こんにちは、sadachi. です!
太田渉子さんといえば、山形県出身という雪の多い土地柄からでしょうね、スキーのクロスカントリーやバイアスロンの選手として有名な選手だったんですね。
2006年に初参加したトリノパラリンピックでは、日本選手団の中では最年少の出場で見事銅メダルを獲得、そのときは16歳の高校1年生だったんですよ。
そんな天才的な活躍を見せた太田さんでしたが、23歳のときに冬季競技はやり切ったとの満足感から、ソチパラリンピック終了後にスキー競技から引退をしたんですね。
それでも根っからのスポーツウーマンというのでしょうか、スキーをやめて始めたのが格闘技のテコンドーというからわからないものです。
それも、2020東京パラリンピックのメダル有力候補ですからね、凄いです。
そこで「太田渉子のプロフィールや経歴は?父や母・家族も!パラテコンドーに」と題しまして、太田渉子さんについてまとめてみましたので、参考にしていただけたらと思います。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
ではまず最初に、太田渉子さんのプロフィールや経歴から見ていきましょうね!
名 前 : 太田 渉子(おおた しょうこ)
愛 称 : しょうこ
生年月日: 1989年7月27日
年 齢 : 32歳
出 身 : 山形県尾花沢市
身 長 : 164cm
体 重 : 58kg
血液型 : B型
特 技 : スキー、バイアスロン
高 校 : 山形県立北村山高等学校
高校② : ソトカモ高校
所 属 : 日立ソリューションズ~ソフトバンク
職 業 : 会社員、パラテコンドー選手
アカウント①「太田渉子オフィシャルブログ」
アカウント②「Instagram」
アカウント③「Facebook」
アカウント④「Twitter」
太田渉子さんのあの柔和な笑顔から、格闘技の選手なんてのは想像もつきませんよね。
でも太田さんは、2020東京パラリンピックで初代女王が期待される、パラテコンドーの日本代表選手なんですね。
それではここから、太田さんの経歴を辿ってみましょうね。
1989年7月27日、太田さんは左手の指が全て欠損(ない状態)している、先天性左手全指欠損という障害を持って生まれているんですね。
そんな太田さんをご両親は特別扱いをすることなく、幼い頃からピアノや乗馬などに挑戦させたと言います。
でもやはり、小学校に入ると太田さん自身、手を片方しか使えないことを恥ずかしいと思ったんですね、ずっと引っ込み思案な性格だったそうですよ。
小学1年生のある日、担任の先生から「左手を見せて友達になれないの?」という言葉をかけられたというんですね。
このストレートな言葉によって「人と違うと友達になれない」と、思い悩んでいた気持ちを払拭して積極的になり、友達を作ることができたといいます。
太田さんが生まれ育った山形県尾花沢市は、豪雪地帯でクロスカントリーが盛んなところと言われているんですね。
そんな土地柄ですから当然のように太田さんは、小学3年生のときに地元のスポーツ少年団に入り、スキーを始めています。
校内のスキー大会ではリレー選手になって大活躍、声援を受けて走ったのが太田さん自身にも自信をもてたきっかけになったそうですよ。
素質もあったんでしょうね、中学1年生になるとパラノルディックスキー日本代表監督の荒井秀樹さんに見出されているんですね。
そして、パラスポーツとしてのクロスカントリースキーに取り組み始めたんですよ。
2003年といいますから中学2年生(1年生の終わり頃)のときでしょうか、日本障害者スキー連盟の強化選手に選ばれているんですね。
その後、実業団チーム「日立システムアンドサービス(現:日立ソリューションズ)=チームAURORA(アウローラ)」にジュニア選手として所属しています。
アウローラに所属したのと、どちらが早かったのかは不明ですが、2006年2月のトリノパラリンピックでバイアスロン12.5km立位で銅メダルを獲得したのは前出の通りです。
高校は地元の北村山高校なんですが、日立システムの支援を受けて高校を休学、フィンランドのソトカモ高校にスキー留学しているんですね。
バンクーバー大会で、クロスカントリースキー・クラシカルのスプリントで銀メダルを獲得したのは、その成果でもあったと言われているんですよ。
(太田さんのフィンランド時代の練習風景はこちら)
留学していた期間は2006年9月からで、太田さんのソトカモ高校での修了式は2010年の6月5日にあったそうです。
フィンランドでの修了式の前、2010年の2月に北村山高校に復学しているんですが、太田さんは北村山高校の卒業式には出れなかったそうです。
そこで、学校側は太田さんだけのために同年の3月29日に、門出の場として「卒業式」を設けたそうですよ、いいお話ですね。
そして卒業後の4月からは、所属先の日立システム(東京)の社員になったんですね。
それではここで、太田さんの国際的な主な戦績をwikiから拾ってみますね。
【パラリンピック】
2006年 トリノ大会 バイアスロン12.5km立位 銅メダル
2010年 バンクーバー大会 クロスカントリー12.5km立位 銀メダル
2014年 ソチ大会 日本選手団の旗手を務める
【世界選手権】
2009年 バイアスロン3.6kmパシュート 立位 銅メダル
2009年 バイアスロン12.5km立位 銅メダル
【ワールドカップ】
2007年 バイアスロン総合成績 金メダル
2008年 バイアスロン総合成績 銀メダル
2008年 クロスカントリー総合成績 銀メダル
2009年 バイアスロン総合成績 銀メダル
2011年 クロスカントリー総合成績 銀メダル
2012年 バイアスロン総合成績 銅メダル
2012年 クロスカントリー総合成績 銀メダル
2013年 バイアスロン総合成績 銅メダル
「ソチ大会では旗手として初めて開会式にも参加できました。自分なりにやり尽くしたという気持ちでいっぱい。後悔はありませんでした」
こうして2014年のソチ大会のあと、スキー競技とバイアスロンから引退して、会社勤めの傍らパラスポーツの普及活動に携わっていたんですね。
2018年の3月に行われたピョンチャンパラリンピックでは、初めてチームを応援する側としてパラリンピックを見たそうですよ。
まず太田渉子さんは、現在32歳になりましたが結婚はされていません、独身です。
うりざね顔で、典型的な日本の美人と言ってもいい太田さんですが、彼氏はどうなんでしょうね、気になりますよね.
