こんにちは、sadachi. です!
毎週月曜日午後10時から放送のNHK総合『逆転人生』は、逆転無罪判決やスポーツでの大番狂わせ、奇跡の生還 etc を特集する番組になっています。
泣いて、笑って、勇気をもらえる…ドラマよりドラマチックな真実の逆転劇なんですね。
今回人生を逆転させた主人公は、身に覚えのない殺人の罪で、一度は無期懲役の判決を受けた桜井昌司さんになります。
布川事件という殺人事件の容疑者として逮捕された桜井さん、裁判のやり直しを求め、逮捕から4年をかけて無罪を証明したんですね。
桜井さんの人生はまさに、逆転人生そのものと言ってもいいでしょうね。
そこで「桜井昌司の言いたい放題!裁判や前科は?結婚や家族・プロフや経歴も」と題しまして、桜井昌司さんについてまとめてみましたので、参考にしてくださいね。
それではさっそく、いってみましょうか!
Contents
桜井昌司さんの言いたい放題!
今度の #NNNドキュメント
「濡れ衣」
~闘い続けた余命一年~殺人の「濡れ衣」を着せられ「29年投獄」された男。闘い続け…ようやく「潔白」を手にした。しかし「がんで余命一年宣告」今度は病魔が男を襲う。#布川事件 #桜井昌司 #冤罪 #清水潔 pic.twitter.com/H1UQCFXOJj
— NNNドキュメント【公式】 (@n_docu) April 15, 2021
桜井昌司さんの「言いたい放題」は、現在も続いているgooブログ「桜井昌司『獄外記』」の2015/07/15の記事にあります。
1967年8月の布川事件で投獄されたのが桜井さんが20歳のとき、獄中で無実を叫び続け29年の歳月を経て仮出所されたのが1996年11月、再審請求を続け2005年9月に決定しています。
そのあとの2006年5月から『獄外記』の記事が投稿され、現在も続いていることになります。
その他に、ユメミノ音泉村の村長でシンガーソングライターのなつし聡さんのラジオ番組に呼ばれたことがきっかけになり、桜井さん自身がDJとしてラジオ番組を担当します。
その番組タイトルが、『桜井昌司の言いたい放題!人生って何だ!!』だったんですね。
無実の罪で29年間もの獄中生活を強いられた、布川事件の冤罪被害者である桜井さんが自ら「希望」をテーマに、軽妙な語り口で人生の意味を探るトーク番組なんですね。
この番組は1年半で終了したそうですが再度、コミュニティFMで企画準備中だそうですよ。
冤罪番組と言えばこの番組ひとつだったそうですが、それではいけないとなつし聡さんが企画制作した番組『塀の中の白い花~ほんとに何もやってません』に引き継がれたそうです。
この番組の解説を見てみましょうね。
冤罪は誰の身にも起こる身近な問題。『塀の中の白い花~ほんとに何もやってません』は「暗い」「重たい」というイメージの冤罪問題を分かりやすく伝えていきます。
出典:Seesaa BLOG
ということなんですね。
2021年11月1日(月)の第117回放送分では、9月10日までに検察と警察が上告をしなかったため、桜井さんが完全勝利したとの報告がされていましたね。
ここでいう検察とは「国」のことであり、警察は「県」と言ってもいいでしょうね。
桜井昌司さんの裁判や前科は?
■布川冤罪事件で《潔白を勝ち取った男…冤罪被害者を支援し、濡れ衣を着せた司法の闇を世に引きずり出そうとしている》桜井昌司さん。東京新聞【社説/冤罪防ぐさらなる改革を】《警察と検察の捜査の違法性を認め、被告側に計約7400万円の支払いを命じた東京高裁判決に対し、国と県は上告を断念した》 pic.twitter.com/K9H3CGQraf
— AS (@ActSludge) November 13, 2021
それではここで、布川事件と裁判や経過を簡単に辿ってみますね。
布川事件は1967年8月30日の朝、茨城県北相馬郡利根町布川で強盗事件が発生、独り暮らしの男性(62歳)が自宅の8畳間で死体で発見された事件です。
犯行時刻には実兄と飲んでいたという当時20歳の桜井昌司さんと、同行していた当時21歳の杉山卓男さんが窃盗容疑(別件)で逮捕されているんですね。
このとき2人は、警察から厳しい取り調べにより”ウソの自白”に追い込まれたといいます。
この自白によって桜井さんと杉山さんの2人は、強盗殺人罪で起訴され、無期懲役を言い渡されているんですね。
2人は獄中で無罪を叫び続け1983年、獄中から第一次再審請求を行ったんですが、1992年に棄却されています。
ようやく仮出所になったのが1996年11月ですから、29年間もの間無実の罪で獄中生活を強いられたことになります。
でもこれで冤罪が晴れたわけではありません、2人の戦いはまだまだ続きます。
