こんにちは、sadachi. です!
西田祥さん、ITベンチャー企業「株式会社スピードリンクジャパン」の社長であり、家庭では 7人のお子さんの父親なんですよね。
明日5日に放送される日本テレビ系『新・日本男児と中居 新ファッション男児スペシャル』に出演するんです。
西田祥さんは 2月にも出ているんですが、それも同じ番組なんですよね、そのときは西田さんのプライベートが相当暴露されたみたいですけど、明日はどうなんでしょうね。
そこで「西田祥の出身や高校大学は?嫁と子供7人IT会社社長の子育ての極意」と題しまして、西田祥さんの子供時代と7人のお子さんに焦点を当ててまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
西田祥さんは、お父さんは日本人でお母さんが台湾のハーフだということですよ。
生まれたのは、台湾でそのまま中学3年まで台湾に住んでいたそうなんですね、当然日常会話は中国語ですから、自身は台湾人だと思っていたそうです。
最初は普通の小学校だったそうで、苗字が「西田」ですから日本人ということから、よくいじめられたり、からかわれたりしたそうですよ。
それでも、日本人だということにピンとこず、あるとき父親から「明日から日本人学校に転校だ」と言われ、初めて自分が日本人だと理解したとのことなんですね。
西田祥さんはそのとき2年生で、ここから日本語を覚え始めたそうですよ。
今まで話したことがなかった日本語でしたから、きつかったそうですよ、何しろ先生が何を言っているのか全く分からない訳ですから、勉強はついていけない、同級生とはコミュニケーションが取れないということですからね。
おまけに今度は、台湾人とバカにされたというんですね、さすがに自暴自棄といいますかグレて、やんちゃをするようになったそうなんですね。
台湾には中学3年までいたそうです、というのも現地には日本人向けの高校がなかったそうで、高校に行こうと思えば日本に帰国するより方法がなかったといいます。
日本には”家の基盤”がなかったので、先生にすすめられる形で全寮制の男子校・東京都立秋川高等学校に進学したそうです。
この高校、偏差値が39だったそうですよ。
入学試験のときに隣の子が、名前だけ書いてずっと寝てたそうですから、それでも入学できたんですね。
親がどうにもできない子を預かるような、そんな学校だったといいます。
同学年で入学したのが200人で、卒業したのが100人、半分は途中で退学しちゃったとのことで、そんな高校だったらしいですよ。
それでも高校時代は楽しかったと、西田祥さんは振り返っているんですね、なぜか?
台湾時代は、体育と美術以外の成績は1で、勉強的には相当な落ちこぼれだったそうなんですね。
小学2年生から急に言葉が変わってしまったこともあるんでしょうけど、同級生は大手エリートサラリーマンの子供ばかりで、みんな優秀だったというんですね。
中学で英検2級を取るような子供も結構いたそうで、そういった子供は帰国したら慶應や早稲田にスイスイと入っちゃうそうですよ。
そして自分は偏差値39の高校と思っていたら、なんと落ちこぼれの西田祥さんでも、頭がいい部類に入ることができたというんですね。
運動はもともと得意な方だったので、周囲からは文武両道に秀でた人間のように見えたらしいんですね。
「西田お前、勉強も運動もできて天才だな」って言われる環境に浮かれていたそうですよ。
高校3年生の成績はオール5で、神童扱いだったそうなんですね、そりゃ楽しかったでしょうね、台湾時代とは180度の大変身ですね!
西田祥さんは、東京都の和光大学へ進学するのですが、先生から「オール5で内申出すのはウソくさいから、体育だけ4にしとくぞ」と言われたそうなんですね。
高校時代にみんなから自信をつけさせてもらったことが、西田さん自身の子育てにつながっていくといっているんですよ。
西田祥さんの”子育て”、どんなんでしょね、なにせ7人ですからね!