でも、彼氏がいるといったような情報もどこにも見当たらないんですね、ひょっとしたら公にならずにいるかも知れませんが、何とも言えず判然としないのが現況です。
さて、生まれながらにして障害を持っていた太田さん、ご両親は分け隔てなく普通の子と同じように育てたようです。
特にお母さんは、小さい頃から「ほかの人と同じようにできるよう工夫しなさい、工夫すれば何でも出来る」と言っていたそうですよ。
そんなお母さんが、太田さんが10歳のときといいますから、小学4年か5年生のときに亡くなられたそうなんですね。
10歳といえば、スキーを始めて面白くなってきたときだと思います。
それからは、お父さんひとりで面倒を見てきたのでしょうね、頭が下がります。
太田さんは、母親の形見のTシャツで作った巾着袋を肌身離さず持ち歩いているそうです。
また東京パラリンピックでは、天国にいるお母さんに届くような活躍をしたいと、語ったそうなんですね、結果はどうあれお母さんには必ず届くと思いますよ。
太田さんの兄弟姉妹についても調べてみましたが、妹さんがいるのではという噂が…、でもハッキリとしません、1人っ子ということも十分考えられます。
冬季競技の現役を引退して、会社員を続ける傍らパラスポーツ全般の普及活動に力を入れていた太田さん、あるトークショーの雑談中に「パラテコンドーという競技があるよ」と聞いたのが2015年だったんですね。
2020東京パラリンピックで正式競技になったテコンドー、この競技に日本の女子選手が少ないと聞いて気がかりだになったというんですね。
なぜなら、太田さん自身がかつてパラリンピックに出場するたび、現地の観客やボランティアスタッフのサポートを受けたことに大きな感謝があったからなんだそうです。
大会の盛り上がりには日本の皆さんの応援が必要不可欠という太田さん、日本人選手が出ない競技はなかなか見てもらえないので、テコンドーでも日本の女子選手を増やせないかと思ったそうですよ。
競技の現状を正確に把握しようと、ジュニアチームの強化合宿を見学に行ったんですね、そこで初めてテコンドーという競技を目の当たりにして衝撃を受けたんだそうです。
「足技がすごくきれいで見惚れました。また、身ひとつで戦う真剣勝負にも魅せられて、この競技はたくさんの人に見てもらわないともったいないと思いました。そのためにまずは自分が体験してテコンドーの面白さを伝えようと考えたのです」
そこで太田さんは趣味で、月1回のペースで道場に通い汗を流すようになったんですね。
もともとアスリートだった太田さん、スキーを辞めてから運動不足だったため、「体を動かすのって、やっぱり楽しいな」と思ったそうですよ。
2018年1月に開かれた全日本選手権にエントリーを勧められた太田さん、なんとここで公式戦に初出場にして優勝してまったんですね。
翌2019年2月の世界選手権トルコ大会では、準々決勝で世界ランキング1位のエイミー・トゥールデール選手(イギリス)と対戦、ここで勝利を奪って銅メダルを獲得したんですよ。
そして2020年1月に太田さんは、テコンドー女子で最初に2020東京パラリンピックの日本代表に内定したんですね。
ところが、新型コロナウイルスの感染拡大でパラリンピックは、1年延期されることに…。
本格的に競技を始めてまだ2年とキャリアの浅い太田さんには、かえってじっくりと課題の克服と強化に取り組むことができたというんですね。
太田さんは、競技と業務を両立させる働き方を目指して2018年10月に、ソフトバンク株式会社に転職しています。
ソフトバンクではパラテコンドーで世界を目指しながら、アソシエイト職としてCSR統括部でICTを活用した社会貢献事業を模索しているそうですよ。
パラテコンドーを始めてから急激に強くなっている太田さん、東京大会のメダル!、それもゴールドが現実味を帯びてきていると思いませんか?
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「【公式】「ストロングポイントX」(BS日テレ)」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「太田渉子のプロフィールや経歴は?父や母・家族も!パラテコンドーに」と題しまして、太田渉子さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
格闘技の選手とはかけ離れたイメージの太田さん、ルックスもコメントも柔らかく、ニコッと笑うとどこかのきれいな娘さんか、美しい若奥さまのように見えますよね。
2016年のアジア選手権で銅メダルを獲得しても趣味の領域と考えていた太田さん、2018年の公式戦に初優勝して「今は選手としてどっぷりハマっています」と笑っていましたね。
また、太田さんは、
「ゼロから始めたテコンドーでナンバーワンになりたいです。障がい害のある方や年齢にとらわれて挑戦を迷っている女性たちが、そういう私の姿を見て新たな一歩を踏み出せるきっかけになればいいなと思っています」
と、力強く語っています。
太田さんが出場するクラス・テコンドー女子K44-58kg級予選は9月3日(金)に始まり、その日のうちに敗者復活から3位決定戦、決勝と進んでいきます。
太田渉子さんが、どのような戦いを見せるのか、目が離せませんね!
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!