2001年12月6日、水戸地裁土浦支部に2回目の再審請求を申し立てると同支部は、弁護側の請求に応じて非公開での証人尋問など、事実調べを行ったそうです。
その結果、自白の枢要部分としての殺害方法が、
実際の死体の客観的状況と矛盾すること
自白はさまざまな点で変遷していること
捜査官の誘導に迎合した供述と疑われる点が多数存在すること
として、目撃証言には捜査官の暗示や誘導の可能性があり、信用性に疑問がある…と、2005年9月21日に再審開始を決定したんですね。
その後、東京高裁も2人の自白の信用性は認められないなどとして、検察側の即時抗告を棄却し再審開始を支持しているんですよ。
そしていよいよなんですけど、最高裁は2009年12月14日に検察側の特別抗告を棄却して、再審開始が確定したというわけなんですね。
再審公判は、2010年7月9日に水戸地裁土浦支部で開始しています。
公判回数は6回、水戸地裁土浦支部は2011年5月30日に、
目撃証言は信用性に欠けること
2人の自白は信用性がなく、任意性にも疑問があること
2人のアリバイを虚偽とする証拠はないこと
などを理由に無罪判決をしたんですね。
検察側は、控訴審で新たな立証をするのは困難として控訴を断念したそうですが、これによって無罪判決が確定したことになります。
事件から44年が経過して桜井さんと杉山さんは、ようやく無罪を勝ち取ったんですね。
布川事件は別件逮捕に始まり、脅し、偽計、誘導による自白と証言の強要、さらには証拠の捏造から公判での偽証などが行われています。
捜査機関があらゆる手段を駆使した「冤罪のデパート」とよばれた、あってはならない違法捜査の連鎖によって無実の者を有罪に追い込んだ事件となったわけなんですね。
この間、一緒に歩んできた杉山さんは心臓病を患い、それが進行していたといいます。
桜井さんは、無罪確定後の2012年11月に違法な取調べや証拠隠しがあったとして、国と茨城県に対し国家賠償請求訴訟を東京地裁に起こしたんですね。
総額約1億9,000万円の賠償を求めたんですが、一方、杉山さんは「妻や息子と過ごす時間を犠牲にしてまで、いつ終わるかもわからない、長い長い裁判を、私は闘う気持ちになれない」として、国賠訴訟には加わらなかったそうです。
残念ながら杉山さんは、心臓病がもとで2015年10月27日に亡くなっているんですね。
桜井さんは、国賠裁判を起こした動機を、「冤罪が次々明らかになるようになった今も警察や検察、裁判所は何も変わっていない。冤罪が作られる原因を取り除くには、国賠しかないと思った」
また「今も自分たちを犯人だと言い続ける検察に『申し訳なかった』と言わせたい」と、支援する会の結成総会で語ったそうですよ。
そして紆余曲折の結果2021年8月27日、高裁が一審でも認められていなかった検察官の取り調べの違法性を認め、完全勝利したといいます。
9月10日までに国(検察)と県(警察)が上告をしてこなかったため、高裁判決が確定したのはすでにお伝えした通りです。
これによって、布川事件の長きにわたった桜井さん(そして今は亡き杉山さん)の闘いは、完全に終結したといっていいでしょうね。
ところで、桜井さんの前科はどうなったのでしょうか、気になりますよね。
刑事裁判で有罪となった場合は前科がつきますが、その後に冤罪が証明され無罪となった場合は、当たり前だと思いますが前科は取り消されるとのことです。
前歴としては残りますが、逮捕歴と前歴は全く別で、前歴自体は刑事処分を決めたり、刑を決めたりする上で参考にならないので、気にする必要はないとのことです。
当然ですが、前科が消えれば逮捕歴も消えます。
桜井昌司さんの結婚や家族・プロフィールや経歴も
殺人事件の犯人にされ無期懲役の判決を受けた桜井昌司さん。判決の根拠となったのは取り調べで作られた「虚偽の」自白調書。日本の司法制度では一度確定した裁判をやり直すのはほぼ不可能。29年もの獄中生活の中で1万通もの手紙を書き「開かずの扉」をこじ開けた。11/22夜10時 https://t.co/TAbNAMfCUG
— 弁護士 亀石倫子 (@MichikoKameishi) November 15, 2021
桜井さんは、49歳のときの1996年11月に仮釈放になっているんですが、翌1997年の「桜井さん救援会」の新年会で妻となる恵子さんと出会っています。
当時恵子さんは、2人の子どもを育てているシングルマザーで、出会ってからは恵子さんの方から積極的にアプローチしたそうですよ。
桜井さんは当初、これまで刑務所にいて、自分には能力も金も、地位もないと女性との交際を避けていたそうです。
それでも恵子さんは桜井さんに真っ直ぐ好意をぶつけたそうで、「彼女が積極的にならなかったら自分は100%結婚していない」と振り返っています。