西田祥さんは、1977年9月30日生まれで42歳、和光大学卒業後にSESというシステム会社の営業職を経て2001年speedlink TDLを設立しています。
その後、2004年に株式会社speedlink Japanを設立して現在に至っているんですね。
先のスピードリンクTDLは、3年後のスピードリンクジャパンの準備会社という位置づけで設立したそうですが、その頃に結婚してご長男が生まれたそうですよ。
今の家族構成は、こんな感じです。
★ 西田祥さん
★ 奥さん
★ 長男:麟(19歳)
★ 長女:碧(高2)
★ 次女:皐(中3)
★ 次男:耀(中1)
★ 三女:容(小4)
★ 三男:繫(小2)
★ 7児 :?(1歳ぐらいかな?)
西田祥さんは最初会社が忙しく、子育てには全く参加していなかったそうですよ。
会社が終わると、営業関係で顧客と飲み歩いていたそうで、父親という自覚すらなかったというんですね。
それでも子供は次から次と生まれてきます、奥さんから「手伝ってよ」と言われていたといいますが、気にしていなかったといいます。
休日でも「「寝ている俺の邪魔すんな」みたいな感じだったそうで、ご本人曰く、すごい亭主関白だったそうですよ。
父親として目覚めたのは6~7歳児くらいだったとのことですが、長男と一緒にお風呂に入ったのがきっかけといいます。
「パパ、せんそう(戦争)ってなに?」と急に聞かれたんです。私は考えて「国と国がね」というと「くにってなに~?」と。「えっと、境界線っていうのがあって、、、」「きょうかいせんってなに?」と。あれれ? 私まったく、相手が分かるように説明できないじゃん。そのときにすごく考えさせられた記憶があります。お母さんとお父さんのやることに明確な違いがあって、この先のモノゴトを理解させるのは、お父さんの役目なんだと思いました。そこからですね、私も父親らしくというか人間らしくなっていったのは。
このように子供と接することを、ちょっとしたきっかけで気付いた西田祥さん、実は会社の社員との会話も一緒なんだと気づいたというんですね。
自分が理解している言葉と、社員が理解している言葉の違いに気づき「おっ、これは仕事にも使えるぞ」と思ったそうですよ。
子育てには経営のヒントが散りばめられている、子供に素直になるように社員にもありのままでいこうと思ったら、とても楽になったそうですよ。
その極意は、勝手な期待をかけないことだと西田祥さんは言います。
期待が大きいと当然子供にはプレッシャーになりますし、親にとっては期待している分減点方式になってしまうというんですね。
そうじゃなくて加点方式が肝心なことで、ほかの子供と比べて「あの子はできるのに、何でできないの」では「おれはダメだ」になっちゃうので、期待してはいけないと言っているんです。
できないというのを前提にすると、「これわかる?」、「わかんない」、「じゃあ、どうやったらわかるか一緒にやってみようよ」という立ち位置にいくというんですね。
これが大事で子育てにも、若手社員なんかにも通じることだそうですよ。
西田祥さんがお子さんと接する時は、1対1の関係を保つようにしているようですね。
奥さんは違うみたいですよ、みんな一色端なんで1人にキレたら全員にキレたりするので、周囲が流れ弾に当たるようなもんらしいですよ。
ですから子供たちは自衛するそうです「今、触ったら絶対みんな撃たれるからな」って、面白いですね。
もうひとつの極意は、押し付けないことだといいます。
西田家では、みんなで小論文を書いているそうです。
きっかけは長女の中学受験のときの試験科目に小論文があったそうで、やってみようかと、どうせならお兄ちゃんもやってみないかと長男も誘ったそうですよ。
やるのはニュースのアプリから興味のあるニュースを週1回、作文用紙に2枚を書くようにしているそうですよ。
段々、書く人数が増えていったといいますから、今は4人ぐらいになっているんですかね、それとも5人でしょうか、今も続いているといいですね。
その小論文を毎週日曜日の夜に読みあって、それぞれ意見を言うことにしているそうです。
嫌になったらやめていいと言っているそうです、主体性を持ってもらうために、基本的に本人に決めさせているそうなんですね
