こんにちは、sadachi. です!
8月3日(月)NHK総合『逆転人生』に、株式会社ユサワフードシステムの代表取締役社長を務める湯澤剛さんが登場します。
大企業のエリートサラリーマンとして海外勤務なども経験して活躍されていた湯澤さん、父親の急逝によって、突如事業を継ぐことになったんですね。
その事業とは店舗数30を超える飲食業で、継いだ時点では自社への知識はなく、飲食業の経験もなしというスタートだったそうです。
そして、引き継いでからわかったそうなんですが、なんと引き継いだ会社には40億円もの借金があったんですね。
そこで「湯澤剛居酒屋社長の経歴がヤバイ!ある日突然の借金を16年で完済!」と題しまして、湯澤剛さんが80年はかかると言われた借金を16年で完済した驚きの手法についてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
湯澤剛居酒屋社長の経歴がヤバイ!
「40億の借金を16年で返済 ある居酒屋の挑戦」 – NHK
NHK総合 8月3日 22時〜
逆転人生 https://t.co/VSXSs5zvtC— 湯澤剛 (@officialyuzawa) August 1, 2020
湯澤剛さんは、1962年神奈川県鎌倉市に生れています。
父親は、株式会社湯佐和を創業しており居酒屋チェーン店として、最終的には30店舗になるほどに拡大しているんですね。
湯澤さんは、山手学院中学校・高等学校を経て早稲田大学の法学部を卒業しています。
この時点で、父親の居酒屋を継ぐ意思はなかったんでしょうね、早稲田を卒業するとキリンビール株式会社に入社するんですね。
キリンビールでは国内ビール営業を経て、人事部人材開発室ニューヨーク駐在、医薬事業本部海外事業担当などに従事するなど、優秀なエリート社員といってもいいでしょうね。
キリンビール在籍12年の1999年1月、湯澤さんの父親が急逝するんですね。
ここで選択肢として、「湯佐和」を誰かに任せて自身はキリンビールでキャリアを積むというのもあったと思います。
父親の会社は当時33店舗あり、年商20億円あったそうですが、引き継いでからわかったのが年商の2倍の40億円もの借金があったということです。
チョーヤバイですよね、地元の信用金庫に28億円、残りの12億円はメガバンクで、そのうえ税金や家賃などの未払い金も1億ぐらいはあった、ひどい状態だったといいます。
ひと月の元本と利息だけでも3千万円の返済があり、とにかく資金が回らない状態だったといいます。
そんな状況を理解しているうちに、スタッフから「◯◯はどうしたらよいですか?」という形でいくつもの指示を仰がれたそうなんですね。
何も分からない状況だったそうですが無下に断ることもできないと、指示を出したりハンコを押すなどしているうちに、なし崩し的に事実上の事業承継をしてしまったといいます。
父親の葬儀から、正式にキリンビールを退職したのが1999年3月だそうですよ。
その間もキリンビールには出社できず、中途半端な湯佐和の経営に携わっているんですね。
毎日がぐちゃぐちゃの中で、資金繰りに追われながら、ボロボロの店舗の体制など、店を立て直すという気力も湧いてこなかったといいます。
自宅にまで借金の督促の電話があったりして、これは何とかしなければいけないと思ったのが、1年ほど経過した2000年の春だったそうですよ。
この状況を打破するには、店を立て直すしかないとの考えに至り、一歩を踏み出すことに決めたそうなんですね。
このぐちゃぐちゃな状況を変えるには一点突破、全面展開しかないだろうと考えたそうで、まず住んでいる家に近いところから「戸塚店」リニューアルするところからスタートしたんです。
湯澤剛居酒屋社長 ある日突然の借金を16年で完済!
