こんにちは、sadachi. です!
新宿歌舞伎町・風林会館にあった東京都内最後のグランドキャバレー「ロータリー」が、各界から惜しまれつつも、2月いっぱいで閉店しましたね。
50余年以上にわたって、サラリーマンから政治家まで広く愛され続けたロータリー、昭和の雰囲気を色濃く残す店として親しまれた人情キャバレーだったんですよね。
そんなロータリーに、NHKのカメラが入ったんですね。
今夜放送のNHK『ドキュメント72時間』が、2月の閉店までの3日間、カメラは新宿・歌舞伎町の老舗大衆キャバレー「ロータリー」の何を捉えたのでしょうか?
そこで「ロータリー新宿歌舞伎町さよならキャバレー!ドキュメント72時間!」と題しまして、歌舞伎町のロータリーがどんなキャバレーだったのかなどをまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
ロータリー新宿歌舞伎町 さよならキャバレー!
そもそも、キャバレーとはどういったところなのでしょうか、ここから見ていきますね。
キャバレーとは、本来はダンスやコメディアンショーなど、パフォーマンスをする舞台のあるレストランやナイトクラブの事なんですね。
キャバレーは第二次世界大戦後に全国の歓楽街で広がり、ホステスが隣に座って水割りをつくったり、会話を楽しんだり…と、そんなサービスで飲食をする酒場のことなんですよ。
またバンドの生演奏が行われたり、客が社交ダンスを楽しんだりできるのが特徴で、中でも規模が大きいキャバレーのことを夜の街では「グランドキャバレー」と呼んでいたんですね。
バーやスナック、ラウンジやクラブなど、それぞれの違いが分かりやすく解説されているのが「こちら」なので、確認してみてくださいね。
今はやりのキャバクラは、キャバレーとクラブを合成した造語で和製外来語なんですね。
キャバクラは先払い制度など、キャバレーのような明朗な時間制料金にクラブの高級感を合わせ持つことを意図しているそうですよ。
ロータリーが歌舞伎町・風林会館で営業を始めたのは1968年(昭和43年)のことです。
面積は230坪、今でこそ面積は半分になったそうですが、当時は店のほとんどがダンスフロアと客席で、ステージも大きかったそうですよ。
ここにキャバレー一筋62年のキャリアを誇る伝説の支配人・吉田康博さんがおられたんですね、御年82歳というからさらに驚きです。
物腰が柔らかく、人一倍てきぱき動き回る姿には年齢を全く感じさせないといいます。
そして吉田さんの事務所には、壁一面に女性たちのスナップ写真が貼られているそうなんですね、色あせたものから新しいものまで、みんな楽しそうなポーズを決めているそうですよ。
歌舞伎町のキャバレーでボーイとして働き始め、それから60年以上にわたって27軒のキャバレーを渡り歩いてきたという吉田さんが語っています。
「人との出会いが魅力の仕事ですよ。私はキャバレーの仕事を通じてアジアの小国の人口くらいの人と出会っていますからね」
吉田さんにとっては、ホステスさんとの出会いも大事な人と人の触れ合いだったんですね。
キャバレーは昭和50年代に隆盛を迎え、都内だけでも700店舗もあったと言われています。
店はさらなる集客をのためにステージのショーアップを企画していくんですね。
当時は、美輪明宏さんや夏木マリさんなど一流の歌手や俳優がステージで歌い、ビートたけしさんがコンビを組んでいた「ツービート」も漫才を披露していたそうですよ。
ロータリーの今では想像もつかないような豪華なショータイムのなかで、その芸を磨いたという人が毒舌漫談家の綾小路きみまろさんです。
キャバレーのボーイからスタートして、次第にステージの司会を務めるようになり、経験を重ねてやがてみずからも漫談を披露するようになっていったというんですね。
キャバレーは芸の道を志す人たち、特に下積み時代には登竜門として、なくてはならない存在だったんですね。
綾小路きみまろさん
昼間テレビに出ている人もまだ修行中の人もキャバレーで演じて稼ぎ、生活していました。それでも、ホステスさんと酒を飲んで話をほとんど聞いていないお客さんを振り向かせるのは大変でした。おしぼりが飛んできたこともあれば、灰皿が飛んできたこともありますが、それは、私がひと言多いから。「本日は、お金もないのにようこそいらっしゃいました」と言いながらステージに出て行きましたよ。それでも私を使ってくれました。キャバレーがなかったら今の私は存在していません。
