こんにちは、sadachi です!
新型コロナウイルスが東京都で1日41人の感染者が確認されたことで、小池百合子東京都知事は「感染爆発の重大局面」とし、不安が募っていく中、
日本相撲協会は昨日、東関脇朝乃山=高砂部屋の大関昇進を満場一致で正式に決めました!
大阪市浪速区にあるエディオンアリーナ大阪で大相撲夏場所(5月15日初日・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開いて、朝乃山関の大関昇進を決めたものです。
相撲協会は、出羽海理事と千田川審判委員を高砂部屋の宿舎に派遣し昇進を伝達、朝乃山関は「大関の名に恥じぬよう相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」
と、口上を述べています。
そこで今回「朝乃山の出身中学や親と兄弟・家族は?かわいい画像も!111年振り富山で大関誕生!」と題しまして、喜びに沸く朝乃山関の周辺についてまとめてみましたので、参考にしていただけたら嬉しいです。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
朝乃山関のご両親やご家族と中学時代のエピソードについてみていきたいと思うのですが、その前にプロフィールを確認しておきますね!
四股名 :朝乃山 英樹(あさのやま ひでき)
本 名 :石橋 広暉(いしばし ひろき)
生年月日:1994年3月1日(26歳)
出 身 :富山県富山市呉羽町
身 長 :188 cm
体 重 :177 kg
血液型 :A 型
趣 味 :映画観賞、サッカー観戦、格闘技観戦
小学校 :富山市立呉羽小学校
中学校 :富山市立呉羽中学校
高 校 :富山県立富山商業高校
大 学 :近畿大学
所 属 :高砂部屋
朝乃山関の家族構成は、ご両親と兄弟、自身も含めて3人の5人家族なんですね。
お父さんは石橋靖(62歳)さん、千秋楽の一番では大阪市内でテレビ観戦していたそうで、勝利の瞬間は思わず万歳をして、歓声をあげたとのことですよ。
お母さんの石橋佳美さん(57歳)は、伝達式の口上を聞いて涙を流したといいます。
兄弟3人の真ん中に位置する朝乃山関、お兄さんは卓磨さん(31歳)といい会社員されているそうで、弟の尚也さん(23歳)は大学を卒業されたところでしょうか。
小学校でハンドボールのキーパーもやったことがある朝乃山関が、廻しを初めて締めたのが小学4年生のときだったそうですね。
小学時代は並行してやっていたのですが、ハンドボールは富山県の強化選手に選ばれるくらいの実績を残しているそうです。
相撲も呉羽小学校のグラウンドの一角に、大先輩太刀山関に因んだ土俵があり、この土俵がなかったら相撲をやっていなかったといいます。練習熱心だったそうですよ。
出身中学である地元の富山市立呉羽中学校に入学したのは2006年4月、今でも相撲部で顧問を務める杉林雅章さん、相撲部に来るものと思っていたらしいのですが…。
朝乃山こと石橋くんは、ハンドボール部の練習でグラウンドを走っていたそうです。
それから杉林さんは、石橋くんを誘いに誘ったんですね、というのも相撲部への入部希望者は一人しかなく、大会への参加も危ぶまれる状況にあったんですね。
そこで上級生の部員に石橋くんに声をかけさせ、相撲部へ誘ったわけですね。
「相撲をしないか、小学校のときにしていたじゃないか」
「相撲は走らなくていいぞ」
「大会に行った先で美味しいものが食べられるぞ」などなど
これが功を奏したんでしょうね、ハンドボールの練習がきついと感じていた石橋くんが、相撲部を訪ねてきたそうです、入部届を握って、本格的な相撲人生が始まった瞬間ですね。
中学時代は、基本動作を徹底して叩き込まれたそうです。
杉林さんは言います、当時の体は力士というより、筋肉が少ない「ポッチャリ系」、だが厳しい練習を与えれば「誰よりも真面目に取り組んでいた」と。
ひたむきに練習に打ち込む姿は、今も鮮明に残っているそうですよ。
相撲部の練習はハンドボールの練習よりきつかったんですが、退部を切り出すチャンスがないまま練習に励み、そして3年生で富山県代表になるまでに成長するんですね。
型はなく、飛びぬけた存在ではなかったといいます。隣の石川県代表で、ともに1学年下の炎鵬さんにはよく転がされ、輝さんには歯が立たなかったそうですよ。
この代表になった全国都道府県中学生相撲選手権大会で、左肘を負傷したことで相撲を続けるかどうか揺れ動く少年の心を杉林さんは見逃さなかったといいます。
杉林さんは、同じ高校時代同学年で切磋琢磨した富山商業高校の監督・浦山英樹さんに「辞めそうだから声をかけてくれ」と助けを請います。
