こんにちは、sadachi. です!
2019年、10月4日深夜から5日にかけて行われた第17回世界陸上競技選手権大会、男子20キロ競歩で山西利和さんがこの種目で日本勢初の金メダルを獲得したんですね。
忘れもしないあのカタールのドーハ、高温多湿の厳しいコンディションのもと、山西さんの記録は1時間26分34秒で、7キロ過ぎで先頭をとらえると、一気に引き離してそのまま逃げ切ったというんですね。
ここで東京オリンピックの代表に内定しているんですね、「うれしいけれど、レース内容には満足していない。東京五輪では圧倒的に勝ちたい」と話しているんですよ。
50キロ競歩でも鈴木雄介さんが優勝して、日本勢が複数の金メダルを獲得したこの大会でしたが、残念ながら鈴木さんは体調がすぐれず、リタイアになったんですね。
そして迎えた東京オリンピック、山西さんが無念のリタイアをした鈴木さんの分まで頑張ろうとしていることは間違いないと思います。
そこで「山西利和メガネは?父や母・家族に彼女は?wikiプロフィール経歴」と題しまして、山西利和さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
山西利和さんがメガネをかけているのは周知の事実ですよね、というよりも山西さんの場合はメガネがトレードマークと言ってもいいんじゃあないですか。
山西さんは陸上競歩の選手、競歩はとても激しいスポーツであることは誰でもわかります。
でも、その激しいスポーツの選手である山西さんのメガネ、競技用のスポーツグラスでないことを知っていましたか。
何と、山西さんのメガネは「JINS(ジンズ)」なんですよ。
そうなんです、あのショッピングセンターや駅ビルを中心にメガネ量販店の店舗を展開しているJINSのメガネだったんですね。
JINSのメガネを使っていることに山西さんは、
これは、量販店で売っている普通のメガネです。競技用ではないですね。
レース中もずれません。僕くらいになると、メガネが本体なので…。
曇るのとかも、あまり気にならないんですよ(笑)
と話しているんですね。
競歩は激しいスポーツと紹介しましたが、上半身を揺らすとタイムロスにつながるため、上半身を揺らさないということがポイントになるんですね。
ですから、山西さんにとっては競技用のメガネでなくても、揺れない訳ですから一緒なんですね、プロの技からくる自信ということなんでしょうね。
因みに、山西さんの愛用しているメガネは黒縁メガネだと思われているようですが、実は青縁メガネなんですね、ビックリしましたか?
では次に、山西利和さんの家族について見ていきましょうね。
山西さんの家族は、ご両親に弟さんが1人おられますので4人家族ということになりますね。
山西さんのご両親を含める家族については、職業や年齢、名前などが非公表のためここでお伝えすることはできないのですが…。
山西さん自身が色んなところでお話されていることをピックアップしてみますと、父親の仕事は大手企業のサラリーマンか、国家公務員じゃあないですかね。
というのも山西さんが京都府の長岡京市のご出身ということは分かっているのですが、父親の勤務地が東京から静岡など、転々としているんですね。
山西利和(やまにし・としかず)は1996年2月15日に、京都府長岡京市で誕生した。父の仕事柄、幼いころから引っ越しが多く、幼稚園年中から小学2年生までは東京都で、その後は静岡市に暮らした経験もある。
と、あるんですね。
また山西さんは父親から「何かうるさく言われた記憶はないですね」とも語っているんですね、機会は与えるけれど「どうする?」と本人の考え方を尊重したとのことですよ。
小学3年生のにあまり泳げなかった山西さんを、夏休みのスイミングスクール短期コースの見学に連れて行かれたそうなんですね。
ただ、そのときも、父親は「どうする?」って山西さんの意志を確認してくれただけなんだそうですよ。
山西さんは「じゃあ、ちょっと通ってみるわ」と…、そのおかげで今では4泳法であるバタフライや背泳ぎ、平泳ぎ、自由形を、人並み以上には泳げると感謝しているんですね。
次に山西さんの母親なんですが、手に職を持っていたり、固定した職業についている場合は父親は単身赴任になる可能性が高くなりますよね。
でも転勤族サラリーマンと思われる父親にそのままついていかれたと思われるので、専業主婦をされていたのではないかと思われます。
転勤先で都度、パートぐらいはされていたかもしれませんが、専業主婦だと思いますよ。
弟さんが1人いるのですが、これも情報はなく、ここでお伝えする材料はありません。
また現段階で結婚はされておらず、彼女に関する情報も出てきていません。
彼女いない…と、断定することはできませんが、いまのところは競歩東京オリンピックの金メダルが”恋人”と言っておきましょう。
その”恋”は、ぜひ実らせていただきたいと、日本国民みんなが望んでおりますよ。
それではここで、山西利和さんのwiki風プロフィールや経歴を確認していきましょうね。
