こんにちは、sadachi. です!
今晩のNHKよる10時『逆転人生』の主人公は、駒師の遠藤正巳さんですね。
駒師というのは、将棋の駒をつくる職人さんのことで遠藤さんは、その中でも最高級の「盛り上げ駒」だけを作る名人といってもいいでしょうね。
いま将棋界は、藤井聡太七段が高校生棋士ということで、数々の記録を塗り替えていることに加えて、七大棋戦のうちの2つの挑戦手合いで先勝して話題になっています。
遠藤さんの場合は、年齢で比べることはできないのですが、駒師になって名人の域に達するまでの時間といえば藤井七段も顔負けの速さといえるんですね。
駒師になるまでの曲折など「遠藤正巳の嫁や子供・出身は?どん底生活から盛り上げ駒で逆転人生!」と題しまして、遠藤正巳さんの波瀾万丈の人生をまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
遠藤正巳さんは1952年に東京で生まれたんですが、すぐに山梨県に転居して高校を卒業するまで、住んでいるんですね。
ですから出身はということになると、東京都じゃなく山梨県でしょうね。
お父さんが地方公務員だったそうで、山梨に引っ越してからも仕事の都合で県内を転々としたそうですよ。
遠藤さんは、高校を卒業すると進学せずに上京、パブでアルバイトをするようになります。
このときに飲食業に興味が膨らんだそうで、将来は自分の店を持ちたいと思ったそうなんですね。
ところが、芸能プロダクションの社長と知り合い、ギターの弾き語りをしているんです。
何処でギターを習ったんでしょうね、それからは各地を巡るようになるんですけど、秋田のお店で知った女性に一目ぼれして、結婚しているんですね。
結婚後も弾き語りをしているんですが、奥さんが3人目の子供を身ごもったときに、弾き語りの仕事を辞め、一家で山梨に戻っています。
遠藤さんが29歳のときだったそうですよ。
山梨に戻って、自動車販売の営業を2年間したそうです、その後に独立して居酒屋をオープンしているんですが、そのときの遠藤さん31歳です。
店の名前は「龍」で、遠藤さんが辰年生まれにちなんで命名したそうですよ。
これは後からの述懐だと思うのですが、やっぱり将棋に縁があるなと振り返っています。
この店が大当たり、順風満帆で続いていたんですが、神さまのご機嫌をどこかで損ねたのか、遠藤さん44歳のときに、最愛の奥さんが交通事故で亡くなってしまったんです。
そこからは人生の歯車が狂ったように、どん底の生活に落ちていきます、そうなんですね、あの順調だった居酒屋「龍」も、なぜかさっぱりになってしまったんですね。
ご夫婦二人でやっていた店なんでしょうね、奥さんの存在がなくなり、遠藤さんもお客に愚痴をこぼしたことでしょう、客が段々遠ざかり2年で赤字が膨らんだといいます。
「不思議なもので、それまでは本当に何でも思うように全部動いていたのが、歯車が狂ったように何をやってもだめになりました。それからの15年は泥沼でした」
遠藤さんは、このように振り返っています。
居酒屋は赤字が続いたため2年でたたんで、それからはスーパーの総菜係や、ゴルフ場のレストランの仕事、テイクアウトのすし店の支配人など、いろんな仕事をやったといいます。
それらの仕事はどれもうまくいきませんでした、加えて60歳に近づいてきたころにお母さんの介護が始まったそうです。
60歳を過ぎたら年金が入ってくるので少しは楽になると思っていたのが、東京で働いていたころの記録がすっかりなくなり、年金もあてにできなくなってしまったんです。
お母さんの介護と生活のために仕事を探すのですが、介護のために朝から夕方までずーっと家を空ける仕事はできません。
理想的なのは、駐車場経営みたいに外に出ないで仕事ができるのがいいと思うのですが、田舎では需要がなく難しいと断念しています。
そこで遠藤さんの頭に浮かんだのは、外に出ないで仕事ができる「将棋サロン」だったというんですね。
もともと将棋好きだった遠藤さん、たまたま近くに空き家があったので、そこを将棋サロンにすればみんなが集まってくれんじゃないかと思ったそうですよ。
将棋サロンをやるなら、将棋盤と駒は最低限の必需品となります。
遠藤さんは、ネットオークションなどで将棋盤を求め、駒はお客に気に入ってもらえるようになるべくいいものを…とはかんがえていたそうですよ。
そんな折、静岡県富士宮市を拠点とする将棋駒製作の「富士駒の会」が、展示即売会と駒彫りの実演をやるという機会に恵まれたんですね。
会場には、将棋駒が100セットほど並んでいたそうですが、素人目にはどう見てもどれがいいものか分からなかったといいます。
2時間余りも迷っているときでしょうか、不意に「どれかいい駒はありましたか?」と1人の男性から声をかけられるんですね。
遠藤さん「いやあ、どれも素晴らしくて甲乙つけがたいですね」と答えています。
すると、
「気に入ったのがなければ、自分で作ってみればいいじゃないですか。私がちゃんと教えますよ」
と、思いがけない言葉が返ってきまんですね。
富士駒の会でメンバーを指導している駒師の大澤建夫さんだったんです。
大澤さんは「富月(ふげつ)」という雅号で駒を作っている駒師だったんですね。
大澤さんが作った将棋の駒が、何度もタイトル戦に使われている大御所で、なぜ遠藤さんに「教える」と声をかけたの分かりません。
普通はありえないですよね、想像するに遠藤さんは、余程興味深く真剣に駒探しをしていたのではないでしょうか。
それがたまたま、大澤さんの目を引き、興味を惹いたとしか考えられないんですけど、ね!
