こんにちは、sadachi. です!
三重県志摩市、ほかの地方都市と変わらず、医師不足に悩まされているそうなんですね。
2014年冬に内科医が2年間不在だった志摩市民病院に、やっと1人の若手医師が総合診療科医として着任します、江角悠太医師その人だったんですね。
江角さんが着任したことで、医師の数は合計4名になったそうです。
ところが、事件は起きてしまうんですね、この経緯に関してはあとで詳述していますので、楽しみにしてくださいね。
そんなこともあってでしょうか、今夜放送されるNHKの『逆転人生』で、江角さんが特集されているんですね。
そこで「江角悠太の出身やプロフィールに経歴も!新米医師が院長に!感涙とは」と題しまして、江角悠太さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
江角悠太の出身やプロフィールに経歴も!
少し前にRTした「三重大学医学生へ、看護学生へ」
を書いた、志摩市民病院 江角悠太院長と言う人はすごいんだな。https://t.co/MOkuG4vkxI— 小二田 誠二 (@KONITASeiji) August 7, 2020
江角悠太さんの出身は、東京都練馬区なんですね。
ではまず最初に、江角悠太さんのプロフィールや経歴を確認しておきましょうね!
【江角悠太さんのプロフィール】
名 前 : 江角 悠太(えすみ ゆうた)
年 齢 : 38歳(誕生日が来ていれば1982年生まれ)
出 身 : 東京都練馬区
居住地 : 三重県志摩市
趣 味 : サーフィン
高 校 : 東京都立西高等学校
大 学 : 三重大学 医学部
大学院 : 三重大学医学部 大学院医学系研究科
所 属 : 国民健康保険志摩市民病院 病院長
【資格など】
★ 全国自治体病院協議会 三重県支部長
★ 未来の大人応援プロジェクト 理事
★ 東京医科歯科大学医学部 臨床准教授
★ 日本プライマリケア連合学会 専門医・指導医
★ 地域包括ケア病棟協会 理事
江角さんの父親・江角浩安さんも名古屋大学医学部を卒業して、最終的には、国立がん研究センター東病院長という肩書を持つ外科医だそうですよ。
江角さんは小さいときから、厳格な父と母や祖父母から「お前は何をしている?お前の人生は人に尽くすためにあるんだぞ」と言われ続けて、育ったというんですね。
江角さん自身は、これに反発してやんちゃんな青春時代を送っているんですね。
髪を茶髪にしたり、高校のときには仲間とカーチェースをして無期限の停学処分になったり、人の役に立つどころか、人を困らせることばかりやっていたそうですよ。
でも、高校2年生のときに映画『パッチ・アダムストゥールー・ストーリー』に出あって、医学界の常識を覆したアダムスに感動するんですね。
この映画を観たことで、自分のために生きるより人のために生きた方が楽しいと考えるようになったといいますから、ホント、人生の転機というのは分からないものですね。
父の浩安さんと同じように医者になろうと決意し、三重大学医学部に進学するんですよね。
2000年3月に三重大学大学院を卒業したあとは、沖縄中部徳洲会病院にて初期研修を受けているんですね。
その沖縄での研修で、臨床技術や患者などに対するベストな救急医療のあり方等々、多くの事を学んだそうですよ。
その後、鹿児島の徳之島で2カ月間の研修を経て、2011年より三重大学家庭医療学総合診療科で後期研修に入っているんですね。
研修のあとの経験値を積み上げた関係医療機関を紹介しておきますね。
亀山市立医療センター(内科)、三重大学医学部付属病院救命救急センター、名張市立病院(内科)、県立一志病院 家庭医学科など三重県内の各地で医療に従事し、医師としての経験を積み、知恵と技術を習得し、医師として成長したと思います。
そして、2014年に三重県志摩市の「国民健康保険志摩市民病院」に内科医として着任することになるんですね。
当時の志摩市民病院は、志摩市の南部の医療において重要な役割を担う中核病院としての位置づけなんですが、毎年7億円もの赤字を出すお荷物病院でもあったんですね。
そこで、江角さんの奮闘が始まるんですよ!