資産デザイン研究所内藤忍さんの銀座の店で
水野俊哉氏 元借金3億
湯澤剛氏 元借金40億
僕 元借金1.2億
の鼎談の収録借金から如何に立ち直り
そこから何を学んだか
それぞれの人生観はどう変わったか湯澤さんは去年僕がでたテレ朝
「どん底どっこいしょ」に今年1月に出演されてます pic.twitter.com/pg7SLAHsoA— 金森重樹@ダイエットonlineサロン (@ShigekiKanamori) October 26, 2019
最初は、団塊ジュニアである20~30代をメインターゲットに、客単価4000円超で小洒落た居酒屋にリニューアルしたのですが失敗したそうです。
そこで団塊世代である50~60代前半の男性をターゲットにして、客単価3000円程度の日常使いの店にポジショニングを切り替えたそうです。
このようなポジショニングの大手居酒屋チェーンは1社ぐらいしかなかったそうで、元々中高年に指示されてきた強いを生かした形になったんですね。
このポジショニングを変えたことで、戸塚店の業績は一気に上向いたとのことなんですね。
中高年の男性が店を選ぶ場合は、「どこへ行く?この前行ったあの店でいいじゃん」ということが多いといいます。
女性の場合はいろいろと調べて、あの店へという目的意識が強いそうですが、男性の場合は店に行ったことがあるということが大事で、ナンバーワンでなくても決定的な失敗がなければ来てもらえると思ったそうですよ。
そこでスタッフとは、ナンバーワンのウケる店はある意味とがった店なので、そこではなく3番手や4番手でもいい、お客さんに思い出してもらえる店になろうよ、話していたそうなんですね。
湯澤さんは居酒屋という業態をやっていくうえで、すしや刺し身をつくる荒くれ板前さんとの付き合いがホントに嫌いだったそうです。
付き合わないためには、居酒屋FCでコックレスという選択肢もあったそうですが、やはりそれでは差別化ができないと、板前さんと付き合うことにしたそうですよ。
そのこと自体は大変辛かったといいますが、そのことが最大の差別化になっていたとのことで、彼らがいたからこそ今があると湯澤さんは振り返っているんですね。
居酒屋の特徴は、店舗が増えれば増えるほど人が多くなり、人の管理が増えていくのでスケールデメリット出るといいます。
また立地だ、価格だ、客層だ、料理の内容だ…と差別化の要素がたくさんある業種で、例えば高い魚を置けば全店に置かなければならず、ここでもスケールデメリットが大きいということが分かると思います。
ある店舗は1階と2階で居酒屋をしていたそうですが、パチンコ屋さんが借りたいというので不動産として貸し出すことにし、そこで働いていた優秀なスタッフを別の店に移動することにより、売り上げも上がり利益も1.5倍くらいになったそうです。
この例があったので、スケールデメリットも考慮して店を閉めることに決めて、どんどん進めていったそうですよ。
そうして優秀な人材を集約することによって、3店舗を1店舗にして3店舗分の利益を上げることにもなったんですね。
飲食業はピープルビジネスだといいます、特に居酒屋のように滞在時間の長い業態は、人が売り上げや利益を左右するんですね。
ピープルビジネスということに気づいた湯澤さんだったのですが、荒くれ板前さんも含めて優秀な人材が辞めていくことが一番怖かったといいます。
そこで湯澤さん自身が走り回って、一人ひとりとやり取りをして、全員の面倒をみるんだという覚悟で臨んだ結果、心を開いてくれたそうです。
今まではコミュニケーションそのものに不慣れだったせいか、関係性ができてくると社員の心配事まで相談されるようになっていったというんですね。
しかし、ここから湯澤さんに試練のときが続くことになります。
2004年には利益の30%を占めていた吉野家事業では、狂牛病で牛丼販売ができなくなり、居酒屋事業で何とかカバーをしたそうです。
2007年からは牛丼販売も再開できるといった矢先、1月には食中毒事故が発生、3月には店舗の火災、そしてその間に信頼していたベテラン社員が病死するといったことが立て続けに起こっているんですね。
このときばかりは社長を辞めようかと考え、事業譲渡も検討したそうですが、社員に止められたそうですよ。
そして、これらの事故はすべて経営者の責任だと気づいたそうなんですね。
利益のために人件費を削りギリギリの体制で運営していたとのことで、スタッフは調子が悪くても出てこなくてはならず、結果的にノロウィルスが広がってしまったというんですね。