【山西利和さんのwiki風プロフィール】
名 前 : 山西 利和(やまにし としかず)
生年月日: 1996年2月15日
年 齢 : 25歳
出 身 : 京都府長岡京市
身 長 : 164cm
体 重 : 54kg
趣 味 : 読書
中学校 : 長岡京市立長岡第三中学校
高 校 : 京都市立堀川高等学校
大 学 : 京都大学工学部物理工学科
所 属 : 愛知製鋼
職 業 : 陸上競歩選手
SNS : Instagram
京都府の長岡京市で誕生した山西利和さん、幼稚園の年中で東京へ引っ越し、そのあとは小学3年生から中学1年までは静岡で暮らしたそうです。
水泳教室に通ったり、野球をしたりと運動神経は普通の小学生と同じで、並外れた才能を発揮したというわけではなさそうですね。
小学4年生のときにグラウンドを何周走ったかによって、マスを進めるすごろくと同じようなカードを配られたそうなんですね。
そのことが純粋に面白いと感じた山西さん、それから毎朝授業が始まる前にグラウンドを走ることが習慣になったそうですよ。
この努力が実ったんでしょうね、校内のマラソン大会では10位以内に入ることが出来たそうで、練習が結果に結びつく楽しさを実感したというんですね。
中学校からは再び故郷に戻り、長岡第三中学校の陸上部に入部したんですね。
3000メートル走など中距離選手を目指したそうですが。才能があるわけではなく地区予選で敗退するレベルだったというんですね。
勉強はできたので、進学校の京都市立堀川高校に進み、その陸上部で競歩に取り組む先輩・船越康平さん(後に顧問)と出会い、競歩の道に進むことになったそうですよ。
山西さんは競歩との出会いが、面白かったこととも相まってあたかも自分の道だったかのように、その後才能を発揮していくんですね。
ここからはシンデレラボーイそのもので高校進学後の1年生の夏・8月、京都府の競歩新人戦ですぐさま優勝を飾っちゃうんですよね。
近畿大会で4位に入ると翌2012年、高校2年生になって全国高等学校総合体育大会(インターハイ)で2位になり、3年生になるとインターハイでも優勝、頂点に立っているんですよ。
また同年には世界ユース陸上競技選手権大会に出場、同種目で日本人初となる金メダルを獲得したんですよ、破竹の勢いとはこんなことを言うんでしょうね。
2014年春に京大工学部物理工学科に現役合格を果たんですが、勉強にも決して手を抜かぬ姿勢を続け「文武両道の山西」と称せられているんですね。
競歩の才能もさることながら、頭も相当良かったことが分かりますよね。
引き続き高校時代の船越顧問の指導、そして男子20キロ競歩の世界記録保持者である鈴木雄介さんを指導した内田隆幸さんの教えを並行して受け、さらに力をつけていったんですね。
そんな山西さん、大学の3年間は「京大ウォーカー」として注目されながらも、一度も世界選手権の代表に選ばれずに、足踏みを続けていたんですね。
文武両道、エリート街道を突き進んできたように見える山西さんでも、決して順風満帆だったわけではないということなんですね。
しかし、4年次に台北で行われたユニバーシアードを制覇して浮上のきっかけをつかむと、トヨタ系列の愛知製鋼に入社するんですね。
1年目の2019年、念願かなってドーハ開催の世界選手権出場権を獲得したんですよ。
そして、先に述べたように金メダルという最高の結果を持ち帰ることに成功したというわけなんですね。
「修正力の高さ」こそ強みだと指導者が言う山西さん、自らの弱点を分析して、課題を持ち帰り、次回までにしっかりと修正して積み上げていく能力は群を抜いています。
表彰台の頂点、すなわち”金”が待っています。
真夏の北海道・札幌市、いかに夕方16時30分からのスタートとはいえ、8月5日の予想最高気温は33℃、何をすべきかは山西さんが一番わかっていると思いますね。
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
注)アイキャッチ画像に関しましては、「ぶしさん」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
今回は「山西利和メガネは?父や母・家族に彼女は?wikiプロフィール経歴」と題しまして、山西利和さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
世界ランキングNo.1という山西さん、継続は力なりを実践してきた山西さん、もう何も言うことはありません、思った通りの歩きを見せていただきたいと思います。
体力が回復せず、無念のリタイアとなった鈴木雄介さんの分まで頑張ってと言えば語弊がありますが、やってくれることと信じています。
節目のときに「どうする?」と、行く道を尊重してくれた父親や家族が見守るなか、山西利和さんの闘いは、8月5日(木)午後4時30分号砲です。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!