当時を懐かしそうに振り返えるきみまろさんですが、競争が激しかった歓楽街の世界で感じていたのは、意外にも「人の温かさ」だったと言うんですね。
綾小路きみまろさん
漫談を終えるとホステスの方が「お客さんを紹介するからこっちに座って飲みなさい」とお酒をごちそうしてくれたこともありました。地方から出てきた人たちがみんなで力を合わせて生きてきたような、義理と人情で支えられた時代だったと思います。
キャバレーは、ロータリーが閉店すると都内から消えるそうです、ロータリーが最後の砦だったんですね、全国的に見ても数えるほどしかないそうですよ。
前出の支配人・吉田さんは、キャバレーが消えていくことに1つの時代の終えんを感じているといいます。
吉田さんがロータリーの営業を終了するとの「お知らせ」を出して以来、店は連日満席が続いたそうなんですね。
40年以上通っているという60代後半の男性は、
「若い頃から来ていましたが、今はここしかなくなっちゃって寂しいですね。吉田さんはいつも一生懸命やっていてその姿に感動していました。最後にあいさつをしたくて来ました」
と、話したそうですよ。
いよいよ「ロータリー」の営業最終日、店内はあふれかえるほど大勢の人たちが詰めかけたそうなんですね。
最後にお客さんたちに求められるようにステージに上がった吉田さん、花束を受け取りながら笑顔で別れの言葉を紡いだそうです。
吉田康博さん
「キャバレー辞めたら小さなお店でも開いたら」と声をかけていただきますが、そういう気持ちは全くないです。キャバレー屋はキャバレー屋として終わりたいです。キャバレー大好き人間なので。
新宿・歌舞伎町「ロータリー」さようなら、最後のキャバレー!
ロータリーの閉店からおよそ1ヵ月、世はコロナ禍の真っただ中で新宿・歌舞伎町に、かつての賑わいは全くなってしまったといいます。
あの2月の「ロータリー」の最後の賑わいは、幻だったかのように感じられます。
最盛期に200人近くいたホステスは、直近までは80人ほどだったそうなんですね。
そのホステスたちもバラバラに、ロータリーの閉店ともに引退したダンサー、夜から昼に舞台を変え、今は工事現場で警備員をしている男性スタッフなどがいるそうです。
また、20人ほどがほかのクラブなどへ移籍したといいますが、新型コロナでクラブは臨時休業、先行きの見通しが立っていないといいます。
あの62年にわたって歌舞伎町に通い続けた吉田さんでさえ、コロナが怖くて近づかないそうなんですよ。
賑わいが消えてしまった新宿・歌舞伎町ですが、一時期盛り返してきたように報道されていた歌舞伎町でしたよね、第2波が襲っているいわれる東京で今はどうなんでしょうか?
そしてそんな中、新宿・歌舞伎町の賑わいはこんなにあったんだとばかり、振り返らせるような今夜の『ドキュメント72時間』、最後のキャバレーにカメラを入れて…。
私たちに何を見せてくれるのでしょうか、何を伝えてくれるのでしょうか、最後の人情味あふれる老舗大衆キャバレー、期待がかかりますね。
★ NHK総合『ドキュメント72時間』 10月16日(金) 夜 10時45分~11時14分
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今回は「ロータリー新宿歌舞伎町さよならキャバレー!ドキュメント72時間!」と題しまして、歌舞伎町のロータリーがどんなキャバレーだったのかなどをまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
新宿・歌舞伎座、日本有数の歓楽街、ここで歩み続けた52年間の歴史に幕を閉じた「ロータリー」、新宿区役所すぐ近くの風林会館、そのビルの6階にあったんですね。
遅ればせながら何ですけど、正式名称は「SUNTORYパブクラブ ロータリー」です。
そしてロータリーの52年の歴史よりも、62年のキャリアと上を行く支配人・吉田さん、その夢はというと「かなわぬ夢だと分かっていても、50年後の歌舞伎町のネオン街の姿を見たいものだ」と言うんですね。
現在82歳ということですから、望みはかなえられないでしょうけど、愛しているからこそと思うんですね、そのお気持ちはよくわかります。
今夜の『ドキュメント72時間』を観て、吉田さんは何を感じるのでしょうか、ぜひお聞きしてみたいと思いますが、それも叶わないんですね。
さようなら! 新宿・歌舞伎町最後のキャバレーロータリー!
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!