こんにちは、貞千です!
山野之義市長が昨年11月に4選を果たし、金沢市長の3期目に突入しました!
私が金沢に来て最初の市長選が2010年に行われました。当時山出保現職市長が6選を目指して出馬しており、えェ~6選!?っとビックリしたものでした。
大阪時代から多選に批判的な風潮があり、引っ越して1年余りで6期なんてそりゃあアカンわ!と、金沢事情も知らず新人の山野之義氏に投票したのを覚えています。
また山野氏の弁も良かった!山野氏も多選阻止で出馬し「私が市長を続けさせていただくなら3期までとします!」って、誰でも山野氏に投票したくなりますよね!
結果、山野氏が58204票、山出現職市長が56840票、わずか1364票差で山野氏が金沢の新市長になったのです。投票率は35.93%(前回27.39%)でした。
今回は「山野之義の息子や妻と経歴・学歴と評判!石川県知事選への出馬は?」と題しまして、昨年7期目に突入し8期目も目指そうかという谷本正憲知事の阻止に向けて、期待を込めて山野金沢市長をまとめていきます!
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
山野之義市長が4選を果たし3期目に突入したわけですが、では山野氏はどういった人物なのでしょうか?
ここでは息子さんや奥さまのご紹介と経歴やプロフィールなどを見ていきますね!
名 前:山野 之義(やまの ゆきよし)
生年月日:昭和37年3月30日(57歳)
出 身:石川県金沢市
小学校:金沢市立長町小学校(現金沢市立中央小学校)
中学校:金沢市立野田中学校
高 校:石川県立金沢泉丘高等学校
大 学:慶應義塾大学文学部仏文科卒業
略 歴:平成2年4月1日 ソフトバンク株式会社に入社
平成6年8月31日 ソフトバンク株式会社を退社
平成7年5月2日 金沢市議会議員に就任
平成22年11月9日 金沢市議会議員を辞職
平成22年12月10日 金沢市長に就任
平成26年8月18日 金沢市長を辞職
平成26年10月7日 金沢市長に就任
平成30年12月10日 金沢市長(3期目)
そんな山野市長、家族構成は奥さまと一男一女の4人家族です。
山野市長は、Twitterやアメーバーブログ、Facebookにオフィシャルウェブサイトを持っています。まだ他にもあるかもしれませんね。奥さまも時たまに、アメーバーブログに投稿しているようです。
ご長男が中学1年生の時に学童野球クラブに所属していたのですが、当時山野市長はクラブの顧問で、その総会に呼ばれた時のエピソードにこんな話があります。
保護者の皆さんから「応援しているから頑張って」など、励まし等の温かい言葉をかけてもらい、また何人かの方はブログも読んでいただいていると、とても嬉しそうにご家族に話したそうです。
ご長男は、この忙しいさ中に自分が所属しているクラブを大切に思ってくれる父親が嬉しかったんでしょうね。
その直後にご長男が、山野市長と奥さまの靴を磨いたそうです。「こんなことしかしてあげられないけど、頑張ってね」…と!
いいお話ですね。時期的に想像すると、初の市長選に向けて東奔西走していたときのお話だと思います。
優しい奥さまやお子さまに囲まれていたからこそ、自分の子どもだけでなく次世代を担う若者を大事にという公約が生まれたのだろうと思います!
祐子(?)奥さまがつぶやいています。私は母として弱虫かもしれないけど、自分の子を政治家には薦められない・・・と、m-m!
ご存知のように山野市長は1期目の終盤に、Xによる【利害誘導を行った疑いと特定業者の利益を図ろうとした疑い】で辞職しています。その時点では出直し選挙をするつもりはないとの意思だったのですが…。
金沢市内の大学生の出直し選挙への出馬を求める署名や地元民の後押しにより、出直し選挙への出馬を決め1期のうちに2度当選することになったのです!
山野市長を応援するXがグレイか黒かは別にして、道義的・倫理的責任はあるものの刑事責任にはならず、金沢市民には迎え入れられる結果になったのです!
評判がいいということの顕れでしょうか?終盤に選挙をやるということは、指示されたとしても次の2期目の選挙がすぐ間近です。お金もかかります。そのような事情も鑑み、学生が動き市民が指示したということは、本当に信頼がなければ再選は無理だったと思います!