奥さんのことを「恵子ちゃん」と呼ぶ桜井さん、「感謝しかない。全て。一緒に生きる存在と支援者は全く違う。…ただ、彼女は特別。…」と1999年7月に結婚したんですね。
当然、恵子さんが育てていた2人の子どもは連れ子ということになり、その時点で4人家族になったということですね。
同じく仮釈放後に結婚した杉山さんには子どもが生まれたそうですが、桜井さんにお子さんが生まれたという情報には出会っていません。
【桜井昌司さんのプロフィール】
名 前 : 桜井 昌司(さくらい しょうじ)
生年月日: 1947年1月24日
年 齢 : 74歳
出 身 : 栃木県塩谷郡塩谷村(現:塩谷町)
身 長 : 160cm
体 重 : 50kg
血液型 : B型
高 校 : 茨城県立竜ヶ崎第一高等学校 中退
職 業 : 元受刑者(無罪)、社会運動家
【SNS】
ブログ①「桜井昌司『獄外記』」
ブログ②「桜井昌司の言いたい放題!人生って何だ!!」
ブログ③「塀の中の白い花~ほんとに何もやってません」
Facebook「桜井昌司さんをラジオパーソナリティにする会」
※ この中で実際に桜井さんが運営しているのは『獄外記』です。
栃木県塩谷郡塩谷村に生まれた桜井さん、1962年4月に茨城県立竜ヶ崎第一高等学校に入学したんですが、同年9月に中退しています。
その後いくつかの職を転々としているんですが、やんちゃ盛り桜井さん、無茶もしたし、確かに品行方正な青年ではなかったといいます。
そんな桜井さんが20歳のときの1967年8月30日、茨城県北相馬郡利根町布川で強盗殺人事件(布川事件)が発生し同年10月、窃盗容疑で別件逮捕されたんですね。
知人の杉山卓男さんと共に強盗殺人罪で起訴され、1978年に無期懲役が確定しています。
1983年に獄中から第一次再審請求を行いましたが、1992年に棄却され、29年間にわたって収監されているんですね。
1996年11月仮釈放、土木建築会社に勤務しながら、第二次再審請求に向けて活動を開始したというわけです。
そんな桜井さんを特集するのが、明日放送予定の『逆転人生』、テーマは「殺人のえん罪を晴らせ 43年がかりの逆転劇」となっています。
日本の司法制度では、一度結審した裁判をやりなおすのは、ほぼ不可能と言われています。
番組では、桜井さんが獄中から一万通もの手紙を書き、「開かずの扉」をこじ開けていく奇跡的な逆転劇に密着しているそうですよ。
★ NHK総合『逆転人生』 11月22日(月) 22:00~22:45
布川事件で潔白もがんで余命1年…濡れ衣を着せた司法の闇とは#NNNドキュメント #布川事件 #桜井昌司 #えん罪 https://t.co/YnlqsSRBQp
— マイナビニュース・エンタメ【公式】 (@mn_enta) April 17, 2021
注)本記事内のツイートに関しては、Twitterのツイート埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。皆さまの貴重な情報に感謝いたします…♪
【テレビ】4/18(日)日テレ 24時55分
Nドキュ「濡れ衣-闘い続ける余命一年」
殺人の濡れ衣で29年間投獄された布川事件の桜井昌司。再審で潔白を手にしたが、末期がんで余命一年の宣告。今度は病魔が襲う。壮絶な人生に迫る。
D黒住周作 日テレ
再4/25(日)BS日テレ8時https://t.co/2r2zWB8w6s pic.twitter.com/NSYu1TmwfI— JapanDocs (@jdocs) April 17, 2021
注)アイキャッチ画像に関しましては、「JapanDocs」さんのツイート画像を使用させていただいております…♡
まとめ
今回は「桜井昌司の言いたい放題!裁判や前科は?結婚や家族・プロフや経歴も」と題しまして、桜井昌司さんについてまとめてみましたが、いかがだったでしょうか?
久々に逆転人生に相応しいといいますか、まさに番組が志向する『逆転人生』を代表するような桜井さんの登場になります。
そんな桜井さんは、2021年4月にマガジンハウスから『俺の上には空がある広い空が』という本を出版されています。
また桜井さんは千葉刑務所収監中に200篇近い詩作と作曲をしているそうで、雑誌への投稿もしていたとのことです、2001年には詩集も刊行したそうですよ。
現在は冤罪を訴える活動の支援や、容疑者取り調べの可視化を求める活動をしている桜井昌司さんですが、明日の『逆転人生』でじっくり確認させていただきたいと思います。
それでは、今回はここまでとさせていただきます!
最後までご覧いただき誠にありがとうございました!