火事も限られた労働時間で、清掃が行き届いていなかったことが原因で、ダクトの油汚れに引火したのが原因だったといいます。
彼らの生活や家庭のことを考えずに、利益、利益ということを追求していた結果、このような事故が起こってしまったというんですね。
そこで経営者として変わらなければいけないと思い、利益も安定してきてましたので社員に還元してゆこうと決意したそうですよ。
湯澤さんは、ある先輩経営者に「何のために経営するのですか?」と問われたとに、「借金を返済するため」と答えたそうです。
そうしたらその先輩経営者に「それならばあなたの社員は借金を返済するために働いているのですか」と言われてしまったとのことなんですね。
湯澤さんがたどり着いた経営理念が、
「人が輝き 地域を照らし 幸せの和を拡げます」
だそうです。
それまでの自負やプライドなどを捨てて、まっさらの気持ちで、生まれたきたのがこの理念だというんですね。
魚の流通では通常、漁師さんから中央市場、卸を通じて店に入るまでは4~5日かかるといいますが、湯佐和の場合は朝セリで落として、早ければ当日の夜には店に並ぶといいます。
それは、買参権と自社物流を持っている強みと、規模の小さい中小企業だからできることだというんですね。
大手は地方市場で数百店分の魚は揃えられず、物流的にも無理があるといいます。
湯澤さんが考えているのは、人を活かす経営を通じて、人で差別化ができるようにしていかなければということです。
働いてもらう人から選ばれる会社にならないといけない、そしてその人の活躍の場として、お店が必要であれば拡大することもありますが、あくまで優秀な人材がいることが前提だというんですね。
そのための規模として最大でも20店舗、20億の売上が上限だと湯澤さんは考えています。
湯澤さんは、ここで働くみんなが幸せであることが最大の目標ですと力強く語っているんですね。
株式会社湯佐和は分割して、株式会社ユサワフードシステムの2社となり、湯澤さんは後者の代表取締役に就任しています。
★ NHK総合『逆転人生』 8月3日(月) 夜 10時~10時45分
湯澤 剛 さんの著書がAmazonランキングのTOP1000にランクインしました。
小心者のままでいい:「臆病」「過敏」を強みに変える25の方法https://t.co/V0Bnhh6CBb
画像引用アマゾン pic.twitter.com/3s7TdgJQHx— ホンサガスで本探す (@honsagasu) February 12, 2020
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
「小心者」を強みに変えれば どんな逆境も乗り切れる 湯澤剛(ユサワフードシステム代表取締役)https://t.co/0GKrRuho2h
キリンビールで順風満帆なサラリーマン生活を送っていた湯澤剛氏。ところが、突然の父親の死によって、40億円もの負債を抱える飲食店グループを引き継ぐことになりました。 pic.twitter.com/XDy2hwMbQx
— ZUU online |金融経済メディア (@ZUU_online) January 26, 2019
注)アイキャッチ画像に関しましては、「ZUU online |金融経済メディア」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
まとめ
今回は「湯澤剛居酒屋社長の経歴がヤバイ!ある日突然の借金を16年で完済!」と題しまして、湯澤剛さんが80年はかかると言われた借金を16年で完済した驚きの手法についてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
湯澤さんが倒産寸前、というよりも再起不能といった方がいいでしょうか、そんな会社をV字回復させた凄腕経営者として注目を集めているんですよね。
そのためネットでは、湯澤剛さんの検索が急上昇しているんですよ。
年商が20億円なのに40億円の借金、普通では考えられないですよね、でもそれを16年で完済しちゃったんですから、何とも言葉がありません。
『逆転人生』では、どういったお話しをしてくれるのでしょうか、明日の湯澤剛さんを見逃すわけにはいきませんよね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!