメンバーとして支えてくれている、当時のバンドメンバーに作曲した曲を演奏してもらい、音源を投稿するようになったなったんですね。

それ以降は、1ヵ月に3曲投稿することもあったそうです。インターネット上に居場所を見つけたこともあり、高校時代にすでに音楽で食べていく覚悟を決めたようです。

それでも最初に憧れたバンドへの執着を捨てきれず、バンド仲間を見つけるために大阪芸大付属の専門学校進学します。

しかし、そこでのバンドもうまくいかず…、そんなときにヤマハの音楽合成技術「ボーカロイド」に出会うんですね。

米津さんは2009年5月に、”ハチ”名義で『お姫様は電子音で眠る』をニコニコ動画に発表すると、『結ンデ開イテ羅刹ト骸』、『マトリョシカ』、『パンダヒーロー』と、動画が次々とミリオン再生を達成するんですね。

一躍、ボーカロイド界のトップクリエイターとして、名前を知られていくことになるんですね。デジタル時代だからこそ誕生した”時代の寵児”と言えますね!

でも米津さん自身は、画面の向こう側で指示してくれる人はいても、自分の周りには誰もいないと感じ始め、身近な人たちを喜ばせられなければ意味がないと気づいたのです。

そこで2012年から、これまで築いたものを捨てて、本名の”米津玄師”として活動していくことを決意したんですね。

2012年2月より自ら作詞作曲・ボーカルを務めた『ゴーゴー幽霊船』、『vivi』、『恋と病熱』を立て続けに発表、5月にはルバム『diorama』を発売して、オリコン週間アルバムランキング初登場6位を記録しています。

特筆すべきは、得意なボーカロイドを一切使用しなかったことですね。「ボーカロイドを隠れ蓑にしたくなかった」という考え方に基づいてのコトだったといいます。

そしていよいよ、2013年5月にユニバーサルシグマからシングル『サンタマリア』をリリース、メジャーデビューを果たし、国民的歌手としての第一歩を踏み出すのです!

米津玄師の友人や彼女も!

米津玄師さんが、国民的歌手として位置付けられているのは、ひとえに支持層の幅の広さにあります。偏っていないんですね。

大衆性に富んだ、普遍的な物を作ることを…、日本人だからこそ、J-POPとしての音楽を作りたいと10代から50代という幅広い世代から支持されているんです。

そんな米津さんの友人、交遊録というと一番さきに名前があがるのが、俳優の菅田将暉さんでしょうね。

2017年のアルバム『BOOTLEG』収録の『灰色と青(+菅田将暉)』で共演、昨年も菅田さんの楽曲『まちがいさがし』のプロデュースを努めていますよね。

YouTuberのヒカキンさんも親しい仲間のひとりなんでしょうか、朝まで一緒に飲んで語り明かしたことがあるのは、ホントみたいですよ。

そのほかに、松田翔太さんは結婚式に招待される仲ですし、川谷絵音さんはお互いツイートする仲らしいですよ。

では、米津さんに彼女はいるのでしょうか、気になりますよね。

過去に噂にのぼった女性として、2017年に『打上花火』でコラボしたDAOKOさん、同じニコニコ動画の投稿から音楽活動をスタートしたところから話題になりましたね。

ファンの間で、米津玄師さんのT‐シャツを着ていると話題になったのがアリスムカイデさんですね。同い年で仲がいいのは確かなんですが、彼女というのはどうなんですかね?

まことしやかに彼女と指摘されたのは、米津さんの個人事務所「REISSUE RECORDS」の女社長と言われる”K”さん、一般人扱いなので詳細は不明ですが、昨年の1月に週刊文春によってネット配信されています。

Kさんは、元レコード会社のスタッフで米津さんをスカウトしたの1人で、後に米津さんの信頼を得て「REISSUE RECORDS」を立ち上げたとき、社長に就任したという10歳年上の女性という情報ですね。

2018年の第69回NHK紅白歌合戦に、故郷である徳島県内の大塚国際美術館からの中継で『Lemon』を披露し初出場した際、出演を強く後押ししたのも彼女だったということらしいのですが…!?

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注)アイキャッチ画像に関しましては、「aiko@dailytopic」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡

まとめ

今回「米津玄師の血液型や座右の銘は?プロフィールや経歴・友人や彼女も!」と題しまして、米津玄師さんのあれこれをまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?

国民的歌手として位置付けられている反面、メディアへの本人の露出が少ないため、まだまだベールに包まれている感が否めない米津さんですが、その足掛かりとなるところまでご紹介してみました。

その後『アイネクライネ』や『Flowerwall』など、またアルバムでも『YANKEE』や『Bremen』に繋がっていくわけですが、2013年以降もいろんなエピソードがありますので、機会がありましたらご紹介したいと思います。

”普通になりたかった少年”米津玄師さん、その生まれ(4500g)のビッグさに似合わずコンプレックスを抱え、それがために現在があると言っても過言ではないでしょう。

米津玄師さんのますますのご活躍を祈念いたします!

それでは、今回はここまでとさせていただきます!

最後までご覧いただき誠にありがとうございました!

sadachi

こんにちは、sadachi. です! 当ブログににお越しいただき、誠にありがとうございます。 今までは、私の拙い文章で進めてきましたが、今後はいろんな似顔絵に挑戦して、その仕上げていく過程を見ていただきたいと思います。 あなたのちょっとしたお時間に、私の似顔絵を見ていただくことができたら、最高に嬉しいです! よろしくお願いいたします!