江角悠太 新米医師が院長に!感涙とは?
三重に必要な医療と教育で、地域の患者さんを守っていきたい -江角悠太氏(志摩市民病院)#三重大学 #地域医療 #家庭医療 #三重県 #志摩市 #医師https://t.co/H08a9Ndi2c pic.twitter.com/3zGphqywK9
— 医師のためのキャリアデザインラボ (@drlab_m3c) August 29, 2019
2014年12月に志摩市民病院に「医局派遣」で着任した江角さん、医師の少ない地域に医局が医師を派遣する仕組みでやってきたんですね。
多くの医師は、ご奉公として数年働いたら医局へ戻ったり、ほかの患者の多い病院へ行ったりするのですが、江角さんは…?
江角さんは東京出身ながら、大学で世話になった三重県への恩返しとして、医師不足のこの地に骨を埋める覚悟でやってきたそうなんですね。
サーフィンが趣味だという江角さんなので、「病院から海が近い」という点も大きな動機になったということですよ。
志摩市南部には市民が約2万人が住んでいるんですが、経営の悪化などで診療所などへの規模縮小などが検討されていた志摩市民病院なんですね。
江角さんが着任した志摩市民病院なんですが、病院長を含む外科医2名と整形外科医1名がいたそうで、合わせて4人体制になったそうなんですね。
ところが、病院の経営に不安を感じ、規模縮小が検討されていることに見切りを感じたんでしょうね、翌年の2015年11月に年度内で3人全員が退職することになったそうですよ。
もちろん、1人では病院存続不可能なので、そこから江角さんが奔走し、総合診療医の常勤1名と非常勤3名が加わり、病院存続する見通しが立ったとのことなんですね。
そして、かの病院長など辞めると言っていた医師は、本当に2016年3月で3人とも退職してしまったとのことですよ。
そんな曲折を経て江角悠太さんは、2016年4月に「国民健康保険志摩市民病院」の病院長に就任しているんですね。
江角さんは、タウンミーティングを開き、300人以上の市民の声をで聞いたそうですよ。
「税金泥棒」「つぶしてしまえ」という厳しい声もあるなかで、「なくなると何かあった時に不安」「安心して暮らしたい」「見捨てないでくれ」という声もあったそうなんですね。
「なくしてはいけない。志摩民病院がなくなると、志摩市の医療が崩壊する」
と決意した江角さん、ここから新院長としての奮闘が始まり、見事な手腕を見せるんですね。
それは、よほど大胆なリストラやコストカットを断行したのでしょうか?
今までの志摩市民病院は、救急要請があっても専門外だと断ってばかりいたそうで、収入も少なく、市民からも信頼されていなかったんですね。
江角さんは、どんな患者でもどんな要請でも「絶対に断らない」ということを、モットーに掲げてそうです。
「とにかく断らず、自分に回してくれ」と職員スタッフに言い続け、実践していったら患者が志摩市民病院に来てくれるようになったそうなんです。
やはり、医療ニーズは地元にあったんですね。
断らないということで、外来や入院患者が増え純粋な収益増につながっていったんですよ。
100人の職員や医療スタッフも当初は、江角さんが面談を要請しても半分も応じなかったそうですが、患者が増えることによって段々モチベーションが上がっていったというんですね。
医師の人手不足に関しても、江角さんはいろいろな手を打っています。
江角さんが2014年にピースボートの船医として働いていたときに知り合った、81歳のアメリカ人医師クー・エン・ロックさん、働き方改革で病院に来てもらったそうです。
日本とアメリカ、カナダ、中国の医師免許を持っているクーさん、それを使って半年は志摩市市民病院で働き、残り半年はアメリカで奥さんと自由に過ごしているそうなんですね。
また江角さんは、院内の働くスタッフを呼ぶために研修生や体験学習生を積極的に、受け入れているんですね。
患者はしばしば、多忙な医師や看護師に対しては遠慮して本音を語らないそうなんですね。
でも、時間をかけてじっくり話を聞いてくれる研修生なら、患者と人間関係を築くことができ患者は救われ、研修生にとっても「医療とは何か」「生きるとは何か」を考える貴重な機会になっているというんですね。
前出の3人が辞めるときに江角さんが奔走して一緒にやることになった常勤の医師は、沖縄徳洲会病院で一緒に初期研修をした救命救急が専門の土田真史さんなんですね。
そして極めつけなんですが、現在はもう1人常勤の医師が医師がいて、土田さんと2人になっているんですね。
今夜放送の『逆転人生』では、「その時、予想外の助っ人が現れた。感涙の物語。」とあります、そうなんです、予想外の助っ人が現れたんですね。
それは、江角さんの父親・江角浩安さんだったんです!
