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城下歩の経歴や出身・中学高校と職業は?プロフィールと父や母は?

こんにちは、貞千です!

2020年の東京パラリンピックの開催まで、ちょうど1年となりました!

またチケットの申し込みが始まっております。抽選申し込みの受付は、2019年9月9日(月)11:59AMまでなのでご注意くださいね。

オリンピックは華々しく、いろんなところで取り上げられていますが、パラリンピックも一時期から見たら、マスコミ等いろんなところで取り上げられ盛り上がっていますよね。

そんな中われらが石川から「世界一」を目指している輝けるヒーローをご紹介したいと思います。その方は、電動車椅子サッカー(パワーチェアーフットボール)選手兼監督の城下歩さん(25)です。

城下歩さんは、現在所属する「金沢ベストブラザーズ」で、選手兼監督(ヘッドコーチ)として、「世界一になる」信念を胸に刻みながらチームの強化に励んでいます。

そこで今回は「城下歩の経歴や出身・中学高校と職業は?プロフィールと父や母は?」と題しまして、城下歩さんの経歴や出身、学校や現在の職業から父親や母親までまとめてみましたので、参考にしていただけたら嬉しいです。

それではさっそく、本題へいってみましょう!

Contents

城下歩の経歴や出身・中学高校と職業は

城下歩さんは、生まれながら骨が弱く折れやすい難病「骨形成不全症」を患い、両足には計三本の金属棒が入っているといいます。ご両親の助けもあってリハビリに励んで投薬も続けたおかげで症状は徐々に回復に向かって行ったのです。

そんな城下さんが「電動車椅子サッカー」に出合ったのは小学校3年の時で、ご両親が指導者や選手として活動する金沢ベストブラザーズというクラブチームに入ります。

城下さんは、医師から激しい運動はダメと言われ、こっそり始めた電動車椅子サッカー、才能と環境、練習量などめきめきと頭角を現し、中学ではパスやシュートに定評があり、すでに全日本クラスに成長しています。

そんな時に画期的なことが起こります。それは、2007年に電動車椅子サッカーのワールドカップ第1回大会が日本の東京で開催されたことです。

当然、全日本クラスの城下さんは日本代表候補に選ばれたわけですが、出場資格が16歳以上という年齢制限でその夢舞台には立てなかったといいます。現在が25歳ですから、単純計算で13歳の頃だったと思われます。

4年後の2011年の第2回ワールドカップはフランスで行われました。満を持して迎えた城下さんは日本を代表する中心選手に成長しています。

第1回大会の悔しさをはね返すべく「世界一になってやる」という強い意志を持って、フランス入りしたといいます、が…。

大会直前に行われた障害の状態の審査があり、その結果で重度クラスか軽度クラスのどちらかにわけられるのですが、回復が順調だったがためにどちらのクラスにも『該当せず』と判定されてしまったのです。

障害の重い、軽いにかかわらず車椅子に乗れば条件は同じと精進してきた競技だからこそ、大きなショックを受けたといいます。

このクラス分けは、理にかなっており、決して間違いではないと専門家は分析しています。ただ他国では、似たような選手が出場しており、城下さんは不運にも時代の流れの犠牲者となってしまったと言えそうですね。

城下さんは、それでも「チームのためにできることをやろう」と気持ちを切り替え、対戦チームを分析しサポートに徹するために帯同を続けたのです。

この時に心に誓ったのが、「選手として出場ができないのなら監督としてこのピッチに戻ってくる」だったといいます。18歳、高校3年生のときです。挫折してもおかしくない状況でコーチングスタッフとして世界の頂点を極めるという目標をもつことができたのですから、凄いとしか言いようのない選手だったんですね。

この時の日本は、優勝候補でありながら5位に終わったそうです。城下さんが選手として出場していれば間違いなく優勝していたというのは、誰しもが認めるところです。

金沢大学を卒業し、特別支援学校で教壇に立つ傍ら「金沢ベストブラザーズ」では、選手兼監督(ヘッドコーチ)としてチームの強化に励んでいます。

また「指導者の質、数ともに不足している発展途上の競技」感じていたことから、2017年に静岡県の「SFCデルティーズ」に招かれ直接指導、その年の日本選手権を優勝に導いています。

2018年には、「大阪ローラリータートル」を指導、このチームも日本選手権を制しています。城下さんは競技仲間から “優勝請負人” と呼ばれているそうです。それだけ卓越した指導者と言えそうですね。

城下歩さんは、野々市出身で明倫高校から金沢大学に進学し、卒業後は特別支援学校に就職されて、現在に至っています。

城下歩のプロフィールと父や母は?

ここで車椅子サッカーについて簡単にご紹介しますね。電動車椅子の前の足元の前部分にフットガードが取り付けられています。プレーヤーは、手やアゴなどでコントローラーを操作して車椅子を動かし、フットガードに直径32.5センチのボールを当てながらゴールを狙う競技です。

1チームはフィールドプレーヤー3名とゴールキーパー1名の計4名で、バスケットボールのコートを使用して行なわれます。スピード感があり、とてもエキサイティングな競技です。

城下歩さんは、一般人のため生年月日などの詳細は公開されていませんが、わかっている範囲でプロフィールを紹介しておきますね。

名 前 :城下 歩(しろした あゆむ)
生年月日:1993年11月12日
出 身 :野々市市
学 校 :野々市市の小・中学校
高 校 :石川県立野々市明倫高等学校
大 学 :金沢大学 学校教育学類 特別支援教育専修
勤務先 :特別支援学校
所 属 :金沢ベストブラザーズ
ファン :GARNET CROW、LadyGaga、Micheal Jackson

ご両親のご紹介ですが、お父さんは城下健一さんでお母さんは城下由香里さんといいます。お二人とも金沢ベストブラザーズの初期メンバーだったそうです。

城下歩さんが入ったころは、健一さんが指導者でお母さんの由香里さんはキャップテンでチームのエースだったということです。特に由香里さんは歩さんと同じ骨形成不全症の障害者だったようです。

小さいころに医師に激しい運動はダメと言われながら、電動車椅子サッカーに傾注して、選手として、また指導者として「世界一を目指す」というのもうなづけますね!

まとめ

今回は「城下歩の経歴や出身・中学高校と職業は?プロフィールと父や母は?」と題しまして、城下さんの経歴やプロフィールなどをまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?

残念ながら電動車椅子サッカーは、関係者によるいろいろな働きかけにもかかわらず、2020年の東京パラリンピックの種目には選ばれませんでした。

次開催である2024年のパラリンピックパリ大会の追加競技候補として、電動車椅子サッカーが残っているようです。

運命に翻弄されて夢舞台には立てなかった城下歩さん、「競技の普及とレベルの向上に尽くすのが使命」と言い聞かせ精進されています。

パリ大会以外に2021年と2025年にワールドカップも行われるので、これらの大舞台で監督・城下歩さんのもとで世界一の金メダルを獲得されると確信しています。

それでは、今回はここまでとさせていただきます!

最後までご覧いただき誠にありがとうございました!

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sadachi
こんにちは、sadachi. です! 当ブログににお越しいただき、誠にありがとうございます。 今までは、私の拙い文章で進めてきましたが、今後はいろんな似顔絵に挑戦して、その仕上げていく過程を見ていただきたいと思います。 あなたのちょっとしたお時間に、私の似顔絵を見ていただくことができたら、最高に嬉しいです! よろしくお願いいたします!