こんにちは、sadachi. です!
8月10日に開幕する予定だった第102回全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)が、中止の方向で動いていることが分かったそうです。
新型コロナウイルスの感染拡大を受けて史上初めての中止となった、第92回選抜高等学校野球大会に続き、開催困難との見方が広がっていたというのですが…。
緊急事態宣言が14日に解除されましたよね、それでも休校が続き部活動の目途が立っていない地域があるといいます。
また出場権をかけた地方大会のすべてを開催することが厳しい状態で、8月上旬までに代表校が出そろうのは難しいというんですね。
そこで「夏の甲子園中止へ過去には?高野連20日に協議!星稜は航空石川は?」と題しまして、夏の甲子園中止へについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね!
それではさっそく、本題へいってみましょう!
Contents
春の選抜大会は1924(大正13)年に第1回大会が行われ、戦中から戦後にかけての1942~46年の間に開催はされなかったのですが、これは中断扱いということで開催中止に追い込まれたことはなかったといいます。
ですから、新型コロナウイルスで中止になった今年の選抜は、史上初の選抜大会中止ということになったんですね。
では夏の全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)はどうかといいますと、過去に2度中止に追い込まれたことがあったんです。
1918(大正7)年の8月14日に開幕を迎えることになっていた第4回大会、当時はまだ甲子園球場ではなく兵庫県の鳴尾球場がその開催地だったそうです。
全国の代表校14校が鳴尾に集合し、13日には組み合わせ抽選会も実施されて、後は開幕を待つだけだったといいます。
ところが、大会開催から遡ること約3週間前の7月下旬、当時の政府の失政によって米の価格が高騰してしまったらしいんですね。
それによって8月3日に富山県魚津の漁村の主婦らによって、県外への米移送阻止騒動が勃発したんだそうです。
これがきっかけで、次第に全国的な民衆暴動に発展していくんですね、これがいわゆる有名な「米騒動」といわれています。
もちろんその波は大会会場だった兵庫県も例外ではなく、試合会場だった鳴尾球場にほど近い総合商社・鈴木商店が焼き打ちに遭い、周辺の治安も大幅に悪化そうです。
そのため主催者側は大会の一旦の延期を発表、さらにその後、会場を大阪府の北野中(現・北野高校)への変更や非公開で実施する案なども検討されたそうです。
でもその後も、治安改善の見通しが立たなかったとのことで、8月16日には大会の中止が決定したんだそうです。
因みに、優勝旗は前年優勝校の愛知一中(現・旭丘高校)がそのまま持ち帰ったそうですよ。
この米騒動から23年後の1941(昭和16)年の第27回大会、すでに夏の甲子園になっているんですが、再び中止の憂き目にあっているんですね。
当時は各地で予選が行われている最中だったそうですが、勃発していた日中戦争が激化していったためというのがその理由で、前もって中止となったそうなんです。
これ以降、戦後の1946(昭和21)年に夏の第28回大会として復活開催されるまで、甲子園大会は春夏ともに中断されることになってしまったといいます。
「決定していることは何もない。20日の運営委員会で協議します。それしか言えません」
と言うのは、日本高野連の小倉好正事務局長です。
日本高野連は、高校球児にとって最大の目標である夏の甲子園大会に向けて可能性を探っているそうですが、新型コロナウイルス感染の影響で状況は、向かい風ばかりが強まっているといいます。
中止となった3月の選抜大会に続き、全国9地区の春季大会、47都道府県すべての春季地方大会が中止となり、夏の甲子園と同時期に予定されていた全国高校総体(インターハイ)も中止になっています。
緊急事態宣言で多くの学校が休校になり、練習試合を行っている地域がある一方で、明確な練習再開の時期すら見通せていない県もあるとのことです。
ある地方高野連幹部からは、「教育活動ができていない状況で、7月に2週間程度地方大会をやるというのは現実的だはない」と指摘しています。
また日本高野連の1人も、「甲子園に関しては全国一斉に予選ができないと意味がない。一部の地域が解除されたからといって、一気に見通し立つわけではない」と慎重です。
新型コロナウイルスの感染予防策なども検討しているそうですが、関係者は感染のリスクを危ぶみ、開催のハードルは高いといいます。
7月中旬にはすべての地方大会が開幕していないと、8月上旬までに代表校がそろうのは困難になるそうで、日本高野連は20日に運営委員会を開き、中止を発表するものとみられています、残念ですね!
夏の甲子園が中止の方向で検討されていることが分かった15日、石川県内の強豪校・星稜高校や航空石川高校など高校球児にも動揺が走ったといいます。
休校によって部活動ができない状況で、球児たちは甲子園の土を踏むことを心の支えに自主トレに励んでいるんですが、春に続いて目標が消えることになれば、無念さと落胆は計り知れないと思いますね。
指導者は「正式に決まるまでは、甲子園の舞台があると信じて準備するしかない」と胸の内を語ったといいます。
昨年の夏の甲子園で好投手・奥川恭伸投手を擁して準優勝を果たした星稜高校の生徒は、選抜の中止を受けて「夏の甲子園に向けて頑張る」と切り替えたんですが、部としての練習は全くできない状態が続いているそうです。
山下智将部長は、生徒とはしばらく顔を合わせていないとして、「どんな心境なのか」と言葉少なに気遣いしたとのことです。
航空石川の中村隆監督は「生徒は少なからず不安だと思う」と、部活動再開を待つ部員の気持ちを思いやり、休校期間中の直接指導は難しいと自主トレ中の動画を送ってもらって助言などをしているそうです。
20日の日本高野連の夏の甲子園大会開催の可否に関して中村監督は、「厳しい状況だとしても、今まで通りやっていくしかない」と、自分に言い聞かせるように話したそうです。
昨年に続き、相当可能性が期待される石川勢、全国制覇のチャンスの戦力を有するだけに中止となると、県民にとってもショックが大きく嘆きの1年になるのでは…と思われます。
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今回は「夏の甲子園中止へ過去には?高野連20日に協議!星稜は航空石川は?」と題しまして、夏の甲子園中止へについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
夏の甲子園は高校球児の憧れなんですが、予選で敗退して出場できない以前に、道そのものが閉ざされるというのは、何ともやりきれないものがあります。
日本高野連の苦しみも理解はできますが、何とか無観客でも何でもかまわないので、開催できる方法を何とか探ってほしいと願わずにはいられませんね。
ある県の高野連には、代表校が関西に行くことでウイルスを持ち帰ることにもなりかねないという懸念もあり、夏の甲子園の開催を願ってはいますがハードルは高いですね。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!