こんにちは、貞千です!
初の女性総裁も夢ではないと思われている野田聖子さんですが、昨年の総裁選では再度20人の推薦人を集められず出馬を断念しています。
9月11日の安倍晋三改造内閣でも、大臣ポストは巡ってきませんでしたね。
女性活躍をうたう安倍内閣で、女性で入閣したのは高市早苗さんと橋本聖子さんのたった二人のみ、どうしても少ない感は否めません。
26歳の時に岐阜県議会議員に史上最年少で初当選して、政治の世界に飛び込んだ野田聖子さん、最近表立っては露出しているようには見えませんが、どうなんでしょうか。
女性総理の話題になるとき、必ずといっていいほど名前があがる野田聖子さん、そのほかに小渕優子さんや稲田明美さん、小池百合子さんなどがすぐに思い浮かびますよね。
そこで、そんな野田さんにスポットを当ててみたいと思っっています。
今回「野田聖子の自宅や両親・年収は?略歴や美肌の理由は夫・総理も視野に」と題しましてまとめてみましたので、何らかの参考にしていただけたら嬉しいです!
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
野田聖子の自宅や両親・年収は?
まず最初に、野田聖子さんのプロフィールから確認しておきましょうね!
名 前 :野田 聖子(のだ せいこ)
生年月日:1960年9月3日(59歳)
生誕地 :福岡県北九州市
身 長 :168㎝
血液型 :A型
趣 味 :読書、映画観賞、パソコン、カラオケ
小学校 :田園調布雙葉(ふたば)小学校
中学校 :田園調布雙葉(ふたば)中学校
高 校 :田園調布雙葉(ふたば)高等学校
高校Ⅱ :ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクール
大 学 :上智大学外国語学部比較文化学科
野田聖子さんのお父さんは製鉄会社勤務の一般人だったようですね。父親の出身は岐阜で野田家には婿養子で入ったとのことですが、野田さんが生まれるころは福岡県北九州市に赴任していたそうです。
1960年がオリンピックの年だったため、聖子と名付けられたようですよ!
2歳年下の弟さんと妹さんがおり、5人家族だったようですね。
野田さんが5歳の頃、東京の超高級住宅街の田園調布に引越しをします。ここで小さき花の幼稚園から、田園調布雙葉学園の小中高へと進みます。
高校時代に、バイクの教習所に通っていたのが学校にバレて高校を中退、アメリカに留学したそうですよ。
お母さんは弘子さんといい、野田さんがアメリカ留学中にご両親が不仲になり、父親は出ていったといいます。野田さんは、お母さんの方に引き取られたのでしょうね。本名は島聖子さんになっています。
祖父に当たる野田卯一さんは建設大臣や経済企画庁長官などを歴任した岐阜選出の政治家で、池田勇人さんや福田赳夫さんとともに、「大蔵省の3田」と呼ばれた実力者だったんです。
その卯一さんの講演会で政治家を勧めれた野田さんは、祖父・卯一さんの養子になって野田姓を改姓します。25歳の時です。そしてその翌年、県会議員に当選を果たすのです。
どういうこと?って思われるかもしれませんが、祖父・卯一さんの子どもになることで、野田というネームバリューと地盤を引き継げるわけですから、これほど楽なことはないわけです。
そんな娘に対し、母親の弘子さんは選挙区を一緒に回るなど、献身的に野田さんを手伝ったといいますから、さすが母親と言わざるを得ませんよね。
以前、母親の弘子さんには老人性うつの症状が進行していたとの情報がありましたけど、大丈夫だったんですかね。心配です!
そんな野田聖子さんの年収は、7月8日に公開された2018年分の所得に関する報告書では、女性議員で第1位の3047万円の所得で、これは全体でも50位に相当するようですよ。
衆院457人、参院241人の議員平均は衆院2758万円、参院2465万円だそうです。
野田聖子の略歴や美肌の理由は夫?
野田さんは、小学校の卒業文集に「25歳で衆議院議員になりたい」と書いたそうですよ。若干、当時の希望とはズレていますけど、なるべくしてなった政治家といってもいいんですかね。
それでもそう簡単じゃなかったみたいですよ。大学を卒業して帝国ホテルに入社するのですが、サントリーやソニー、日本テレビ、住友商事などに就活をしたらしいのですが、ことごとく落ちています。
母子家庭ということで、決して暮らしは楽じゃなかったとのことですが、後に父親になるお爺ちゃん子だったんですかね。学生時代に祖父の外遊に通訳として同行するんですね。
そんなこともあって、お爺ちゃんのところへは時々行っていたのでしょう。そして25歳の時の講演会で、政治家へ転身することになったんです!
26歳の最年少で岐阜の県会議員になった野田さん、3年後の第39回衆議院議員総選挙に県議を退職して立候補しますが、落選しています。自民党の公認を受けることができなかったそうで、1990年のことです。
再び3年後の第40回衆議院議員総選挙では、「衆議院にも自民党の女性議員を」との公約を掲げて当選を果たします。小学校最後の夢が実現した瞬間です!