そういったことに後押しされ、2期目では無投票で当選、4回目の選挙となる3期目では共産党候補を大差で破り当選に至っています!
何度も申しあげているように山野市長は現在第3期目に入っています。それは最初にご自身が公約した金沢市長任期最終期ということです。
それに山野市長はまだ若い、昭和37年生まれですからまだ57歳です。それに比べて石川県知事・谷本正憲氏は74歳、万一8期目に入ることになれば77歳で4月生まれですからすぐに78歳になります。
何にも増して、8期ともなれば権力の一点集中もさることながら、石川県には人材がいないということを全国に知らしめることになるのです。7期でも凄いことですから…!
ここで谷本正憲石川県知事のプロフィールをご紹介します!
名 前:谷本 正憲(たにもと まさのり)
生年月日:昭和20年4月16日
出 身:兵庫県西脇市
大 学:京都大学法学部
略 歴:昭和43年4月1日 自治省入省
昭和50年8月1日 島根県総務部財政課長
昭和57年10月5日 宮崎市助役
昭和61年4月1日 茨城県環境局長
昭和63年4月1日 茨城県総務部長
平成2年4月1日 自治省行政局公務員第二課長
平成2年7月2日 自治省財政局交付税課長
平成3年7月13日 自治省財政局公営企業第一課長
平成3年12月28日 石川県副知事
平成6年3月2日 石川県副知事辞職
平成6年3月29日 石川県知事就任
平成30年3月27日 石川県知事(7期目)
過去例を見ると、8期務めた知事は全国で2人だけなんですが、驚くべきことに石川県の元知事で中西陽一さんという方がそのうちの一人だったのです。石川県というのは、多選の土壌があるのでしょうか?
因みに、中西さんは在職中に死去されています。その時76歳で、在職期間の30年9ヵ月は知事在任最長記録として破られていないそうです。
日本の地方公共団体では首長の権能が極めて強く、首長が政策立案から実施に至るまで一手に行い、議会の役割は監督と住民の要望吸い上げに事実上限られる。首長が行政の人事権や毎年の予算を決める決定権、土地利用の許認可権等を一手に握ることになるため、多選をくりかえすと、首長の専制化、独裁化が起こり、行政組織が硬直化する可能性が高くなり、人事の停滞や側近政治により職員の士気が低下し、また、癒着による腐敗も起きやすくなってしまうとの批判がある。
多選ウィキペディア
上記に引用させていただいたウィキのように、多選における弊害というのは目に見えず組織を硬直化していきます。
谷本知事の6期時代に新幹線が金沢まで開通し、大功績を残した偉大な知事というような引き際があったのに残念なことだと思っています。
8期目とかにはならないように、7期でご勇退いただきたいと思うのですが、そうならなかった場合に対抗馬としては山野現金沢市長しか居ないのではないかと確信しています!
谷本さん!次代を担えるような後継を育ててください、そして中西さんの記録を抜こうなんて思わないでください!
山野さん!金沢市からステップアップして、石川県全体のことを考えてください!
山野之義金沢市長も谷本正憲石川県知事も、お二人とも市民や県民が納得する実績を残されています。そのことをこの場で云々するつもりは毛頭ありません!
ただ、山野市長は3期目ですし、最初に公約した3期までという前言を翻して4期目に挑戦するなんてことになったら、それこそ軽蔑の対象になります!
また、谷本石川県知事は県政に自信がおありでしょうが、オールトータルで俯瞰していただき、次代の人材を育てるべきであるということに思い至っていただきたいと思います!
今回は「山野之義の息子や妻と経歴・学歴と評判!石川県知事選への出馬は?」と題しまして、山野市長のご家族から経歴、知事就任への期待などをお届けしてまいりましたが、いかがだったでしょうか?
山野市長も谷本知事も昨年それぞれ当選していますので、現職に就いたばかりで先の長い話になりますが、金沢に来て10年余りの私の意見を忌憚なく述べさせていただきました!
偽らざる気持ちですので、ご参考にしていただけたら幸いです!
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!