こんにちは、sadachi. です!
1960年代、高度成長の真っ盛りから変わらぬ美貌で、今も多くのサユリストを魅了する映画スター吉永小百合さんの似顔絵です。
小百合さんは1957年『赤胴鈴之助』でラジオとテレビデビューし、1959年に松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー、その後1960年に日活撮影所に入社しています。
1962年には『キューポラのある街』に主演すると、たちまち若者のハートをつかみアイドルへ、浜田光夫さんのコンビで一世を風靡したのは周知の事実です。
同年の主演映画『赤い蕾と白い花』では、主題歌『寒い朝』シングルをビクターからリリースし歌手デビュー、50万枚以上のヒットになっています。
その後、橋幸夫さんとのデュエット曲『いつでも夢を』ではレコード大賞を受賞し、300万枚の大ヒットとなったのは有名で、歌手としての地位も確立します。
1973年にテレビプロデューサー岡田太郎さんと結婚、1988年の映画『つる -鶴-』に主演し、映画出演は通算100作品を記録しています。
その後も女優として映画・CMなどへの出演、また原爆詩の朗読などの平和への訴えや反原発について意見を述べるなどの活動を続けています。
それでは、ここから吉永小百合さんの似顔絵にお付き合いくださいね!
Contents
吉永小百合【似顔絵】鉛筆画
吉永小百合さんの鉛筆画です!
それでは、模写した写真を掲載しますので、もう一度比べてみてくださいね。
吉永小百合【似顔絵】水彩画
吉永小百合さんの水彩画です!
模写した写真です、もう一度比べてみてください。
襟のところに絵の具が付いていましたね、気が付きませんでした。無視してみてください。
これらの作品は、インスタグラムでも公開しています。遊びに来ていただけたら嬉しいです!
吉永小百合【似顔絵】プロフィール
吉永小百合さんのプロフィール
1957年、小学6年生の時にラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビューし、59年、松竹「朝を呼ぶ口笛」で映画に初出演、60年に高校進学と同時に日活と専属契約を結び、「ガラスの中の少女」(60)で映画初主演、翌61年には16作品に出演した。62年は「キューポラのある街」(62)でブルーリボン主演女優賞を受賞し、歌手デビューも果たす。「青い山脈」(63)、「愛と死をみつめて」「潮騒」(ともに64)など、日活との専属契約が終了する68年までの約9年間で76作品に出演した。その後も、松竹「男はつらいよ」シリーズの「柴又慕情」(72)、「寅次郎恋やつれ」(74)、東宝の「青春の門」(75)などに出演。同世代の男性から圧倒的な人気を誇り、そのファンは“サユリスト”と呼ばれる。近年の出演作に「母べえ」(07)、「おとうと」(10)、「ふしぎな岬の物語」(14)、「母と暮せば」(18)など。「北の零年」(05)、「北のカナリアたち」(12)に続く「北の三部作」の最終章として主演を務めた「北の桜守」(18)で、映画出演は120作目を数えた。その後も、ハリウッド映画をリメイクした「最高の人生の見つけ方」(19)や初の医師役を演じた「いのちの停車場」(21)で主演を務めた。06年に紫綬褒章を受章、10年には文化功労者に選ばれている。
(出典:映画.com)
名 前 : 吉永 小百合(よしなが さゆり
本 名 : 岡田 小百合(旧姓:吉永)
生年月日: 1945年3月13日
年 齢 : 78歳
出生地 : 東京都渋谷区代々木西原町
身 長 : 155 cm
血液型 : O 型
趣 味 : 酒、将棋、鉄道、ラグビー観戦 ほか多数
特 技 : 水泳
小学校 : 渋谷区立西原小学校
中学校 : 渋谷区立代々木中学校
高 校 : 都立駒場高校→私立精華学園高校中退
大 学 : 早稲田大学第ニ文学部史学科
【映画】
『キューポラのある街』
『伊豆の踊子』
『愛と死を見つめて』
『男はつらいよ 柴又慕情』
『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』
『青春の門』
『天国の駅 HEAVEN STATION』
『おはん』
『映画女優』
『つる -鶴-』
『華の乱』
『長崎ぶらぶら節』
『北の零年』
『母べえ』
『おとうと』
『北のカナリアたち』
『ふしぎな岬の物語』
『母と暮せば』ほか
【テレビドラマ】
『樅ノ木は残った』
『風と雲と虹と』
『鮎のうた』
『夢千代日記』ほか
(出典:ウィキペディア)
まとめ
吉永小百合さんは、日本アカデミー賞の最優秀主演女優賞で『おはん』、『天国の駅』、『つる -鶴-』、『華の乱』、『長崎ぶらぶら節』、『北の零年』を獲得しています。
主演女優賞は『夢千代日記』や『母べえ』など18回を数え、ほかにもブルーリボン賞など他の賞でも主演女優賞や大衆賞など多数受している大女優と言えます。
2006年には紫綬褒章、2010年には文化功労者にもなっています。
忙しさもあって高校は中退したのですが、どうしても大学へ行きたいと1965年に大学入学資格検定を受け、高卒と同等以上の学力があると認められ早稲田大学第二文学部西洋史学専修に入学するという頑張り屋さんです。
早稲田大学の女子学生をさす、バンカラで、男まさりで、活動的な「早稲女=わせじょ」の代表的O.G.としてしばしば名前を馳せたそうですが、早稲田の卒業式には忙しくて出られなかったといいます。
和泉雅子さんと松原智恵子さんの3人で「日活三人娘」と呼ばれ、浅丘ルリ子さん、芦川いづみさん、中原早苗さんらと合わせて「パールライン」とも呼ばれたのも懐かしい思い出です。
次回は、ハリウッドスターのトム・クルーズさんを予定しています。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!