1995年04月 自民党女性局次長・自民党青年局次長
1996年11月 郵政政務次官
1997年09月 自民党環境部会長代理
1998年07月 郵政大臣(小渕内閣)
1999年10月 自民党国会対策副委員長
2001年05月 自民党政調副会長
2005年08月 自民党離党
2006年12月 自民党復党
2008年08月 科学技術・食品安全・消費者行政担当大臣(福田内閣)
2008年09月 科学技術・食品安全・消費者行政担当大臣(麻生内閣)
2012年12月 自民党総務会長(安倍内閣)
2016年01月 衆院災害対策特別委員長
2017年08月 総務大臣(安倍内閣)
2017年11月 総務大臣(安倍内閣)
2018年10月 衆議院予算委員長
この中で特筆すべき点は2点、まずひとつは小渕恵三さんが野田さんの郵政政務次官時代の仕事ぶりを見ていて、「俺が首相になったらこいつを郵政大臣にする」と思っていたとのことで、閣僚史上最年少で郵政大臣になったことです。37歳10ヵ月だったといいます。
もうひとつは、郵政民営化法案で反対したため、2005年の総選挙で圧勝した小泉純一郎第3次内閣が誕生した後、自民党党紀委員会から離党勧告を受け自民党を離党することになったのです。
この選挙では自民党の公認を得られず、刺客として送られた佐藤ゆかり候補に僅差で勝利し5選を果たしています。
翌2006年9月に誕生した第1次安倍内閣で、同年12月に自民党に復党します。
こうした略歴を見ると、いかにも凄い女性なんです…が、いろんなエピソードをお持ちのところも少しご紹介しますね。
2001年に同じ国会議員で後に内閣府特命担当大臣になる鶴保庸介さんと結婚しています。7歳年下で、野田姓を維持するため入籍はせず、事実婚だったのは有名な話です。鶴保さんとは2007年に結婚を解消しています。
この間に野田さんは、不妊治療で体外受精を13回しており、流産も8回しているそうです。妊娠しにくい体で、2004年には「私は、産みたい」という本を刊行しています。よほどお子さんが欲しかったんですね!
妊娠したのは2010年の誕生日前、49歳の時でした。現在のご主人・野田文信さんとの間に授かったお子は、14回目の体外受精だったそうです。
これも日本では認められていない有償での卵子提供だったので、500万円でアメリカ女性から卵子提供を受けたことと、50歳の高齢出産が当時話題になりましたね。
出産前から胎児に疾患があったり、出産後も何度も手術を繰り返すなど言うに言えないほどのドラマを繰り返すのですが、名前は真揮くん、現在は特別支援学校(小学校)の3年生で私の孫と同学年です。
詳しくお知りになりたい方は、アメーバーブログをチェックしてみてくださいね!
野田さんには、国会議員である前に母親だろうなどの批判は多々ありますが、私は産もうと決意したところから、大変な思いと共に国政を担ってきた女性として拍手を送りたいと思います。
野田さんは、キレイ系ではなく可愛い系だと思うのですが、肌艶は59歳とは思えないほど、しっとりと潤っているように見えますが、いかがでしょう。
この美肌の秘訣は、ご主人との仲の良さにあるんですかね!
野田聖子の総理は視野に入っているのか?
野田さんの総裁選は2度あり、2度とも推薦人20人を集めることができずに頓挫しています。
では、野田さんに総理の“芽”はないのでしょうか?
私が思うに、今は安倍さん一強であり、安倍さんの対抗馬は皆無といっていい状態だと思います。2021年にこのタガが外れるときがやってきます。
この時は群雄割拠になるでしょうね。次期総理に誰がなるのか全く予断を許しません。この2年で、誰がどういう発言をしどのような成果を出せるかにかかってくるでしょうね。
野田さんとて、初の総理大臣として何をなすべきか、しっかりと発信すれば十分届く距離にいると思います。
一億総活躍時代、女性活躍時代、働き方改革時代など、いろんな言われ方をしておりますが、私は近未来どうなっているかに焦点を絞って、政界を見ていきたいと思います。
野田さんには、ぜひとも初の女性総理になっていただきたいと思います!
まとめ
今回「野田聖子の自宅や両親・年収は?略歴や美肌の理由は夫・総理も視野に」と題しましてまとめてきましたが、いかがだったでしょうか?
“女性天皇論”もそうですが、女性が総理になるにはまだまだハードルが高いようですね。
女性の働き方改革なんて言っていますが、日本社会はそういった面では保守的だと断じざるを得ません。
アメリカ大統領がトランプさんではなく、女性のクリントンさんになっていたら、日本政界の顔ぶれも変わっていたのでは…と、思うのは私だけでしょうか?
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!