こんにちは、sadachi. です!
「世界のミフネ」と呼ばれた日本を代表するスター俳優・三船敏郎さんの登場です!
東宝にカメラマン助手として入社を希望したところ、手違いから第1期東宝ニューフェイスのオーディションを受けることになったという三船さん、このときは役者として補欠採用されたそうなんですね。
そんな三船さんが「世界のミフネ」と言われるまでになったのは、黒澤明監督との出会いがあったからでしょうね。
『銀嶺の果て』で映画デビュー後、1948年に黒澤明監督の『醉いどれ天使』で一躍人気を博すとその後、『羅生門』や『七人の侍』など「クロサワ」の顔になっていくんですね。
と同時に、ヴェネチア国際映画祭での金獅子賞や男優賞を受賞するなど、世界中に知れ渡り海外からのオファーも数多く舞い込んだといいます。
あの『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランドが、飛行機に乗っていた時に三船さんが同乗している事を知るや自分から挨拶に行ったというから驚きですよね。
それでは、三船敏郎さんの似顔絵にお付き合いくださいね!
Contents
三船敏郎【似顔絵】鉛筆画
三船敏郎さんの鉛筆画です!
それでは、模写した写真を掲載しますので、もう一度比べてみてくださいね。
三船敏郎【似顔絵】水彩画
三船敏郎さんの水彩画です!
模写した写真です、もう一度比べてみてください。
これらの作品は、インスタグラムでも公開しています。遊びに来ていただけたら嬉しいです!
三船敏郎【似顔絵】プロフィール
三船敏郎さんのプロフィール
「世界のミフネ」と呼ばれた日本を代表するスター俳優。1920年に中国・青山で生まれ、第2次世界大戦中は陸軍航空隊などに所属。終戦後、東宝にカメラマン助手として入社を希望したところ、手違いから第1期東宝ニューフェイスのオーディションを受けることになり、役者として補欠採用される。47年「銀嶺の果て」で映画デビュー後、黒澤明監督の「醉いどれ天使」(48)で一躍人気を博し、「羅生門」(51)がベネチア国際映画祭のグランプリを受賞。その後も「七人の侍」(54)、「隠し砦の三悪人」(58)など数々の黒沢監督作で活躍する。そのほかにも稲垣浩監督の「宮本武蔵」(55)がアカデミー賞外国語映画賞、「無法松の一生」(59)がベネチア国際映画祭の金獅子賞(グランプリ)を受賞し、国際的に高い評価を得る。61年には、「用心棒」でベネチアの男優賞を受賞したほか、メキシコ映画「価値ある男」で海外作品に初主演し、63年には「五十万人の遺産」で初メガホンをとった。65年、黒澤監督との最後の作品となった「赤ひげ」(65)で2度目のベネチア男優賞に輝く。俳優として活躍する一方で、自らが代表を務める三船プロダクションでは「怒涛一万里」(66)やTV映画「桃太郎侍」(67)を制作。国内にとどまらず、「グランプリ」(67)、「太平洋の地獄」(68)、「レッド・サン」(71)、「ミッドウェイ」(75)といった海外作品で世界的なスター俳優たちと共演してきた。86年に紫綬褒章、93年に勲三等瑞宝章を受章したほか、89年に仏芸術文芸勲章も受章。97年12月24日、多臓器不全のため77歳で死去。熊井啓監督の「深い河」(95)が遺作となった。
(出典:映画.com)
名 前 : 三船 敏郎(みふね としろう)
本 名 : 同 上
生年月日: 1920年4月1日
没年月日: 1997年12月24日(77歳没)
出生地 : 日本・膠州湾租借地(現・中国山東省青島市)
身 長 : 175 cm
血液型 : O型
【映画】
『銀嶺の果て』『醉いどれ天使』『野良犬』『羅生門』
『七人の侍』『宮本武蔵』『蜘蛛巣城』『無法松の一生』
『隠し砦の三悪人』『日本誕生』『悪い奴ほどよく眠る』『用心棒』
『天国と地獄』『赤ひげ』『太平洋奇跡の作戦 キスカ』
『日本のいちばん長い日』『黒部の太陽』『連合艦隊司令長官 山本五十六』
『日本海大海戦』『上意討ち 拝領妻始末』『風林火山』『新選組』
『待ち伏せ』『制覇』『男はつらいよ 知床慕情』『千利休 本覺坊遺文』ほか
海外映画※日本との合作含む
『価値ある男』『太平洋の地獄』『レッド・サン』『ミッドウェイ』
『1941』『武士道ブレード』
(出典:ウィキペディア)
まとめ
『醉いどれ天使』で三船敏郎さんを初めて起用した黒澤さんは「彼は表現がスピーディなんですよ。一を言うと十わかる。珍しいほど監督の意図に反応する」と、三船さんを生かしていこうと思ったそうなんですね。
それに応えて三船さんの演技は注文をつけられたことは無く、黒澤さんもおよそ批判的な眼で三船さんを見ることは無かったといいます。
三船さんは豪放磊落な役柄が多く、性格もそのような感じですが、スタッフやエキストラにも声をかけ、寒い中斬られ役で動かない俳優さんにも気遣い、後片付けなど自ら掃除もする優しい方だったとのことです。
ただ、酒癖は悪かったそうですよ。
全機能不全で1997年12月、77歳で亡くなられた三船敏郎さん、国内のみならずフランスやイタリアの国営放送のニュース番組でも、その死をトップニュースで報じたそうです。
外国報道機関がトップニュースで日本の俳優の死去を報じたのは過去に例がない出来事だったそうで、アメリカのタイム誌でも三船さんの死を大きく取り上げています。
三船敏郎さんは、本当に偉大な役者さんだったんですね。
次回は、高倉健さんを予定しています。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!