実は大澤さんも遠藤さんと同じような転向組で、元々はトラックの運転手や歯科技工士などいろいろな仕事を経たのちに、山形県天童市の駒師のもとで修業をしたそうですよ。
大澤さんから声がかかり、遠藤さんは考えます。
「駒師の道具は彫刻刀1本とサンドペーパー。全部揃えても10万円ぐらいなんです。お店を始めようとすれば最低でも1千万円はかかりますが、10万円なら投資としてはだいぶ安いですよね。それで、ものになればよし。ものにならなければ表札彫りのアルバイトぐらいはできるんじゃないかと思ったんです(笑)」
どちらにしてもこの出会いがきっかけで、遠藤さんは59歳で駒作りの修業を始めることになり、富士の高嶺に鶴が舞うように遠藤さんの人生が明るい方向へ変わっていくんですね。
将棋の駒には大きく4種類あります。
「安価品」
★ 書き駒:将棋の駒の木地に直接字を書いたもの
「中級品」
★ 彫り駒:文字を彫刻刀で彫って漆で色を塗ったもの
「高級品」
★ 彫り埋め駒:字を彫った溝に漆を埋めて平らにしたもの
「最高級品」
★ 盛り上げ駒:彫り埋め駒の上にさらに漆を盛って文字を浮き上がらせたもの
駒師はみんな盛り上げ駒を作りたいと思っているのですが、挫折する人が多い中で遠藤さんは盛り上げ駒だけを作っている数少ない一人になっています。
作業をするのは、母親の世話が終わったあと夜8時から深夜2時頃まで、とても集中力を擁するので、ひと組(20個×2人分=40個)作るのに約2カ月かかるといいます。
大澤さんの紹介で、駒を作り始めて3年目のときに渋谷区に千駄ヶ谷にある日本将棋連盟の売店に置いてもらったそうです。
2018年11月、駒作りの修業を初めて7年、竜王戦の第3局で遠藤さんの駒が採用されたんですね。
竜王戦というのは、将棋の7つあるタイトルの中でも名人戦と並んで最高峰といわれる棋戦で、駒師なら使われることに誰でも憧れるこれ以上ない栄誉なんです。
通常タイトル戦では、将棋連盟所有の駒や会場となる老舗旅館などが所有している駒、地元の名士が所有している駒が使われることが多いそうですよ。
でもこの竜王戦のときは、将棋連盟の方から「駒を作ってみてください」とオファーがあって、遠藤さんは2組作って納めたそうです。
タイトル戦で使う駒の決め方は、対局する棋士がそれぞれいくつかの駒を手に取って、話し合いで決めるそうなんですね。
茨城県の鹿島神宮で行われた2018年の竜王戦第3局で遠藤さんは、将棋の駒を決める『検分』に立ち会ったそうです。
当時の竜王は羽生善治さん、挑戦者は広瀬章人八段でそれぞれが用意した駒を広げたとき、2組とも遠藤さんが作った駒だったんですね。
「どっちが選ばれてもオレの駒だ!」と、思ったそうですよ。
でも遠藤さんは、ほかの駒師が作った駒もあると思っていたので、なぜ2人とも遠藤さんの駒だったのかは、わからなかったそうですよ。
羽生竜王は遠藤さんの駒について、「線がすっきりしていて見やすい」と記者に話していたとのことです。
遠藤正巳さん、66歳の快挙だったんですね。
それも59歳で始めた駒作りですから、わずか7年にしてタイトル戦の駒に選ばれるのは、この世界では異例のことなんですね。
藤井聡太七段が「超新星」だとしたら、遠藤さんは藤井七段に負けず劣らず「超遅咲きの新星」といっても言い過ぎではないと思いますよ。
そんな遠藤さん、今晩のNHK『逆転人生』で何を語ってくれるのでしょうか?
番組紹介では、「人生終盤に輝くヒントとは?」とありますので、私たちに有益な情報を教えてくれるのでしょうか。
それとも、遠藤さん自身の人生終盤に逆転に至った、大澤さんとの出会いの秘話なんかがあるのでしょうか、楽しみですね!
★ NHK『逆転人生』 7月6日(月) 夜 10時~
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「ねこぐら」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「遠藤正巳の嫁や子供・出身は?どん底生活から盛り上げ駒で逆転人生!」と題しまして、遠藤正巳さんの駒師になるまで波瀾万丈の人生をまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
遠藤正巳さんの駒師としての雅号は「寉峯(かくほう)」といいます。
駒師銘を勘案しているうちに、何作目かに「桂月(けいげつ)」と名付け、次に「都月(とげつ)」を経て、最終的に「隺峯」としたそうですよ、難しいもんですね。
遠藤さんの駒は、映画でも使われているんですね。
羽生さんのライバルで早世した棋士・村山聖さんを描いた『聖の青春』で、聖を演じた松山ケンイチさんが対局シーンのテレビCMで一瞬映った駒を見て遠藤さん、「オレの駒に似てる」とピンときたそうです。
それで居ても立ってもいられず、劇場に観に行ったところ王将の駒尻に「隺峯」の文字が確認できたそうですよ、なんか凄い話ですよね!
遠藤正巳さん、否、遠藤隺峯さん、いまはコロナウイルス感染症の関係で作品作りを控えているとのことですが、再開の折には素晴らしい駒を作ってくださいね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!