「やれよ」とは絶対に言わないそうです、重要なのは何のためにこれをやるのかをしっかり説明しているといい、その上で本人の選択に任せているというんですね。
さらに子育てのポイントがもうひとつあります。
それは、小遣いを与えないという事だそうですよ。
1ヵ月にいくら…と、小遣いを与えるのは、何か成果を出したわけじゃないのに、時間が経ったらお金が入ってくる図式になるというんですね。
いわゆる「時間=お金」ということではなく、社会で大事なことは時間がお金に変わっているのではなく、成果がお金に変わっていることだというんですね。
西田祥さんは、子供たちが何かをやって初めて、それの報酬が生まれるということを教えたかったそうです。
なんか西田祥さんの子供たちが、会社の社員に見えてきましたけど、大丈夫ですかね。
長男には、西田祥さんが不要になった物を売らせたそうで、売れた金額の20%を手数料報酬としてあげているそうです。
スーツを売って、手数料で7000円の報酬を得たこともあるそうですよ。
またほかでは、シャツをクリーニングに出してもらい350円支払っているそうで、クリーニング店は指定しないそうです。
350円より安いクリーニングだと、その差額分が全部入るので、より安いクリーニング店を探したそうですよ。
商売の鉄則は、学校では教えてくれないので、親が教えるしかないと思っているんですね。
もっと小さい子には、100点取ったら50円とか100円とかもらえるとか、サッカーとか野球で点を取った日は、焼肉を食べに行くとかインセンティブを与えているんですね。
子供たちに毎月「目標」を書かせたこともあるそうです。
でもこれは失敗だったそうです、目標は決めても達成できるとは限りませんから、半年も続かなかったととのことですよ。
子供と会話し、いまこの子は何が欲しいのか、どういうことを考えているのか、などと子どもと接していくことが、子どもを理解する一番の近道なんですね。
以前は父母懇親会とか親同士の付き合いとか絶対イヤだったそうですが、今は結構参加するようになっているというんですね。
こういったコミュニティの中で起こる問題とか、解決していくプロセスなんかでも、会社経営や子供たちに接する勉強になると言っているんです。
これは使えるかもって思うらしいんですけど、こういう考え方に変わって子供たちにも、会社経営にも生かせているというのは、ひとえに長男の質問でしたね。
「パパ、せんそう(戦争)ってなに?」
お風呂でのこの一言がなければ、今の西田祥さんはなかったかも知れないと思うと、西田祥さん自身感慨深いものがあるのではないでしょうか。
おとこ同士のハダカの付き合い、いいもんですね!
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「西田祥」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「西田祥の出身や高校大学は?嫁と子供7人IT会社社長の子育ての極意」と題しまして、西田祥さんの子供時代と7人のお子さんに焦点を当ててまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
いつぐらいのエピソードでしょうか、西田祥さんちは子供が多いので保育園にはいつも奥さんが自転車で送るそうなんですね。
ところが自転車は2人しか乗せれないので、3人目は必死に走ってついて行くそうです。
1kmぐらいだそうですが、毎日ですからね、順番に持久力がついていったそうで、子供たちは何かの大会で3位以下になったことはないそうですよ。
このことが、高校時代に自信がついたのが子育てにつながった原点だそうですよ。
最後に西田さんにとって子育てとは?というインタビューに、
自分を人間にしてもらっているんだなって思います。自分の成長感がありますからね。そして最後は人間として全うさせてもらえるような気がします。まだまだ人生終わらないですけど(笑)。
と答えています。
さて、明日の午後11時、日本テレビ系『新・日本男児と中居 新ファッション男児スペシャル』で、西田祥さんは何を語ってくれるのでしょうね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!