こんにちは、sadachi. です!
田中朋広さんってご存知ですか?
夜中に”ぱん”を焼いて、朝食に間に合うように夜のうちに配達している、1人だけのぱん屋さんなんですね。
パンではなくぱんというのも、田中さんのこだわりでカタカナだときつく感じるので、親しみやすく「やさしさ」や「やわらかさ」を表現したかったそうですよ。
田中さんが大手電機メーカーを辞めてまでも目指したぱん屋さん、誰もがやったことがないことで差別化をしているんですね。
そんな田中さんですが、ビートたけしさんと国分太一さんの今夜のテレビ東京系の番組『たけしのニッポンのミカタ!』に出演されます。
そこで「田中朋広の妻や子供・家族は?ぱん屋とデリバリーと焼きたてを朝に!」と題しまして、田中朋広さんをひも解いてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
田中朋広さんは結婚しているのですが、時期やお子さんを含めて家族構成は分かっていません、でも奥さまはご主人に寄り添うとっても素敵な方みたいですよ。
大学卒業後大手電機メーカーに就職した田中さんですが、実家に事情があったとのことで5年の勤めで27歳で退職しているんですね。
田中さんは退職後に何をするかということで選択したのがパン屋さんだったそうです、沼袋と新宿の2軒のパン屋で計5年間、修行したそうですよ。
このときの奥さまがすごいです、パン屋は”食”ですからご主人の助けになるかもしれないと、「調理師」の免許を取っているんですよ。
でも修業が終わったときに、直ぐにパン屋を開業したわけではないんですね。
このとき奥さまの実家は、薬局を営んでいたそうです。
田中さんは、パン作りの現場からは離れるけれど、経営・マネジメントの勉強にもなるとの思いで、薬局を手伝うことになったんですね。
そうすると、経営に携わってくれたご主人を助けようと奥さまは大学に再入学して、「薬剤師」の免許を取っているんですよ。
どうですか、ご主人に寄り添う素敵な奥さまということがお分かりいただけたと思います!
この経緯からすると、田中さんが奥さまと知り合ったのは学生時代か、大手電気メーカー時代ですかね、辞めるときは結婚されていた公算が大だと思いますよ。
田中さんは、大手電気メーカーではシステム設計の仕事や、新規事業の現場などを担当していたそうですが、実家の方に事情があって退職したとのことです。
その後なにをするかと考えたとき、何かお店をやりたいとパン屋を選んだそうですよ。
その理由が、例えばイタリアンなどでしたら、技術以外にセンスが必要だというんですね、それがパン屋だと体力で勝負できるだろうと思ったとのことなんですね。
奥さまの実家の薬局に5年間勤めたあと、パン屋での修行の経験を活かして、いよいよパン屋の開業に踏み切ります。
こう見てくると、電機メーカーで5年、パンの修業で5年、薬局の経営で5年、みんな5年で方向転換しているんですね。
そうすると、パン屋も5年でほかのことをしているかというと、そうではありません、いまも「ぱん屋」で10年以上続いているんでね。
パンづくりを目指した田中さんですが、独立起業に際して考えたのは「自分にしかできないこと」だったそうなんですね。
そして、結果として導き出したのが「注文生産」と「デリバリー」を組み合わせた画期的なパン屋さんだったんです。
ここからは、”パン”ではなく、”ぱん”で進めていきますね。
田中さんの構想の中には、店頭販売はなかったといいます、ですから通りに面したところで店舗を構える必要はなかったんですね。
店(?)or 工場として選ばれたのは、とんでもない場所だったんですよ。
自宅が近いということもあったらしいのですが、目黒区中根の名店会館という雑居ビルの2階で、わずか3坪(10㎡)程度、ここに大型のぱん焼き機が2台、田中さんの戦場なんですね。
とんでもないというのは、この雑居ビル、スナックなどの飲み屋がほとんどというビルだったんです、でもこれが功を奏するんですよ。
当然のことですが何の伝手もなく、得意先も持たないぱん工場ですから、最初は全く売れなかったといいます。
それが最初は向かいのスナックのママさんが買ってくれたそうです、そのうちに同じビルのお店の人が買ってくれて、お客さんのお土産にしてくれたんですね。
そのおかげで、少しずつお客さんが増えていったといいますから、この場所でよかったということなんですよね。
お客が増えていくごとに田中さんは、当初考えた「注文生産」と「デリバリー」という自分のスタイルを確立していきます。
実際にどうするのということなんですが、田中さんがやったのは、注文を受けた分だけ夜中に焼き上げ、朝までに届けるということだったんですね。
お客さんからすれば「味」が一番、つくりたてをデリバリーするとこで美味しいぱんを食べていただく、それこそが田中さんが最も重要だと考えた個性だったんです。
修行中に、毎日売れ残るというロスを目の当たりにして、なぜ注文販売にしないのか疑問を持ったというんですね。
その方が、生産にペースが確保でき、確実にお客さんが見込めて経営的にもロスが少なく、価格転嫁もしないですむと思っていたそうですよ。
それだけでなく、注文生産だと流れ作業にはならず、お客さんの顔を思い浮かべながら「一つひとつおいしくつくろう」という意識が生まれ、絶対美味しくなるというんですね。
田中さんが作るぱんは、北海道産の小麦粉と世界遺産・白神山地で発見された白神酵母をふんだんに使っているそうで、保存料や着色料などは一切入っていないシンプルなぱんだそうですよ。
【ぱん工場 「寛(ひろ)」 田中朋広】
★ 〒152-0031 東京都目黒区中根1-6-10 名店会館2F
★ 090-2485-6911
【ぱんの種類】(各税込)
★ 食ぱん 1斤270円
★ 丸ぱん 5個180円
★ ぶどうぱん 250円
★ バナナぱん 1斤470円
※ 2018年の情報なので、変わっている可能性があります。
注文その他の詳細は「こちら」で確認してくださいね!
注文したぱんは、朝6時までにドアノブにかかっているそうです。
今のところ、届ける先として目黒区や世田谷区、大田区と各々の周辺らしいですが、実際は限定しているわけではないので、メールで問い合わせをしてくださいとのことですよ。
※ Email: pankoubahiro@p00.itscom.net
田中さんの届ける手段は自転車です。
遠いところは60キロ、自転車で爆走の毎日だそうで、お正月のわずかな期間以外360日、雨の日も雪の日もどんな日でも、お届けできなかったことがないといいます。
届ける理由の一番は、焼いたぱんのロスを無くしたいからなんですけど、この一言が田中さんの“職人魂”を感じさせます!
「雨や雪の中、届けることよりも、ぱん職人として、ぱんが売れ残るほうがつらいんです」
★ テレビ東京系『たけしのニッポンのミカタ!』 7月24日(金) 夜 9時54分~10時54分
注)本記事内の「ツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能」、「インスタグラムの画像に関しては、Instagramの埋め込み機能」を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「takuma uehara」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「田中朋広の妻や子供・家族は?ぱん屋とデリバリーと焼きたてを朝に!」と題しまして、ぱん工場「寛」の田中朋広さんをひも解いてみましたが、いかがだったでしょうか?
たった1人でぱんを焼き上げ、朝6時までに自転車を爆走させてお客さんに届ける、誰もやっていないことだから、自分を信じるぱん職人・田中朋広さん。
あの素敵な奥さまは、ぱんづくりには関わっていないのでしょうか、少し気になります。
でも、どういう形になっても、ちゃんと田中さんを支えているんでしょうね。
田中朋広さんのぱん工場「寛」の発展とご活躍、そして今夜放送の『たけしのニッポンのミカタ!』、楽しみにさせて頂きますね!
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!