実は、中学で有望な生徒を見つけて浦山さんに渡すのが自分の役割と決め、あえて基本のみを教え色は付けないのが杉林さんだったんですね。
石橋少年は、浦山さんに「富商に来い。俺が強くしてやる」と声をかけられて同校に進学するんですね。ここに、四股名に”英樹”とつけた恩師と出会うことになったわけです。
小学生のとき相撲を始めたときは遊び半分だろうと思っていたという父親の靖さんは、杉林さんから浦山さんの熱心な勧誘で富山商高に入ったことに、「レールが敷かれていた」と懐かしそうに話したそうですよ。
朝乃山関は、富山県出身の大関として明治以降、梅ケ谷や太刀山(共に後の横綱)に続いてなんと111年振り3人目の快挙だったんです。
学生相撲出身としては、豊山、輪島、朝潮、武双山、出島、雅山、琴光喜関に続いて8人目なんですね。
三役になってそれを通過するのに3場所というのは、大鵬関らに並んで昭和以降8位になり、1958年以降では照ノ富士関に続いて2位の速さになるそうですよ。
学生横綱なんかで幕下格付出というのがありますよね、石川出身の遠藤関なんかそうなんですけど、2015年に導入された三段目100枚目格付け出し資格でデビューした力士としては、朝乃山関が初めてになりましたね。
平成生まれの大関としては、照ノ富士、高安、貴景勝関に続いて4人目となっています。
朝乃山関の得意は、右四つ、寄り、上手投げで大関昇進目安の3場所33勝に届かなかったのに、昇進を決めたのは、抜群の安定感が評価されたといいます。
それだけ期待も大きく、これからも体を鍛えて、豪快な相撲、厳しい相撲を取ることを心掛ければ、さらに上も目指せる大関だと、元大関千代大海の九重親方は言います。
朝乃山関の良いところは、かわいいところにあるといいます。気は優しくて力持ち、ポーカーフェースで、土俵上でも自分の感情をコントロールするのがうまいそうなんですね。
闘争心が表に出ないので、「かわいい」という印象になるそうですよ。
相撲内容と言えば右四つの形を持ち、まわしを取ったら横綱クラスの相撲が取れるので、実力は現在でも大関以上と太鼓判を押しています。
課題は、厳しさが足りないと言います。立ち合いから一気に攻め込んで、太い腕をねじ込んで自分の形になれば、相手に力を出させることはないので、そういう相撲を身につけて欲しいと、そのためには稽古あるのみと言うんですね。
大関ともなれば、狙われる立場になり、自分を倒そうとする力士が出て来るのは当たり前なので、それを粉砕するのも稽古になるんですね。
入門から4年目で、近大の先輩にあたる師匠の高砂親方(元大関朝潮)にも番付で追いついたんですね。
「大関の名に恥じぬよう相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」
朝乃山関は口上で、中学生時代から心掛けてきた「一生懸命」という言葉を使っています。相撲を始めた中学時代に「途中で辞めずに取り組もう」と心に刻んだ一生懸命なんですね。
この言葉は偶然なんですが、37年前の高砂親方の口上と重なり、自然と魂が受け継がれている証として「これからも高砂部屋の新しい歴史をつくっていきたい」と朝乃山関は自覚十分に話しています。
また母校富山商高の校歌にある「愛」と「正義」、これからも初心を心に置き続け、変わらず真っ直ぐに努力する思いを口上に込めているといいます。
なんか大横綱『朝乃山』が見えてきませんか?
朝乃山関の可愛い画像は、各所に散りばめましたので楽しんでくださいね!
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今回「朝乃山の出身中学や親と兄弟・家族は?かわいい画像も!111年振り富山で大関誕生!」と題しまして、喜びに沸く朝乃山関の周辺についてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
無観客だった異例の春場所に落ち着きを保って11勝を挙げ、直近3場所で32勝、大関昇進の目安にはひとつ足りませんでしたが、正攻法の取り口が高く評価された結果の大関ですからね。
師匠の高砂親方の「100点満点です」という言葉は、嬉しそうでしたね。
富山には1年に必ず1度以上は会う学生時代からの友人がいるのですが、3年前大相撲で遠藤関の話題になったとき友人が「富山には誰もおらんちゃ!」と嘆いていたのをハッキリ覚えています。
今年も5月に会う予定があるのですが、朝乃山関の話題を口に出したとき、なんて言うかとっても楽しみにしているんですよ。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!