◆高齢化率がとても高いところでこそ、先進的な取組ができる-志摩市民病院・江角浩安氏(元国立がん研究センター東病院長)◆Vol.4https://t.co/nwCPMru5E0#エムスリー #医療ニュース pic.twitter.com/Zaa6Q8l4of
— m3.com編集部 (@m3com_editors) March 8, 2020
浩安さんはそれ以前に、国立がん研究センター東病院院長を務めていたんでっすが、志摩市で奔走する息子のために、ひと肌脱いできてくれたんですよ。
現在も、志摩市民病院常勤医師として、息子の悠太さんと一緒に市民の命を守るために働いているんですね。
江角さんは、「目の前の困っている人を助けたい」これが医師を目指した理由で、後も住民のニーズに合った医療を提供して行きたいとかたっているんですね。
今夜放送の『逆転人生』、江角さんの奮闘と親子の絆、見逃すわけにはいきませんね。
★ NHK総合『逆転人生』 11月2日(月) 夜 10時~10時45分
膨大な赤字で苦しむ「ダメ病院」を見事に再生させた江角悠太さん。だが、それは自分1人で成し遂げたものではない。彼の父親や多くの研修生がいたからこそできた面も大きい。/「人生を人のために使いなさい」どんな患者も絶対断らない奇跡の病院が志摩に生まれるまで https://t.co/YJID3Xi9Tw #病院
— PRESIDENT Online / プレジデントオンライン (@Pre_Online) February 1, 2020
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
志摩市民病院にカット&頭ほぐし。
院長先生は東京、美容師さんは大分、私は福井と3人とも出身がバラバラ。
だけど、三重を移住しやすい街。看取りたくなる街。挑戦できる街。にしようとしています。
よそ者馬鹿者若者。しか変えることはできない。と言われていますが、本当にそうなのかもしれません。 pic.twitter.com/P3OO0IP4Gr— カミヤ-アタマ空っぽにする人- (@ninky0517) May 13, 2019
注)アイキャッチ画像に関しましては、「カミヤ-アタマ空っぽにする人-」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
まとめ
今回は「江角悠太の出身やプロフィールに経歴も!新米医師が院長に!感涙とは」と題しまして、江角悠太さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
2016年の「伊勢志摩サミット」開催地として世界に大きな話題を提供した三重県志摩市、旅行先などとして話題になっていますが、こういった医療現場でもあったんですね。
「人生を人のために使いなさい」と諭した父・浩安さん、いま超問題児だった息子と志摩市民病院で共に働きながら、地方が直面する超高齢人口社会の現実に驚いたそうですよ。
でも羨ましい親子関係ですね、江角さんは『逆転人生』で、父が来てくれるとわかったときの心境なども話してくれるのでしょうか。
そうそう、病院の借金ですが毎年7億円の積み上げは、2020年でほぼ解消する見通しだとのことですよ。
そんな、江角悠太さんのお話し、今夜になりますが、ぜひ聞きたいと思っています。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!